色取り取りの花が咲いて目を楽しませる庭園、水鳥が水面を泳いでいる池。
お風呂からこの景色を眺められたら、それもまた粋だろう。
露天風呂とまではいかないが、それでもリラックスできるに違いない。
それらを見ていた千珠は、ゆっくり小牧に目を向けた。
「わかった。泰成さまにお願いしてみるね。わたしの望みを叶えてくれるかくれないかは別として、こういう話をして、わたしのことを知ってもらわないと」
「ええ、そうですわ! 千珠さまの世界を少将さまにお話してくださいませ。きっとこれまで以上に興味を持ち、千珠さまのお気持ちを理解してくださいますわ」
それはどうだろう……
千珠は特に何も答えず、ただ苦笑いした。
確かに泰成は千珠が話しかければ、きちんと耳を傾けてくれる。
うるさいと邪険に扱ったり、居心地悪くなって局から逃げたりすることはない。
だからと言って、泰成がそうやすやすと千珠の頼みをきいてくれるとは思えなかった。
彼は千珠が居心地良く暮らせるよう気を配ってくれるものの、意外と頑固な面もあり、ダメなものダメだとはっきり口にする。
まず、白桜邸にあるあの桜へ近づくのを絶対に許してくれない。人が集まる市を見たくて外に出たいと頼んだのに、即却下。
そして、セックス。3日間連続して千珠の局に忍んできたが、どの日も一回で終わらなかった。
恥ずかしさで頬を染めながらも、千珠がこれ以上はもう無理!≠ニ言ったのに、彼は行為を止めなかった。
さらに彼が自分の局に戻る暁(午前3時〜5時)になるまで、千珠をその腕に抱いて離さない。
それはたぶん、千珠を想ってくれているせいだろう。
そう考えると、いろいろしてくれそうな気がする。でも、ひとたび泰成の意に沿わないことを言えば、決して聞き入れない。
慎重に、且つ冷静に。泰成にとっても利点があると伝えなければ……
「ああ、もう!」
こんな風に悩んだところで、どうなるわけでもないじゃない。気持ちを切り替えよう――そう思うものの、閉鎖空間に居続けたら考えも後ろ向きになる。
たとえ広大な邸にいても、これでは籠に囚われた鳥となんら変わらない。
「こんなにいいお天気だったら、どこかへ行きたい! いつもだったら京都駅に行って買い物したり、鴨川で日向ぼっこしたりするのに!」
千珠にできるのは、すのこ縁に座ってただボーッとしているだけ。
千珠は大きくため息をつき、肩を落とした。
「仕方ありませんわ。どこかの殿方に見初められでもしたら、蔵人少将さまは気が気でなくなりますもの」
「見初めるって……」
千珠は呆れたように言うものの、小牧の言葉は的を射ているかもしれない。
あの何事にも動じない泰成が、ここまで独占欲を露にし、邸の奥深くへ閉じ込めようとするのは、誰に合わせないためとしか思えない。
でも、誰かと会ったからといって、恋に落ちるわけでもないのに……
「はあ〜」
「それほど少将さまのお心を掴んでいるということですわ! ああ、なんて羨ましいのでしょう! 小牧も殿方から恋文をいただきたいです」
その後も女同士でする話を交わしたり、小牧が呼んだ下女に、布団について講義らしきものを繰り広げたりして、千珠は彼女との時間を過ごした。
未2刻(午後2時〜)になったころ、小牧が千珠のために茶菓子を取りに立った。
千珠は高欄(こうらん=手すり)に肘を載せ、そこに顎を置いてポツンと庭園を眺める。
真昼間にじっとするなんて、今までしたことがないせいか、躯がむずむずして仕方がない。
もし、ここから下へ降りて外壁へ向かって走り、外へ出たら、泰成はどう思うだろう。
お転婆だと罵る? それとも顔面を蒼白にさせて心配する?
「わたし、家を抜け出すのって結構昔から得意なんだけどな……」
独り言を呟いたその時、どこからかザッザッ……と石を蹴散らす音が聞こえてきた。
この局に足を踏み入れて以来、初めて耳にする異変の音。
「な、何?」
音が聞こえる方向へ、恐る恐る顔を向ける。続けて「お待ちくださいませ!」と焦って叫ぶ男女の声が響いた。
その音と声が、どんどん大きくなってこちらへ近づいてくる。
いったい何事!?
千珠は息を呑み、周囲に目をやる。どこを見ても女房の姿はなく、風に揺れる木々と、厳かな邸しか目に入らない。
この音の正体がなんなのか判断できないからこそ、不安に駆られていく。
「こ、こま――」
小牧の名を叫ぼうとした瞬間、寝殿の角から男性が飛び出してきた。
その男性は、泰成のような直衣(のうし)を着て、烏帽子(えぼし)をかぶっている。
彼は千珠を目にするなりピタッと足を止め、目を大きく見開いた。
彼は、いったい誰? 泰成の兄弟……とか?
「少将さま!」
「お待ちくださいませ!」
男性の声に続き、女性の声が再び響く。すると、直衣姿の男性の後ろに、従者らしき男性と面識のない若い女房が現れた。
彼女は千珠の姿を目に留めるなり息を呑み、慌てて身を翻して視界から消えた。
男性ふたりの前に取り残されて、千珠は生唾をゴクリと飲み込む。
傍には、頼れる小牧はいない。
たったひとりでこの時代の人物を相手にしなければいけないと思うと、正直不安でいっぱいだ。でも、誰にも助けてもらえないのなら自分でなんとかするしかない。
その時、男性が動き出し、千珠の方へ近寄ってきた。
すのこ縁に座る千珠は身構えるものの、彼の表情を見て躯の力が抜けていった。
何故なら、彼はこれでもかというぐらい笑みを顔に張り付けていたからだ。
まるですみません、少し時間いいですか?≠ニ声をかけてくるナンパ師と似ている。
千珠は笑いそうになったが内頬を噛んでそれを堪え、傍で立ち止まってこちらを見上げる彼に視線を落とした。
「これはこれは……なんと麗しい! その姿から芳しい香りが匂い立つほどだ」
「は? はぁ……」
歯の浮く台詞からは、全く彼の本音が伝わってこない。
まるで、男性誌のこうやって女性を口説こう≠ンたいな特集記事を真似しているようだ。
そういう雑誌が、この時代にあるかどうかはわからないが……
「姫の御髪もとても艶やか……艶やかで? ……ん、えっ!?」
男性がハッと息を呑む。そして残念そうな、それでいてどう反応すれば相手の気を悪くさせないかと悩んでいる風の表情を浮かべた。
千珠にしては長い方だが、この時代の童女のような髪型に驚いたのだろう。
プレイボーイの仮面がガラガラと崩れ落ちるのを目の当たりにして、思わず千珠はプッと噴き出した。