敦家は千珠と目が合うなり、これ見よがしに頬を緩める。
「参内で泰成と顔を合わせた時に話をしたんですよ。最近、西洞院へのお渡りが少ないとか……もしや堅物を返上して、どこぞの姫の元へ通われているのでは?≠ニ。彼は物忌みが重なって白桜邸から一歩も出てはいないと、公達の間で噂されていたのでね。それで本当なのかどうか、直接訊いたのです」
敦家の話に、隣にいる小牧がそわそわし出す。
気にならないと言えば嘘になるが、彼女の態度よりも彼の話を訊きたい方が先だった。
「あの……西洞院って?」
千珠は彼の話を聞こうと身を乗り出す。
「ご存知ではない? 泰成の北の方、暁の姫のことではありませんか! 春日権大納言の姫ですよ」
「ああ、そう。北の方ね」
初めて聞く西洞院≠ニ春日権大納言の姫≠頭の中にインプットする。
「私は泰成の北の方を存じ上げないが、彼が北の方よりも千珠姫の傍を離れたがらない理由がわかる気がします。姫と話すたびに、どんどん心があなたに傾いてしまう」
また臭い台詞が始まった――と千珠の眉間に皺が寄ったその時。
「敦家、貴様っ!!」
突然、怒鳴り声が聞こえた。
でも、この声は……?
千珠は、声のした方向へ目を向けた。
孫廂に立っているのは、肩で息をする泰成だった。
彼はすのこ縁に出てくるなりドタドタと足音を立て、こちらへ駆け寄ってくる。
「小牧! 何故几帳を出さないんだ!」
「は、はい! ただいますぐに!」
憤怒を隠そうとしない泰成が、千珠と敦家との間に割って入る。
「おっ、泰成……どうしていきなり帰ってきたんだ?」
「敦家……、貴様の姿が見えなくなった時、おかしいと思ったんだ! 私に通う姫ができたのかと何度もしつこく訊いていただろう。その敦家が姿を消せば……自ずとわかるものだ」
「私が、どこぞの想い姫の元へ通ったとは思わなかったとは……さすが幼いころからの友人だな」
「こんなことをする敦家と私が友人!?」
泰成と敦家は、千珠が傍にいてもお構いなし。ふたりは楽しそうに言い争いを続けている。
ここにいても、意味ないだろう。関係ないし……
千珠は小さく吐息をつくと、すくっと立ち上がった。
衣擦れの音に気付いたのか、男性ふたりは急に口を閉じて千珠を仰ぎ見る。
どうしてそんな風に驚くのかわからず、千珠はふたりの顔を交互に見やった。
「あの……わたし、失礼しますね。おふたりでどうぞ仲良くしてください」
小首を傾げてにっこりするが、ふと視界に春の花が咲き乱れる庭園が入った。
先に来てこの景色を楽しんでいたのは、わたしだったのにな――そう思った瞬間、何故か無性に腹が立ってきた。
外に出られない女性の楽しみを奪うなんて、最低な人たち。
唇を尖らせてそっぽを向いた時、几帳を持つ小菊を従える小牧と視線がぶつかる。
千珠の表情を見て、彼女はびっくりしたように息を呑んだ。慌てて口を閉じるものの、居心地悪そうに、千珠の後方にちらちら目をやる。
きっと泰成と目で会話しているのだろう。
このままでよろしいのですか? ――とかなんとか。
「小牧。それはもういいわ。もう局に戻るし」
「せ、千珠?」
泰成は狼狽しているのか、千珠の名を呼ぶ彼の声が上擦った。
ここでふくれっ面をしても仕方がないので、千珠は振り返ってニコッと作り笑いを浮かべた。
「わたしは小牧と一緒にお茶をいただいてくるから」
千珠は自分のしたいことをすると宣言したが、やはりまだ腹の虫が治まらず、彼らに背を向けると鼻に皺を寄せた。
そんな千珠を目にした小牧が、口元を袖で隠してクスクスと笑う。
泰成の態度におろおろしていたのに、千珠を見て少し肩の力が抜けたみたいだ。
良かったと思いながら、千珠は小牧にシッと口元に指を立てて、女同士の目配せを交わす。
千珠の意味をくみ取った小牧は、すぐに居住まいを正した。そして千珠が小牧の傍へ近づくのを、脇に立って待ってくれている。
早く小牧の傍へ行って、ここを立ち去ろう。
彼女の方へ歩き出したその時、後方から風に乗って男性ふたりの話し声が聞こえてきた。
「泰成。内裏で言っていたように、今夜は西洞院へご機嫌伺いに行くのだろう?」
「……ああ」
「そうだよな。泰成が白桜邸に籠もったのは、どこぞの姫との逢瀬を楽しんでいるせいだと噂になるぐらいだからな。……まあ、私はその噂が真実だったとこの目で見たわけだが」
「敦家……」
「わかった、わかった。そんな怖い声を出すなよ。とにかく、姫のあしらい方は私の方が詳しい! いいか、北の方の地位は正妻として安泰だ。他の姫を妻に迎えても、北の方の体面を保ってやれば許してくれる。今夜はいつも以上に可愛がってあげるんだ。時間をかけて、執拗に、何度も声を上げさせて鳴かせるのが――」
千珠は唇を強く引き結び、拳をギュッと作った。
当然その話は小牧にも聞こえていたみたいで、心配そうに千珠を窺う。
「千珠さま……」
「大丈夫、わかってるから……。ただあの口だけの敦家には言われたくないけど」
千珠の物言いに、小牧はびっくりして目を大きく見開いた。
廂(ひさし)を渡り、あてがわれた局に入るなり、茶菓子が載った折敷(おしき=お盆)を持つ小菊が入ってきた。
千珠が座ると、その横にそれを置く。
「さあ、お茶をいただいたら、布団の柄を決めよう!」
「そ、そうですわね」
小牧は無理をして、千珠の話に合わせてくれているのだろう。
その気持ちに感謝しながら、小牧と小菊に微笑んだ。
「いらなくなった反物でも少しずつつなげたら素敵に仕上がると思うの。わたしの時代ではそれをパッチワークと言ってね――」
千珠はいらなくなった端切れをつなげて作り上げる方法を説明した。
すると、小牧と小菊が急に目を輝かせてた。
「小牧も、千珠さまのお国で使う布団とやらを使ってみたいですわ」
「一緒に作ろうね。小菊もね」
「は、はい!」
可愛らしく微笑む小菊に、笑みを返す。
本当はこのまま布団の話題を続けて、気持ちをまぎらわせたらいいのに、ふと口を閉じれば、泰成と敦家の会話が脳裏に浮かんだ。
今夜はいつも以上に可愛がってやるんだ。時間をかけて、執拗に、何度も声を上げさせて鳴かせる
あれほど嫉妬はしないと誓っていたのに……
千珠は碗を持ち、見るともなしに茶を眺めていた。