『招待=ホークの正体』【4】

 シュザックの瞳が、今まで以上に黒く輝いた。
 欲望からだろうか。
 もしかしたら、ルーガルの女をハーレムに囲う事が出来たからかも知れない。
 ルーガルからの正式な書状で断られたから、だからわたしを!
 シュザックの瞳は真剣に満ちていたが、その奥深い所では欲望を秘め、シーアの美しさを称えて迫ってくる。
 絶対……、絶対シュザックの寵なんか撥ねつけてみせるわ!
 シーアは指に触れた杯を右手で取ると、シュザックの顔めがけて中身をぶちまけた。
 
 
――― バシャ!
 
 シュザックの浅黒い肌に酒が飛び散った。
 剣のぶつかる音が遠くから聞こえるが、シーアはシュザックの濡れた顔に見とれてしまった。
 黒く長い睫毛も濡れおり、雫が頬を伝って顎先から落ちる。
 濡れた男性が、こんなに艶っぽいものだとは思わなかった。
 心臓をドキドキさせながら、その雫の跡を辿っていくと、大きく開かれた胸元まで濡れていて、肌が光ってる。
 こんな……こんな恥ずかしい思いをしたのは初めてだ。
 無礼を働くつもりでした事が、こんなにも彼の男性を意識させられる事になるなんて。
 持ち上げられて露になった乳房が、激しい鼓動と共に上下に動く。
 男としての魅力に気付かされたからと言って、このまま彼の寵を受けるつもりは全くない。
 歯を食いしばった途端、金属音が耳元でなった。
 喉に冷たい感触を受けると同時に、光輝く剣が視界に入ってきた。
「無礼者! 殿下になんたる仕打ち。身分をわきまえろ」
 憤りを抑えながらも、主君を思っているのが感じ取れた。
 シーアは、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「……止せ。ローレルから剣を退け」
 シュザックが手を払うと、その男はしぶしぶ剣を退いた。
「……いいのよ。刺したければ刺せばいい。わたしが何をしたのか……きちんとわかっているのだから。帝国の後継ぎたる者に手を出せば、いかなる理由があっても……極刑に値する。皇太子とは、王亡き後人々の上に立つ存在で、全国民に対して正義と秩序を持って統治していかなければならない。国民の上に立つ存在を、愚弄する者が現れれば、」
「やめろ」
 シュザックは、目を細めながら低い声を放った。
「下がれ」
 その一言で、後ろに居たであろう衛兵は、再び配置の場所へ向かった。
 シュザックは、ただ真っ直ぐシーアを見つめてくる。
 シーアも顎を引き、覚悟を決めた上でシュザックを見つめ返した。
 だが、シーアはシュザックではない……もう一つ男の視線を感じていた。
 誰? 誰なの?
 
「お前にも、そう言ったんだぞ」
 視線を逸らす事なく言い放ったシュザックの言葉に、シーアは自分に向けられたものだと思った。
 しかし、暗闇の中から一つの影が光の中へ動くと同時に、シュザックの言葉はその影に向けられたものだとわかった。
 そして、先程から感じていたもう一つの視線。それも、その影から向けられた視線だったのだ。
「わかっております。ですが、これは私の責任でもありますので」
 この声……。ま、まさか!
 シーアは、その声の主に向かって振り返った。
 目に飛び込んできたのは……あの男、盗賊ガシュールの右腕・ラモン!
 何故、彼がここに? 彼はわたしを売りつけ、ガシュールと共に旅に出た筈では? どうして、こんな奥深い宮殿……皇太子の宮殿……なのかどうかはわからないけれど、皇太子が使う宮殿に入り込んでいるの? いったい?
 シーアは、ラモンからシュザックへと視線を向けた。
 だが、シュザックはシーアを見つめているだけだった。
 戸惑いながら、再びラモンへと視線を移す。
 ラモンは、チラッとシーアを見ると気まずそうに表情を歪めた。
「相変わらずお転婆な娘だ」
「ギル」
 シュザックがそう呼ぶと、ラモンは膝をついた。
「申し訳ありません。ローレルが美しいだけでなく……一向に従順でもない旨、告げる事を忘れておりました」
 従順でもない? このわたしが? ……確かに今までの素行を振り返れば、従順ではないかもしれないけれど、捕えられたのよ? そうなれば、誰だって従順でなくなるわよ!
「確かに、普通の女ではないな」
「普通の女よ! ラモンが、ガシュールの命に従う前まではね!」
 声を荒げたシーアに、ラモンも視線を向けた。
「何? いったいどうなってるの?」
 シーアは、豪華なクッションから立ち上がると、ラモンに詰め寄った。
「あなたは、ガシュールの腹心ではなかったの? どうしてここに居るの? まさか……」
 ラモンから視線を逸らせて、シュザックを振り返った。
「ガシュールと……シュザック皇子は裏で手を取り合ってるの?」
「……っローレル!」
「いい!!」
 シーアは、何故ラモンが慌てて自分を止めようとしたのか、何故シュザックがラモンの言葉を遮ったのかは全くわからなかった。
 脳裏で渦巻く思考に、囚われていたからだ。
「シュザック皇子は、ルーガルの王女を正妃にと望んだ。でも断られたから、だからラモンに、ルーガルの女なら誰でもいいから掠ってこいと命じたの? 断られた腹いせに、ルーガルの女をハーレムに入れようと結託した。そういう事なの?!」
 シュザックの表情が変化した。
 ラモンも、ただひたすらシーアが身振りで憤りを表すのを眺めていた。
「ラモン……貴方の口から聞かせてよ」
 震える唇をギュッと真一文字にし、ラモンを見つめ返した。
 彼に真実を告げる機会を与えたのは、何ヶ月も側に居て、他の盗賊たちから身を守ってくれたからだ。
「俺の名は、ギルバード・ラモン=コンサー。ガリオン帝国皇太子に忠誠を誓い、その為だけに働いてる。だからといって、ローレルを連れ去ったのは皇太子殿下の命ではない。俺は、身分を変えて盗賊ガシュールの群に潜入、且つ安全な陸路を辿ったまでの事。ローレルを掠ったのはガシュールだ。だが、ガリオンに売れば金貨が通常より手に入ると助言したのは俺だ」
「どうして……どうしてそんな事を!」
「いろんな男の手から手へと輪される娼婦となって良かったのか?」
 後方から、シュザックの声が響いてきた。
 シーアは、ギュッと拳を強く握った。
「わたし、言ったわ。逃がしてくれたら、家族がお金を払ってくれるって。どうして、そうしてくれなかったの? ガシュールの部下でなかったなら、出来た筈よ。ラモン、貴方なら!」
 ラモンは肩を竦めた。
「俺も、命が欲しいからね。安全な道を選んだまでだ。だが、良かっただろ? いろんな男の相手をする娼婦として働くより、殿下から寵愛を受ける方が、女として最高の幸せだ」
 殿下からの寵愛……、これではルーガルとあまり変わらない!
 
