8月最後の土曜日、亜弥はこの日の為に新しく買ったドレスを着ていた。
高原の恥にならないよう、清楚を感じさせるクリーム色のドレス。
ホルダートップで背中は大きく開いてるが、胸元のドレープが上品さを伺わせる。また、躰に添うような生地は、その下に隠された肢体を魅惑的にも見せた。
裾は斜めにカットされ、引き締まった膝頭はチラチラと見え隠れする。
うっとりするほど素敵だ。
そして左の薬指には、婚約指輪が光ってる。
素敵なドレスを着て、素晴らしい婚約者がいる。
何も不安を感じず堂々としていればいいのに、亜弥は不安でいっぱいだった。
高原のプロポーズを受けて、承諾したのはあたし。それなのに、この不安はいつまでたっても解消されない。
もちろん高原から求められない……という事が原因と言ってもいいが、もう一つ理由があった。
脳裏に潜んでいるあの男性、康貴という存在。
「バカね。たった一度会っただけの人なのに、まだ忘れられないなんて」
――― コンコンッ。
「はい」
「姉ちゃん? 高原さんが来たで」
弟の篤史が、ドアを開けて言った。
「ありがとう」
亜弥はショールを取り上げて小型のパーティーバックを持つ。
「姉ちゃん」
「うん?」
背の高い弟を、亜弥は見上げた。
「……幸せ? 高原さんと一緒におれて幸せ?」
探るような視線に、亜弥は思わず顔を歪めた。
「何言って、」
「だって、姉ちゃんの顔幸せそうに見えへんねん。まるであの時と一緒や」
篤史が何を指しているのか、亜弥にはすぐにわかった。
亜弥が、職と恋人を両方失った時の事を指しているのだ。
「大丈夫、きっとマリッジ・ブルーよ」
亜弥は、篤史の鋭い千里眼から逃れるように側を通ると、玄関へ向かった。
「嘘ばっかり言いやがって。マリッジ・ブルー言うても、式の日にちすら決まってないやんか」
吐き捨てるような篤史の言葉は、亜弥の耳には届かなかった。
大阪駅周辺に立ち並ぶ一流ホテルの玄関口に、タクシーが止まった。
躰を強ばらせた亜弥を、高原は優しく肩を抱く。
「そんなに心配しなくても大丈夫。亜弥の知ってる人たちも来てるんだから。もし、立派そうに立っている彼らに怖じ気づいたりしたら……医務室で唸っていた事を思い出せばいい」
亜弥の思いとは全く関係のない事だったが、それが高原の優しさだという事もわかっていた。
「ありがとう。大丈夫よ」
「よし。それじゃ、出陣だ!」
おどけて言う高原に、亜弥は無理やり笑みを作った。
まるで、テレビドラマで見るような豪華なパーティーに、亜弥は一瞬で緊張を感じた。
クリーム色と金でまとめられた会場内は、華やかさで充満している。
素敵なドレスを着こなす女性たちに、髪を綺麗に撫でつけて佇む男性たち。
皆堂々と談笑していた。
一瞬、場違いな場所へ迷いこんでしまったと思った。
だが、亜弥は必死に平常心を保とうとした。
「創設者の会長は来られないんだが、本社の社長夫妻は出席されるそうだ」
高原が胸を張って誇らしげに言う言葉に、亜弥は相槌を打つ事しか出来なかった。
「本社のパーティーに出られるようになりたいよ。そうすれば、雲の上の存在の会長や役員たちの目に留まるかも知れないしな」
亜弥は、高原の新しい一面を見た気がした。
高原さんって、野心を持ってるんだ。でもそうだよね、水嶋グループを受けるぐらいだもの。野心を持っていてもおかしくない。
それに、いくらトップが有能であっても部下にやる気がなかったら、ここまで急成長する筈はないのだから。
高原は、ボーイからグラスを受け取ると亜弥に渡した。
「何も気にしなくていい。楽しめばいいんだ。呑んで食べて……な」
上から微笑みかけられて、亜弥は肯定するように笑みを返した。
―― その瞬間!
