「そこの貴女」
シーアはふと顔を上げる。視界には、いつの間にかできた人だかりが入った。
「えっ?」
「新参者の貴女の事よ」
シーアは、ドレスから……目の前で口を開いた女性が一番格の高い娼婦ではないとわかった。
シーアと同じように、質素な宝石で纏めていたからだ。
「わたしが何か?」
その女性は、綺麗な顔で満足そうに微笑んだ。
「貴女の居るその場所は、この宮殿で一番格の高いアリーシャさまの場所なの。貴女のような方が、気軽に座ってもいい場所ではないわ」
シーアは、やっとその意味がわかった。
娼婦の中でも格の高い女性……つまり一目置かれてる女性には、好きな場所を自分のものに出来るのだ。
そして、今まさに座るこの場所は、その女性のお気に入りの場。
「ごめんなさい、知らなくて……」
「何を騒いでるの?」
優しい声音が響くと、周囲の人々が一瞬でその場を開けた。
シーアの前に人垣の通路が出来、その向こうにはとても美しい女性が立っていた。
先程の女性が言った意味が、ようやくわかった。
彼女こそ、 “一番格の高いアリーシャさま” なのだ。
シーアが立ち上がると、何故かアリーシャは唇を震わせた。
しかし、美しい顔に微笑みを絶やす事なく、静かに歩み寄ってきた。
「わたくし、今日はローレルさまと話をしたいわ。さぁ、皆様方はお好きな事を」
鶴の一声というように、アリーシャの言葉は周囲を従わせた。
シーアは、彼女を観察した。
わたしの髪とはまた違い、黒い髪が肌の白さを際だたせている。とても目を奪われる女性だわ。
漆黒の瞳はキラキラしていて、睫毛も長い。乳房も盛り上がり、この国独特の衣装で魅惑的だ。
このような女性が娼婦だなんて……。
こういう素敵な女性がいるのに、どうしてガリオンの皇子はルーガルの王女を求めるの?
自国にも素晴らしい女性がいる……という事を知らないんじゃないかしら?
もちろん、娼婦を一国の妃にするワケにはいかないとは思うけれど。
いろいろ考えるシーアを、アリーシャはただ見つめていた。
「そろそろいいかしら?」
シーアはハッと我に返った。
「さぁ、座って。いろいろお話しがしたかったの」
優雅に座る彼女の隣に、シーアも腰を下ろした。
「わたしは、アリーシャよ。噂では、あなたはローレルさまというのよね?」
「えぇ」
「ずっとお部屋に閉じ籠ってばかりで、退屈だったでしょう?」
退屈? ……そう確かに退屈だったと言える。
ルーガルでは、いつも太陽の下で走り回っていたから。
でも、そんな生活をここで送れる筈がない。
幸せだからこそ、何も考えずに飛び回る事が出来たのだから。
「わたし、どうしても貴女とお話がしたかったわ。ここの宮では、噂が飛び交い……わたしの所へ問う方も大勢いたから」
髪に飾った宝石が揺れて、綺麗な音が響き渡ったかと思うと、アリーシャがシーアの白い手を握り締めていた。
「教えて欲しいの。貴女が、奴隷市の競りに出されていたというのは、本当の事? その貴女を……ホークさまご自身が求めたというのは、事実なの?」
ホーク、さま?
シーアは呆然となりながら、アリーシャを見つめ返していた。
アリーシャの瞳には、苦悩が見え隠れしていた。
何をそんなに案じているの? ホークさまとはいったい誰?
シーアは、先程の話をもう一度思い浮かべるが、よくわからなかった。
そして、何が彼女を不安にさせているのかもわからない。
ホークさまという方と、何か関係が?
もしかして、アリーシャさまはそのホークさまという方を想われてる?
まさかっ!
でも、わたしを買ったのは獰猛な鷹<ホーク>を思わせる男。
アリーシャさまが気にされてるのは、わたしを買った男。
もしかして……この二人は同一人物?