「もういい、ギル」
 ラモンは、シュザックに言われて一度口を閉じたが、再び口を開いた。
「ローレル、ここでは俺をギルと呼んでくれ。ラモンは……あまり通用しないから」
 ラモンこと、ギルはシュザックに向かって頭を垂れた。
「楽しい会食をお邪魔してしまい、申し訳ありませんでした」
「まだ話は終ってないわ!」
 そのまま去ろうとするギルを睨みながら、シーアは言った。
「女としての幸せを誰かに与えて貰いたいなんて、一度も頼んではいないし望んでもいないわ」
 シーアは振り返って、シュザックを見た。
「シュザック皇子の寵愛なんて、わたしはいらない。わたしは、ただ国に戻りたいだけ。家族の元に帰りたいだけよ。わたしを買った値段を、家族に言えば……必ず元金が戻ってくるわ。そうすれば、お互い気持ちよく何もなかったように過ごせる。そうでしょ?」
 シーアは自分で言っておきながら、その言葉にどれほどの思いが含まれているのかわからなかった。
 シュザックは、シーアの全てを覗き込むかのように視線を逸らさなかった。
 返事がないところをみて、シーアはシュザックが了承してくれたものだと思った。
 これで、国に帰れる。家族の元へ帰る事が出来る。
「……必ず、損はさせないわ。きちんとお金は返します。絶対に。明日発ちます。それでは」
 ドレスの裾を持ち上げて、凛とした姿勢で出入り口に向かった。
 あぁぁ、この身に何事も起らなかったなんて……乙女のまま無事に帰れるなんて。
 
「ローレル、お前をそのまま国へ帰すと思うか?」
 
 幸福の涙が溢れ出そうになったその瞬間、シーアはシュザックの言葉でその場に凍りついた。
「……お前が気に入った。気品漂う身のこなし、物怖じしない話し方、目を奪われる程の美しさ……全てにおいて、俺を強く惹きつけたお前を手放すとでも?」
 シーアは口元を強ばらせながら、ゆっくり振り返った。
 シュザックは寛いでるように手を腰にあてていたが、双の瞳には強い意思が宿っていた。
「損はさせないと言ったな。お前を手元に置いて、十分尽くしてもらおう。そうすれば、」
 シュザックは、ゆっくりシーアに向かって歩き出した。
 凍りついたままのシーアの前まで来ると、そっと片手で腰を抱いた。
「ローレル、ここに来て良かったと思うだろう」
 シーアは大きく息を吸った。
 乳房が、シュザックの衣に擦れる。
 彼の温もりが、肌を通して伝わってきた。そして、とても男らしい香いも。
 躰を引き離したかった。一歩後ろに下がって距離を置きたかったが、金縛りに遭ったように躰を自由に動かせなかった。
「今夜、ハーレムに戻る事は許さない。これは命令だ。……緑晶の間をローレルに与える」
 ハーレムに戻れない? 緑晶の間? 何、どういう事なの?
 混乱したままのシーアの表情を覗き込むと、シュザックは満足気にニヤッとした。
 そして、ゆっくり腕を解くとシーアをその場に残して、部屋から出ようと歩き出した。
 何か言わなければ!
「シュ、シュザック皇子!」
 掠れた声が漏れた。
「そうだ、言い忘れていた」
 シュザックは、歩を止めるとゆっくり振り返った。
「いつか、訊かせてもらうぞ。何故、ルーガル王家の機密にまで精通しているのか……な」
 その言葉に、シーアは思わず目を見開いてしまった。
 そんなシーアを見てシュザックは微笑んだ。
「これから、楽しくなりそうだな」
 そう言うと、シュザックはカーテンの向こう側にある回廊へと消えていった。
 
 その場に、シーアとギル、侍女たちを残して……

2005/11/27
  

Template by Starlit