< br> 亜弥の躰がブルッと震えた。
何? 今の。産毛が総毛立ったみたい。
亜弥は、思わす腕を擦った。
気泡を見ながらシャンパンを一口呑み、リラックスしようとしたが無理だった。
何かが、襲ってくるような……そんな感じ。
気持ちを落ち着けたい為だけに、高原に擦り寄り……視線を上げると、そこには驚愕したように目を大きく開け、ある一点ばかり見つめている彼の顔があった。
「どうかしたの?」
そう言いながら、高原が見つめる先へと視線を向けた。
そこには、赤いドレスを身につけた、スレンダーで美人な女性がいた。
まるでモデルのようなその肢体に驚きを隠せなかったが、それよりももっと驚いた事があった。
「えっ?! あれは、渡辺女史?」
そう、いつも医務室で一緒に働く女医・渡辺都だった。
白衣に身を包んだ女医と全く違うその姿に、高原でなくても驚かされた。
「すごい綺麗! ねっ、高原さん」
「あっ……あぁ」
亜弥は、クスッと笑った。
高原さんも、普通の男性だったのね。あんな風に美しく変身されたら、釘付けになるのは当然だもの。
「あたし、挨拶してこなくっちゃ。高原さんも行く?」
「あぁ」
そっと、高原の腕に触れた。
異様に躰を強ばらせているのが、亜弥の手を通して伝わった。
少し訝しく思ったが、渡辺女史の変身に戸惑っているだけだろうと、別に気にもしなかった。
「渡辺女史」
亜弥が微笑みながら声をかけると、彼女も笑みを浮かべて迎えてくれた。
「如月さん、とっても綺麗ね」
「そんな。女史に比べたら、霞んでしまいます」
渡辺女史は、隣にいる高原に視線を向けた。
「あなたも、今日は素敵よ」
「……どうも」
「ほら、ネクタイが歪んでるわ」
細くて綺麗な手が高原の胸に伸びる。
咄嗟に高原がその手を掴んだ。
「都……」
渡辺女史は、両手を上げて一歩下がった。
「はいはい、婚約者の如月さんに任せるわ」
亜弥は、渡辺女史の口から漏れた“婚約”という言葉に驚いた。
「えっ?!」
そんな亜弥を見て、渡辺女史は微笑んだが、その微笑みは少し強ばってるように見えた。
「その指輪と隣に高原さんが居たら、誰だってわかるわよ」
亜弥は、ショックを受けたように俯いた。
そうなのだろうか? 側にいると紹介されなくてもわかるものだろうか?
この時、亜弥は下を向いていたのと自分の気持ちで手一杯だった為、その場の雰囲気を読み取る事が出来なかった。
亜弥は、高原の側から逃げるように化粧室へ入った。
顔は青ざめ、まるで病人のように見えた。
側の椅子に座り込むと、自然と光り輝くダイヤモンドの指輪を見下ろした。
確かにプロポーズは受けた。でも周囲の人には、誰にも言ってなかった。
ただ、薬指に指輪が鎮座していただけ。
相手は誰かなんて言ってない。
それなのに、渡辺女史は知っていたなんて! という事は、他の人も自然とわかっているという事?
亜弥は、思わず額に手をあてた。
もう戻れないって事? この不安を克服するしかないって事なの?
勢いよく立ち上がると、亜弥は鏡に向かって睨み付けた。
「どうして彼が断ってくるのを待つだけなの? どうして自分の不安を彼に伝えないの? どうして……彼を愛せないの?!」
亜弥は、情けない自分自身に腹を立てながら、化粧室を後にした。
きらびやかなシャンデリアが周囲を輝かせてる。
それに比べてわたしは……
どんどん顔が強ばるのがわかったが、亜弥はどうする事も出来ず、ただ会場へ戻ろうと足を進めた。
「やぁ」
静寂に包まれたフロアに、男性の声が響き渡った。
低くて心を揺さぶる……忘れもしない声音に、亜弥の躰はビクッと震えた。
まさか……そんな筈ない。これは幻聴よ!
だが意志とは裏腹に、視線がその声の主を求めてゆっくり動く。
誰もいないフロアだと思っていたが、いくつかある柱の一つに、男性が腕を組んで凭れていた。
まるで魔法をかけられたように、亜弥の瞳はその男性の視線に捕われてしまった。
「俺を、覚えている? ……と訊くまでもないかな?」
亜弥の、喉の筋肉がピクピクと動く。
彼の視線が亜弥の躰を舐めるように動くと、躰の奥底から熱いものが込み上げてきた。
まるで触れられたかのような錯覚。
口から喘ぎともとれる声が、小さく漏れた。
その声を聞き逃さなかった彼は、素早く視線を上げて身を起こすと、ゆっくり亜弥の側に近寄った。
自然と亜弥の顎も上を向いていき、目も大きく見開いていく。
どうして、どうして貴方がココにいるの?
亜弥の心臓は、激しく高鳴っていた。
なぜなら……たった一度会っただけの康貴っていう人が、目の前にいたからだった。
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