背筋を伸ばし、胸を張って歩く乙女たちが……一人、また一人消えて行くのを、シーアは絶望するかのように震えながら見つめていた。
彼女たちは、贅沢がしたい為だけに、身を売るのを何とも思わないの?
信じられない。好きでもない男がをこの躰に触れるかと思うと……恐怖がどんどん溢れてくるというのに。
もし、もしわたしがランドルフ王子にこの身を与えていたのなら……それならわたしは、ココで乙女として売られていなかったのだろうか?
でも、わたしはランドルフ皇子に抱かれたくなかった!
予言と周囲からの圧力でわたしを手に入れようとした王子の正妃になど、絶対なりたくはなかった。
わたしを……本当のわたしを愛してくれる人なら、わたしはどんな人でもその腕の中に飛び込んだ事だろう。
愛し愛されるのなら、たとえその人が街人であろうとも。
「ローレル、あなたの番ですよ」
シャノン・リーが、シーアのむき出しの肩にそっと触れる。
髪結いで痛めてる筈のその手は、何故か柔らい感触を伝えてきた。しかし、その理由を考えている余裕はない。
シーアの頭の中は、売られる事・娼婦に貶められる事だけが渦巻いていたからだ。
「シャノン・リー、わたし、」
彼女は頭を振り…シーアの言葉を遮った。
「いいえ、何も仰しゃいますな。いいですか? このシャノンが言った事を、くれぐれもお忘れになられませんよう」
母と言うには若過ぎる、姉と言うべき存在だろうか。
兄しか持たないシーアにとって、シャノン・リーの存在は、絶大なる場所に入り込んでいた。
縋るようにシャノン・リーを見つめるが、どうなるわけでもない。
シーアは、この運命を受入れるしかなかった。
でも、いつか絶対逃げてみせる……必ずルーガルへ戻ってみせる!
そう決意を漲らせると、シーアはゆっくりと優雅に立ち上がった。
裾捌きは流れるように、歩を進める。
その姿は、まさしく凛とした貴族の立ち振舞いだったが、それに気付くものは誰もいなかった。
だが、シャノン・リーだけは、その姿を潰さなく見つめていた。
「ルーガル出身のローレルですね?」
カーテンに立つ女性が確認を求める。
「…はい」
視線を下に向けて、小さな声で答えた。
「それでは、前へ進み出て下さい」
とうとう、始まるんだわ! わたしの……運命の扉が開かれる。
予言とは全く違った運命が!
「ルーガル出身のローレル、16歳。あの噂に名高いルーガルの乙女! この美しさは何処を探しても見つからないでしょう」
シーアは瞼を閉じ、舞台の中央でひっそり佇んでいた。
荒れ狂う気持ちを無理やり抑えつけ、この男の言葉も遮断した。
ただ、この場が一刻も早く終わる事を願って。
「これほど希少価値のある乙女は何処を探しても見つかりはしないでしょう。破格値ではありますが、1万ルドから始めさせていただきます」
えっ? 1万?!
その値段が耳に飛び込んできた為、シーアは思わずその男を驚愕の眼差しで見てしまった。
「おおっ!これは何と美しい瞳の色でしょう! まさしく……極上のエメラルドだ」
放心したように目を輝かせて言うその男から、慌てて視線を逸らせると、シーアの視界にテーブルについたたくさんの男たちが入った。
途端、会場内はどよめく。
「2万!」
「2万5千!」
どんどんつり上がるその値段と……男の欲望が剥きだしになったその視線に、シーアは恐怖に震え上がった。
恐れからか……一歩後ろに下がった途端、浅黒い屈強な男の腕に止められた。
シーアは、突然の接触にビクッと震えて、その男を睨む。
「離して……離しなさい!」
悲鳴に近い声を出し腕を振り払おうとしたが、その手は腕をどんどん締め上げる。
「うっ……」
その痛みに呻き、唇を噛み締めた。
その間にも、値はどんどん上がる。
「ルーガルの乙女ですよ! あの、噂の名高い女性だ。こんな素晴らしい女性を館に囲えば……」
「5万!」
「……5万3千だ」
この競りを統括する男によって、ざわめきは一層激しく沸き起こる。
どうしてこんな目に遭わなくてはいけないの?
