―― 8月。
いつしか、世間でいう夏休みが過ぎようとしていた。
将来を誓い合った二人なら、残暑をも吹き飛ばすようなラブラブっぷりで、きっとデートも楽しいに違いない。
だが、亜弥の微笑みは曇っていた。
人目を惹く高原の隣に並べるだけで、亜弥は幸せだと思わなければいけない。薬指には、愛の証も輝いているのだから。
しかし、亜弥と高原の間には……言いようもない溝が確かに存在していた。
どうして、あたしを求めようとしないの? どうしてホテルに連れて行って抱きしめてはくれないの?
苦悩を秘めながら、亜弥は遠慮深く高原の腕に手を絡ませていた。
出会ってから3ヶ月後にはプロポーズされ……それから4ヶ月も経とうとしているのに、どうして二人はキスと愛撫までなんだろう?
この事が、亜弥を苦しめていると言っていい。
もし、求めてくれたら……躰ぐらい高原さんのモノになれば、少しでも楽になるのに。
高原さんの欲望が薄いの?
亜弥は、心の中で頭を振った。
違う……高原さんはあたしに触れる時は、確かに欲望を秘めている。秘めているのに、高原さんはその荒々しい欲望を押え込んで、途中で止めてしまう。
どうして? どうしてなの?
本当は、訊きたい。訊きたいが、上手く訊けない自分がいる。
あたしが、高原さんを心から愛していたら……問い詰める事が出来るのに。
もしかして……わたしが問い詰めないのは、逃げ場を作ってるから? 彼が、プロポーズを撤回するのを手を広げて待っているから?
亜弥は、隣にいる高原を見上げた。
「ん? どうした、亜弥?」
見下ろす目は、とても優しい。
亜弥は、微笑みかけた。
「ううん、何でもない」
そう言って、視線を正面に戻す。
高原の事だけを考えなければいけないのに、こうして孤独を感じると、いつも忍び寄ってくる男の影が、亜弥の脳裏に浮ぶ。
亜弥は、思わずギュッと瞼を閉じた。
やだ、やめて! 勝手に現れないで。
わたしは、たった一度だけしか会った事のない……どこの誰だかわからない康貴って人を、求めてなんかいない。
亜弥は、いつも忍び寄って来る康貴の存在を、ずっと否定し続けていた。
しかし、あれから既に2ヶ月近くになるというのに、彼の存在は消えようとはせず、逆に強くなっていく。
その理由はわかっているのに、亜弥は強く自分に言い聞かせて、否定し続けたのだった。
イタリアン・レストランで食事をしている最中、高原が口を開いた。
「会社でさ、創設50周年でパーティーがあるんだ」
パーティー?
亜弥は、高原が何を言いたいのかわからず、素直に相槌を打つ。
「もちろん、本社のパーティーとは別に支社でも開かれるんだが……俺のパートナーとして一緒に出てくれないか?」
思わず口の中に入っていたサラダを、ゴクッと飲み込んでしまった。
素早くミネラルウォーターを飲み、喉の痛みを潤す。
「……っどうして、わたしを?」
高原の友人に紹介されるかも知れないと思うと、急に胸が痛くなった。
もし、紹介されてしまえば……もう後戻り出来なくなる!
「亜弥と俺は婚約してるも同然だろう? 亜弥を誘うのが筋じゃないか?」
懇願するように、ひたむきな表情で見つめてくる。
亜弥は、その視線を受け止めなければいけないのに、下を向いてしまった。
曇っていく表情を見られたくなかったのだ。
「だけど……あたしは、」
「いいんだよ、そのままの亜弥でいてくれれば」
大きな手が伸びてくると、亜弥の細い指に触れた。
「俺だって、そろそろ亜弥を紹介したい」
激しい痛みが、心を襲う。
「……うん」
うん? 本当にそれを望んでいるの? これでいいと思ってるの?
亜弥は、もう考える事に疲れていた。
疲れていたから……このまま流れに身を任すほかないのだと、無理やり納得させてしまった。
「亜弥……」
亜弥は、高原に暗い路地に引っ張られると、彼の腕の中にすっぽり包まれた。
高原の息はアルコールの臭いがし、少し心地よくなっているのがわかる。
「高原、さん。ダメ、こんな場所じゃ」
しかし、高原はキャミソールの下から手を忍ばせると、亜弥の乳房を包み込んだ。
「高原さんっ! 嫌だって……やめ、」
抗おうと手を動かすが、それを抑えるように激しくキスをしてきた。
「っんん」
暑い熱気が躰を包みこみ、じんわりと汗ばんでくる。
「俺たちは、俺たちは…」
婚約してる?
その言葉で、亜弥の硬直した躰が一瞬だけ緩んだ。
婚約しているから……だから彼が望む事を受入れなければならないの?
ゆっくりとブラのカップを押し下げられると、高原はその柔らかい乳房を優しく揉む。
高原の愛撫に、亜弥は吐息を漏らした。
そして、
「っぁん」
と、感じたフリの声を漏らす。
いくら愛撫を受けても、躰に奮えは起こらない。
だが、それを知られたくなかった。
だから、微かな喘ぎで感じているフリをしたのだ。
「亜弥……俺は、」
俺は、何?
亜弥は上を向いて、白い喉を彼の前にさらすと、高原の唇は喉元から鎖骨、鎖骨から衣服を飛び越して乳房へと移動した。
いつの間にか、キャミソールが胸の上まで捲れていたのだ。
高原が乳首を舌で愛撫した時、亜弥の口から本当の喘ぎが漏れた。
考えてはいけない……愛撫を受けているのは婚約者でもある高原さんなのよ。決して、一度見ただけの人じゃ。
しかし、愛撫を受ける亜弥の脳裏に浮かぶのは……高原ではなかった。
その事が亜弥を興奮させ、身悶えさせる。
「ゃぁ〜」
瞼をギュッと閉じ、その快感に身を任せそうになった時、高原の愛撫が止まった。
「すまない、亜弥」
息を荒くしながら、高原は亜弥のキャミソールを無造作に下へ引っ張った。
硬く尖った乳首が布の擦れ、生地を押し上げる。
亜弥はそのまま身を引くと、乳房をカップの中に入れて衣服を整えた。
まただ……また同じ事の繰り返し。
高原さんに触れられて感じているフリをし、その後想像しながら本気で感じ始めたあたしを……拒否する。
直感でわかってるの? あたしの、この無神経な思いを。
視線を高原に合わすと、高原は自己嫌悪をしたように顔を背けていた。
「高原さん?」
「すまない、飲み過ぎたようだ」
それ、どういう意味? お酒の力を借りないと、あたしに触れられないって事?