第一部『promise promise ..... promise』【6】

 8月最後の土曜日、亜弥はこの日の為に新しく買ったドレスを着ていた。
 高原の恥にならないよう、清楚を感じさせるクリーム色のドレス。
 ホルダートップで背中は大きく開いてるが、胸元のドレープが上品さを伺わせる。また、躰に添うような生地は、その下に隠された肢体を魅惑的にも見せた。
 裾は斜めにカットされ、引き締まった膝頭はチラチラと見え隠れする。
 うっとりするほど素敵だ。
 そして左の薬指には、婚約指輪が光ってる。
 素敵なドレスを着て、素晴らしい婚約者がいる。
 何も不安を感じず堂々としていればいいのに、亜弥は不安でいっぱいだった。
 高原のプロポーズを受けて、承諾したのはあたし。それなのに、この不安はいつまでたっても解消されない。
 もちろん高原から求められない……という事が原因と言ってもいいが、もう一つ理由があった。
 脳裏に潜んでいるあの男性、康貴という存在。
「バカね。たった一度会っただけの人なのに、まだ忘れられないなんて」
 
――― コンコンッ。
 
「はい」
「姉ちゃん? 高原さんが来たで」
 弟の篤史が、ドアを開けて言った。
「ありがとう」
 亜弥はショールを取り上げて小型のパーティーバックを持つ。
「姉ちゃん」
「うん?」
 背の高い弟を、亜弥は見上げた。
「……幸せ? 高原さんと一緒におれて幸せ?」
 探るような視線に、亜弥は思わず顔を歪めた。
「何言って、」
「だって、姉ちゃんの顔幸せそうに見えへんねん。まるであの時と一緒や」
 篤史が何を指しているのか、亜弥にはすぐにわかった。
 亜弥が、職と恋人を両方失った時の事を指しているのだ。
「大丈夫、きっとマリッジ・ブルーよ」
 亜弥は、篤史の鋭い千里眼から逃れるように側を通ると、玄関へ向かった。
「嘘ばっかり言いやがって。マリッジ・ブルー言うても、式の日にちすら決まってないやんか」
 吐き捨てるような篤史の言葉は、亜弥の耳には届かなかった。
 
 
 大阪駅周辺に立ち並ぶ一流ホテルの玄関口に、タクシーが止まった。
 躰を強ばらせた亜弥を、高原は優しく肩を抱く。
「そんなに心配しなくても大丈夫。亜弥の知ってる人たちも来てるんだから。もし、立派そうに立っている彼らに怖じ気づいたりしたら……医務室で唸っていた事を思い出せばいい」
 亜弥の思いとは全く関係のない事だったが、それが高原の優しさだという事もわかっていた。
「ありがとう。大丈夫よ」
「よし。それじゃ、出陣だ!」
 おどけて言う高原に、亜弥は無理やり笑みを作った。
 
 まるで、テレビドラマで見るような豪華なパーティーに、亜弥は一瞬で緊張を感じた。
 クリーム色と金でまとめられた会場内は、華やかさで充満している。
 素敵なドレスを着こなす女性たちに、髪を綺麗に撫でつけて佇む男性たち。
 皆堂々と談笑していた。
 一瞬、場違いな場所へ迷いこんでしまったと思った。
 だが、亜弥は必死に平常心を保とうとした。
「創設者の会長は来られないんだが、本社の社長夫妻は出席されるそうだ」
 高原が胸を張って誇らしげに言う言葉に、亜弥は相槌を打つ事しか出来なかった。
「本社のパーティーに出られるようになりたいよ。そうすれば、雲の上の存在の会長や役員たちの目に留まるかも知れないしな」
 亜弥は、高原の新しい一面を見た気がした。
 高原さんって、野心を持ってるんだ。でもそうだよね、水嶋グループを受けるぐらいだもの。野心を持っていてもおかしくない。
 それに、いくらトップが有能であっても部下にやる気がなかったら、ここまで急成長する筈はないのだから。
 高原は、ボーイからグラスを受け取ると亜弥に渡した。
「何も気にしなくていい。楽しめばいいんだ。呑んで食べて……な」
 上から微笑みかけられて、亜弥は肯定するように笑みを返した。
 