感情が昂ぶり、双の瞼裏が熱くなる。
「男を悦ばせる色をしているのか、見せてくれ!」
突然、そんな言葉を投げつけられた。
その意味がわからないまま茫然としていると、腕を絞めていた男が……シーアの胸元を押し開いた。
「キャァー!」
半分しか覆われてなかった生地は緩まり、押し上げられた乳房が妖しく浮かび上がる。
その頂にある、誰も未だ弄った事のない見事なピンクの色に、周囲の男性から感嘆の吐息が漏れた。
この屈辱的な行為に、シーアは怒りと悲しみで躰を震わせ、恥ずかしさを隠すように下を向いた。
途端、涙が瞼から零れ…大粒の雫が床へと落ちる。
次に、男は白い滑々した肌を見せつけるように 、長い裾に手を伸ばしゆっくり持ち上げた。
肌に沿うようにゆっくり持ち上げられたからなのか、シーアの躰に妙な感覚が生まれた。
「やめて…もうやめて」
その奮えるような感覚から逃れるように、シーアは屈み込んだその男に言った。
しかし、その言葉は当然のように無視される。
わたしは、こんな事の為に生まれてきたのではない。
どうして…どうしてこんな酷い目に遭わされなければならないの?
「……50万だ」
その時、部屋の奥から……バリトンを響かせた大きな声が部屋に響き渡る
「ご、50万! これで決定です!」
大きなドラが、落とされた証拠に2回鳴り響く。
部屋は、一瞬で静まり返った。
その声の主が誰なのか……突然この競りに飛び入り参加した主が誰なのか、皆知っていたからだ。
ガリオン帝国現王・唯一の正統な後継者、シュザック・ホーク=ガリオン。
シーアは裾を下ろされホッとしたが、まだ剥きだしの乳房が残ってる。
しかし、浅黒い男は未だ腕を強く掴んで離そうとはしない。
シーアは、どこの娼館に落とされたのか気にしようとはしなかった。
何処の館へ行っても……スル事は同じだからだ。
ただ、50万という大金を支払うという事は、上質の娼館だと思った。
そして、その値段に見合う仕事を……させられると。
そんな時、この熱気に包まれていた部屋が、急に静かになっていたのに気付き、シーアは恐る恐る視線を上げた。
すると、暗闇の奥から、一人の見事な体躯を持った大きな男が、正面にいるシーアだけを見つめて……前に進み出てきた。
シーアは、濡れた瞳で用心深く観察するが…今までにない戦きが胸の奥で生まれたのを、感じ取っていた。
彼の外見が、そうさせるのかも知れない。
短く刈られた真っ黒な髪、その下にある太い眉と鋭い瞳、筋肉が見事ついたその体躯は、雄々しさを漲らせていた。
その男が側へどんどん近寄ると、その体躯の大きさも増すように感じさせられた。
スローモーションのようなその登場に、シーアは目眩いを覚えながら一瞬瞼を閉じ……再び気力を持って瞼を押し上げる。
その男は、既にシーアの目の前に立っていた。
黒いマントに黒い衣装……まさしく獰猛な鷹<ホーク>を感じさせた。
狙った獲物は、離さないというホークに。
いつの間にか、側にいた男が後ろに下がり両手が自由になっていた事に気付いた。
すぐに両手で露な乳房を隠すと同時に、目の前の男が自らのマントを脱ぎ、シーアの肩から覆った。
すぐに前を掻き合わせ、頬を染めながら肢体を隠した。
しかし、視線だけは決して逸らせようとはしなかった。
「……お前は、一生俺のものだ」
そう囁くと、彼はシーアの顎を強く捕らえ、覆い被さってきた。
今までされた事のないキス……乱暴でただ刻印を押すようなキス。
シーアは、その行為から逃れる為に彼の唇を噛んだ。
「っつ!」
男の唇に、赤い血が滲む。
「このじゃじゃ馬が。……だが、俺は乗りこなしてやるぞ。覚悟しておくんだな」
射るような視線に、シーアは思わず逃げるように瞼を閉じた。
この男を見て、妙な目眩いを感じた事……傲慢なキスをされたというのに、突然降って沸いたようなザワザワと騒ぐ…妙な感覚を覚えたという事を、瞳から読み取られたくなかったからだ。
今まで、そんな感覚を味わった事はなかった。そう、ランドルフ王子とのキスでさえ。
こんなにも傲慢で、一人よがりのキスなのに!
逃げてはいけない。
これから、この主人の元で娼婦として男に躰を売るんだから。
娼婦として……
様々な男の手が、この我が身に触れるのかと思うと、再び涙が込み上げてきた。
だけど、この男の前で絶対涙は見せたくない。
勇気を振り絞り、潤んだ目を開けた。
正面にいた男は、動く事もなく……ずっとシーアを観察していたようだった。
シーアはそれに負けないよう、奥歯を噛み締め睨み返した。
これが、シーアローレルとシュザックとの出会いだった。
水晶球が動き出した……という事を、シーアはまだ知るよしもなかった。