緑溢れる庭園、その中央にある噴水……そして、至る所にいる美しい女性の華の群れ。
シーアは、宛われた一室の豪華な絨毯の上に、一人ポツンと座り込んでいた。
先行きの不安と悲しみで、心が押し潰されそうだったのだ。
だが、同じ苦しみを抱いてるここの宮の女性たち……は、明らかに楽しそうだ。
開いている小窓から聞こえくる女性たちの笑い声は、それを裏づけている。
シーアは、思わず両手で耳を塞いだ。
いろんな男性に身を売っているのに、どうして楽しそうに出来るの? 理解出来ないわ!
わたしには、いつ呼び出しがくるの?
こんな不安を抱かせようとするのは、あの獰猛な鷹<ホーク>を思わせた、館主の命令なの?
あの日から7日経とうというのに、彼はわたしの前に一度も現われない。
あの巨漢男に未知なる感情を抱かせられた後、彼は何も告げる事なくその場を立ち去った。
シーアは、彼から目を逸らさずに睨みつけていたが、迎えに来た一人の女性に中断させられ、この豪華な館に連れて来られたのだ。
案内された大きな一室には、巨大な天蓋ベットが一つ・櫃・テーブル等が置かれてあった。
物珍しそうに回廊から覗いてきた美しい女性の華の群れには、一切視線を合わせず無視を決め込んでいた。
シーアのそんな態度は、確実に反感を買った。
しかし、シーアにはどうでも良かった。
価値観の違う彼女たちと馴れ合う事は、はっきり無理だとわかっていたからだ。
シーアは、唯一自分のものといえる指輪に視線を落としたた。
それは、次兄・ローガンから贈られた宝石の一つ。
大きな一粒の宝石よりも、可憐で愛らしい物を好むわたしの気持ちを尊重して、わざと大きな石を割り、小花のように宝石を埋め込んだ指輪を贈ってくれた。
シーアはその指輪を抜き取ると、特殊な技巧で裏に掘られた紋章を見るように陽にかざした。
それは陽にかざすとはっきりと浮かび上がる……ヴィンセント家の紋章。
ギュッとそれを掌で握り締めた。
わたしは、ヴィンセント家の娘。何が起ころうとも、誇りだけは決して失わないわ! たとえ、この身が汚されようとも。
シーアは、再び指輪を元の位置に戻した。
側には、館主から贈られたという宝石があったが、シーアはそれら全て無視した。
「ローレルさま、今宵ご主人さまがお会いするそうです。身を清めてお待ち下さりますよう」
この館付侍女の一人が、シーアの元へ伝言を届けに来た。
今夜……、人を見下すように見つめ、無理やり唇を奪った<ホーク>に、やっと会えるんだわ。そして、わたしの働きを求めるのだろう。
従順に応え、接し、相手の歓びを高めるように言うんだわ。
乙女の儀式に立ち向かう前に習った性の事を思い出すと、恥ずかしさで顔が赤くなるのがわかった。
『貴女たちは乙女の儀式を受け、いつの日か夫となる男性に身を捧げるでしょう。初めて男性を受け入れる時、貴女たちの意志を確かめるように、神が問いかけます。それは激しい痛みを伴いますが、その男性を愛してるのなら、その痛みに耐える事が出来るでしょう。耐えたあとは、素晴らしい幸福が貴女たちを包み込み、今まで知らなかった花園へと導きます。しかし、そこへ行くには、貴女たちの努力も必要です。さぁ、それを一つ一つ解き明かしていきましょう……』
兄たちがいたせいで、男の性については早くに知っていた。でも、それを知っているのと自分が体験するのとでは、全く違う!
シーアは、この7日間を無駄に過ごしているワケではなかった。
確かに、この館にいる美しい女性たちを無視してはいたが、実はそれよりももっと真剣に周囲を伺っていた。
ここにいる女性のように……喜んでベッドに入り、男性を手招きするような真似はしたくない。売られたとわかってはいるけど、その運命から逃れようと意志を強く持てば、何だって出来る筈だわ。
この運命を無理やり受け止めながらも、シーアは必死に立ち向かい……逃れる道を探していたのだ。
そういう事から……いつ、どの門が開くのか。どうすればあやしまれないか。
外へ抜け出す道はあるのだろうか。女性ばかりの群れから、逃げ出すにはどうすればいいか、と常に考えていた。
その努力の甲斐あって、シーアは一つの通路を見つけ出した。
もし、シーアの考えが正しければ……その扉は3日後に開かれる筈!
それまでの辛抱よ、シーア!
シーアは自分を励ますと、意を決するように立ち上がった。
周囲の状況を確かめる為に、行動を起こす時がきたのだ。
この館には、もちろん男性はいない。
そうよね、娼館に男性がいるワケないわ。
部屋から廊下へ出ると、庭園にいた麗しき女性たちが、一斉にシーアを見つめた。
シーアはおずおずと微笑んだが、最初のイメージが悪かったようで、鼻高々にそっぽを向かれた。
まっ、仕方ないわよね。わたしも好感が持てるような態度をとらなかったのだから。
ため息をつきながら、シーアは噴水の近くにある木陰の長椅子に腰を下ろした。
真珠色の長いドレスを着た下働きの女性が、シーアの元にお菓子とジュースを置いた。
「ありがとう」
感謝の言葉を聞いたからか、その女性はビックリしたようにシーアを見上げた。
シーアは苦笑いを浮かべながら、ジュースに手を伸ばした。
「喉が渇いていたの」
女性は逃げるように立ち去った。
何がいけなかったのか、さっぱりわからない。
シーアは再び周囲を見回した。女性のグループがいくつかに分かれているという事は知っていたが、その階層も様々のように見て取れた。
輝くばかりの宝石を身につけ、金糸で縫われたドレスを素敵に着こなす女性を筆頭に、輪が出来てるように見える。
たぶん、その女性たちは高給娼婦なんだわ。
男性への手練手管にも長けていて、この宮殿に大金を齎してくれる女性。
だからこそ、あの獰猛な館主から大切にされている。
妙に胸が騒ぎ出した為、シーアは気持ちを一掃するかのように顔を背けると、息を吐き出した。
あんな男の事、考えるまでもない! 淫らに肌を晒したわたしを抱きしめ、そして唇を奪ったあんな男。なのに……
シーアは、手でゆっくり唇に触れた。
大きくて、怖そうで……威圧感たっぷりで……まるで逃げ惑う動物を一瞬で射止めるように、わたしに触れた<ホーク>。
鋭い爪がわたしを抉ったのは確かだ。乱暴で粗野で……荒々しいキスをしたのだから。だけど、わたしはあのキスを忘れる事が出来ずにいる。
繊細なドレスの下で、乳首がキュッと固くなるのがわかった。
シーアは頬を染めながらも、恥じるように足を胸に引き寄せた。
いや、いやよこんなの!
乱暴な行為だったと頭ではわかってるのに、躰が勝手に反応する。
それも、よりによってわたしを娼婦として買った男を相手に、躰が裏切るなんて!
こんな症状、知りたくないわ。
知識として知る以前に、戻りたい。……帰りたい。国へ帰りたい。