シーアは、アリーシャの潤んだ瞳を見つめ返した。
「あの……わたしは、アリーシャさまが仰しゃる “ホークさま” という方を存じてはおりません」
「えっ?」
「わたしは、誰に買われたのか知らないんです。恥ずかしい思いをさせられて、一人の男に買われた。ただそれだけなんです」
アリーシャは大きな胸の上に、手を置いた。
「……どういうお方でした? ローレルさまを買われた男というのは、どういう風貌をしてましたの?」
どうしてそこまで気にするの? どうしてあの館主にこだわるの?
ハンサムという言葉には相応しくない男だった。でも、彼には威圧するような力が備わっていた。だからこそ、目を惹きつけられた。
あの筋肉にしてもそうだ。大きな体躯に驚きながらも、目を逸らす事は出来なかった。軽くあしらう事さえ出来なかった。
シーアは、思わず躰を震わせた。
「ローレルさま?」
シーアはハッと我に返り、隣の美女を見つめた。
「あの……」
「お話し中失礼します。……ローレルさま、お支度を」
侍女が二人の間を割ったと同時に、シーアの心臓が飛び跳ねた。
彼と対峙する時が、一刻一刻と迫ってきたのだ。
シーアは立ち上がった。
「ローレルさま! もしや……お呼びがかかったのですか?!」
「えぇ、アリーシャさま。中座してしまう事をお許し下さい」
顔を青ざめてシーアを見つめるアリーシャを不思議に思いながら、シーアは裾を翻して部屋へと歩き出した。
憎々しげに見つめる他の娼婦たちの視線を、一身に浴びながら。
「それはいらないわ」
「でも、」
シーアは頭を振った。
侍女が差し出す豪華な宝石を指した。
「どうして着飾る必要があるの? わたしはただ館主と会うだけでしょう? ……彼は、着飾らないわたしを買ったの。だから、無理して宝石をつける必要なんてないわ」
「ですが、」
シーアは立ち上がって、侍女に視線を向けた。
耳飾りが揺れてきらびやかな音が鳴る。
そして、この国の独特な衣装で露に持ち上げられた乳房も揺れた。
思わず両手で隠したくなるのを、意志の力で押し止めながら、裾を持った。
「湯に入れられ、香油を擦り込まれ……もううんざりなの! ……あぁ、わかってるわ。あなたたちはただ命令に従ってるだけって。でも、わたしは嫌なのよ。こういう……」
シーアは身振りで部屋を示し、傅く侍女や豪華な衣装に宝石までも指した。
「はぁ〜。今夜、きちんと言うわ。あなたたちの手はいらないと。きらびやかな衣装も宝石も……こんなにはいらないって」
そう、娼婦として働く時がくれば……少しは着飾ってもいい。それで油断が生まれるのなら、わたしは嫌々宝石に身を包む。
でも、身を売る時以外は、わたしを自由にさせて欲しいの。
「しかし、ホークさまは、」
ホーク!
シーアは、目を大きく開けて、侍女に一歩詰め寄った。
「この館の主は、ホークというのね? 彼は、わたしを買った人物と同じなの?」
侍女は眉間に皺を寄せて、戸惑った表情を見せた。
「あの……」
はっきりと返事をしない態度に、シーアはイライラしてきた。
どうして、打てば響くような言葉を返せないのかしら。
シーアが訊きたい事を言えば、家族や兄弟たちはきちんと答えてくれた。
それがどんなに我が儘な物言いであっても、正しい答えをもって導いてくれた。
「いいわ。もうすぐ会えるんだもの。わたしがしっかり見極めてくる!」
と同時に、迎えの使者が現れた。
「ルーガルのローレルさま、主館の方へご案内させていただきます」
来た! とうとう、会うんだわ……。
シーアは顎を引いて背筋を正すと、両手を胸の下で組んだ。
侍女たちは、シーアの凛とした佇まいにハッと息を飲んだが、シーアはただ前だけを見据えて歩き始めた。