―― その瞬間!
< br>  亜弥の躰がブルッと震えた。
 何? 今の。産毛が総毛立ったみたい。
 亜弥は、思わす腕を擦った。
 気泡を見ながらシャンパンを一口呑み、リラックスしようとしたが無理だった。
 何かが、襲ってくるような……そんな感じ。
 気持ちを落ち着けたい為だけに、高原に擦り寄り……視線を上げると、そこには驚愕したように目を大きく開け、ある一点ばかり見つめている彼の顔があった。
「どうかしたの?」
 そう言いながら、高原が見つめる先へと視線を向けた。
 そこには、赤いドレスを身につけた、スレンダーで美人な女性がいた。
 まるでモデルのようなその肢体に驚きを隠せなかったが、それよりももっと驚いた事があった。
「えっ?! あれは、渡辺女史?」
 そう、いつも医務室で一緒に働く女医・渡辺都だった。
 白衣に身を包んだ女医と全く違うその姿に、高原でなくても驚かされた。
「すごい綺麗! ねっ、高原さん」
「あっ……あぁ」
 亜弥は、クスッと笑った。
 高原さんも、普通の男性だったのね。あんな風に美しく変身されたら、釘付けになるのは当然だもの。
「あたし、挨拶してこなくっちゃ。高原さんも行く?」
「あぁ」
 そっと、高原の腕に触れた。
 異様に躰を強ばらせているのが、亜弥の手を通して伝わった。
 少し訝しく思ったが、渡辺女史の変身に戸惑っているだけだろうと、別に気にもしなかった。
「渡辺女史」
 亜弥が微笑みながら声をかけると、彼女も笑みを浮かべて迎えてくれた。
「如月さん、とっても綺麗ね」
「そんな。女史に比べたら、霞んでしまいます」
 渡辺女史は、隣にいる高原に視線を向けた。
「あなたも、今日は素敵よ」
「……どうも」
「ほら、ネクタイが歪んでるわ」
 細くて綺麗な手が高原の胸に伸びる。
 咄嗟に高原がその手を掴んだ。
「都……」
 渡辺女史は、両手を上げて一歩下がった。
「はいはい、婚約者の如月さんに任せるわ」
 亜弥は、渡辺女史の口から漏れた“婚約”という言葉に驚いた。
「えっ?!」
 そんな亜弥を見て、渡辺女史は微笑んだが、その微笑みは少し強ばってるように見えた。
「その指輪と隣に高原さんが居たら、誰だってわかるわよ」
 亜弥は、ショックを受けたように俯いた。
 そうなのだろうか? 側にいると紹介されなくてもわかるものだろうか?
 この時、亜弥は下を向いていたのと自分の気持ちで手一杯だった為、その場の雰囲気を読み取る事が出来なかった。
 
 亜弥は、高原の側から逃げるように化粧室へ入った。
 顔は青ざめ、まるで病人のように見えた。
 側の椅子に座り込むと、自然と光り輝くダイヤモンドの指輪を見下ろした。
 確かにプロポーズは受けた。でも周囲の人には、誰にも言ってなかった。
 ただ、薬指に指輪が鎮座していただけ。
 相手は誰かなんて言ってない。
 それなのに、渡辺女史は知っていたなんて! という事は、他の人も自然とわかっているという事?
 亜弥は、思わず額に手をあてた。
 もう戻れないって事? この不安を克服するしかないって事なの?
 勢いよく立ち上がると、亜弥は鏡に向かって睨み付けた。
「どうして彼が断ってくるのを待つだけなの? どうして自分の不安を彼に伝えないの? どうして……彼を愛せないの?!」
 亜弥は、情けない自分自身に腹を立てながら、化粧室を後にした。
 
 きらびやかなシャンデリアが周囲を輝かせてる。
 それに比べてわたしは……
 どんどん顔が強ばるのがわかったが、亜弥はどうする事も出来ず、ただ会場へ戻ろうと足を進めた。
「やぁ」
 静寂に包まれたフロアに、男性の声が響き渡った。
 低くて心を揺さぶる……忘れもしない声音に、亜弥の躰はビクッと震えた。
 まさか……そんな筈ない。これは幻聴よ!
 だが意志とは裏腹に、視線がその声の主を求めてゆっくり動く。
 誰もいないフロアだと思っていたが、いくつかある柱の一つに、男性が腕を組んで凭れていた。
 まるで魔法をかけられたように、亜弥の瞳はその男性の視線に捕われてしまった。
「俺を、覚えている? ……と訊くまでもないかな?」
 亜弥の、喉の筋肉がピクピクと動く。
 彼の視線が亜弥の躰を舐めるように動くと、躰の奥底から熱いものが込み上げてきた。
 まるで触れられたかのような錯覚。
 口から喘ぎともとれる声が、小さく漏れた。
 その声を聞き逃さなかった彼は、素早く視線を上げて身を起こすと、ゆっくり亜弥の側に近寄った。
 自然と亜弥の顎も上を向いていき、目も大きく見開いていく。
 
 どうして、どうして貴方がココにいるの?
 亜弥の心臓は、激しく高鳴っていた。
 なぜなら……たった一度会っただけの康貴っていう人が、目の前にいたからだった。

2004/12/04
  


 水嶋兄弟三男編の続きは、
2009年9月発売の単行本『Promise〜誘惑のゆくえ』でお楽しみ下さい♪
『Promise〜誘惑のゆくえ

(2009.09)

#2を再度加筆修正

 

 水嶋兄弟次男編『Eternal Star』全4巻、COMICS版『Eternal Star』(長男の一貴や莉世も登場!)』も、
合わせてお楽しみいただければ嬉しいです♪
COMICS版『Eternal Star』 『Eternal Star4』 『Eternal Star3』 『Eternal Star2』 『Eternal Star』

(2012.08)

中国版(繁体字)も発売!

(2011.04)

完全書き下ろし

(2010.10)

書き下ろし+web公開

(2010.06)

書き下ろし+web公開

(2010.03)

書き下ろし+web公開

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