『運命の始まり』【1】

 〔水晶の祈り〕を終えて、16年の月日が過ぎようとしていた。
 
 シーアローレルは、成長するにつれ淡くなった蜂蜜色の長い髪に、エメラルド色の瞳を持った、美しい女性へと成長しつつあった。
 ヴィンセント家のシーアローレルと言えば、知らぬ者はいないという程、その存在は勝手に一人歩きをしている。
 全て、〔水晶の祈り〕のせいだった。
 ドルーは、〔水晶の祈り〕を極力無視し、兄弟分け隔てなく健やかに育つように暮らさせた。
 
 それが、良かったのか………悪かったのか。
 シーアローレルは、とんでもない冒険心を持った、お転婆娘に育っていった。
 
 
「シーア……」
 側へと引き寄せるように、シーアローレルの腰を抱くと、きめ細かいミルクのような頬を、ゆっくり愛撫した。
 ルーガル王国の皇太子・ランドルフは、毎年1回行われる〔リュカ聖祭〕のパーティーで、シーアローレルの腕を引っ張り、ぶ厚いカーテンの向こうへと連れ出していたのだ。
 ランドルフは、22歳。
 王子の容姿はというと、年齢を問わず、女性なら誰でもうっとりしてしまう程の美男子だった。
 見事に鍛え上げられた躰は、思わず触れたくなる程の体躯。
 栗色の髪は光に反射すると輝きを増し、柔らかく優しい雰囲気を与える。
 しかし、眼光鋭いグレイの瞳は、何でも容赦なく射落とす力が宿っていた。
 まさしく王族の目だった。だが、その瞳が和むと、奥深いところへと誘い込むような魔力が生まれる。
 そんなランドルフ王子に、どれだけ貴族の姫君がうっとりとする事か……。
 
 シーアローレルも例外ではなかった。
 でも、どこか……何かが違うとわかってはいた。
 ランドルフと共に過ごしても、激しく燃え上がるような想いを感じた事はなかったのだ。
 ただ、胸が熱くなり……素敵な男性だと思うだけ。
 貴族の姫たちがクスクス笑いながら言うような、妙な気持ちになどなった事は一度もない。
 ランドルフの唇が、シーアの頬を何度滑り、とうとう唇へ届いた。
 シーアの柔らかな唇に我を忘れたのか、激しく想いをぶつけるようなキスをしてきた。
「っんん!」
 シーアは、王子の胸に手を置いて、距離を保とうとした。
 ところが、ランドルフ皇子の手が、薄衣のドレスの上から、それほど大きくはない乳房に触れた。
 形のよいツンと上を向いた乳房を包み込むと、優しく何度もその柔らかさを確かめるように、掌を動かした。
「あぁ……シーア、お前が欲しい。いいだろう? お前は俺の正妃になるのだから」
 シーアはその言葉にビクッとして、咄嗟に王子の胸板を押した。
「わたしは、まだ王子の正妃ではないわ」
 背の高い皇子を見上げ、シーアは心の中が冷えていくのがわかった。
 何も感じない……空虚な思い。
 わたしは、本当に王子の正妃になる運命なのかしら?
「シーア……、俺とお前は運命で結びつけられてるんだ。そうだろう? 〔おばば〕がそう予言したではないか」
 シーアは、その呪いのような言葉に暴言を吐きそうになり、思わず唇を噛み締めた。
 すべて〔おばば〕せいだわ! わたしの全てを予言して、それで……正妃になるとまで言い切り……何も感じない、何もときめかない王子の元へわたしを嫁がせようとしている!
 
「……シーア、頼む。そろそろ俺に身を任せてくれ。俺の熱くなる躰を静めてくれ」
 シーアは、身を守る盾のように躰に腕を回して睨みつけた。
「わたしでなくても、王子の躰を静めてくるれる女性はたくさんいるじゃない! ハーレムにいるたくさんの女性、王子のただお一人の側室・ルリ様も、望むとおりに振る舞ってくれるわ。でも、わたしはそうじゃない。わたしは、自分の意思で全てを決めるわ」
 王子の手が、シーアの腕に絡みつくと、ギュウと強く握った。
 シーアは、その力強さに顔をしかめたが、絶対声を出さなかった。
「俺の正妃になるんだぞ、それはもう既に決まってるんだ! ……お前は俺のものなんだ」
 怒りを込めて、食いしばった歯の隙間から絞り出すように、王子は発した。  
「手を離して、ランドルフ王子」
 それでも意思を曲げず、シーアははっきり言った。
「そうだ、その手を離してくれませんか、王子?」
 
 突然、声が降ってきた。
 王子はすぐさまシーアから手を離し、声の主の方へ顔を向けた。
 もちろん、シーアもその声の方を向いたが、その声の主が誰なのか既にわかっていた。
 最悪だわ、彼に見つかるなんて。
「ローレル! こっちへ来なさい」
 ローレル……やっぱり彼は怒っている。
「……はい、ローガン兄様」
 シーアは、次兄で25歳のローガンの側へ近寄ると、ローガンに肩を抱かれた。
「王子、ローレルはまだ王子の正妃候補というだけで、正式に決まったわけではないのです。ですから、こうやってローレルを人気のない場所へ連れてきて、戯れるのはやめていただきたい」
 ローガンはシーアの肩を強く握った。
 やっぱり……ローガンは怒ってる!
 シーアを、シーアローレルと呼ぶ人は、親戚・親友・家族といった周囲にはいなかった。
 殆どが、愛称のシーアと呼ぶ。
 ただ……家族間では、シーアが悪さをしたりして怒りたい時、彼らは皆シーアからローレルと呼び方を変える。
 そう、まさしくローガンがシーアをローレルと呼ぶのは、怒っている証拠だった。
「行くぞ、ローレル」
 グイッと引っ張られて、シーアはそのパーティーでざわめく広間へ促された。
 
 
「あれって、ちょっと行き過ぎじゃない?」
 そう言うと、ローガンは鋭くとシーアを睨んだ。
「お前があんなところで、王子と……してるからだ」
「わたし、何もしてないけど?」
「してない? されるがままだったじゃないか!」
 シーアは、ムッとした。
「わたしだって、ちゃんと止めさせる事が出来たわ! いつもちゃんと、」
 そこまで言ってしまって、シーアはすぐ口を閉ざした。
 そろ〜と視線を上げると、怒り狂ったローガンの顔があった。
「いつも? いつもだと? お前ってやつは! 本当に男を知らないからそんな事をするんだ」
 駄目だ……
 シーアは、口を閉ざした。
 ローガンは、普段はシーアに対してとても甘くて優しい。
 だが、怒る時は、本当に怒るのだ。
 それに、ずば抜けた運動神経、体力、騎馬能力全てにおいてトップクラスのローガンは、軍隊でも有力な人物だった。
 鍛え上げられたローガンに立ち向かう事こそ、愚か者のする事。
 シーアは、長年の経験から、ローガンには立ち向かってはいけないと学んでいた。
 どうして、こう兄たちの性格はバラバラ何だろうと、不思議に思わずにはいられなかった。
 
 
 広間に戻ると、シーアは兄の目を盗んでバルコニーへ逃れた。
「あぁ〜あ」
「何が、あぁ〜あだよ」
 また来た……
 シーアが、ため息を一つついて振り向くと、そこには四男で19歳のユエンがいた。
 兄というより……仲の良い男友達といった兄だった。
 人当たりもよく、皆の人気者。
「ローガンに言われたの?」
「まぁ〜な、シーアを一人にさせるなって………俺がシルビアと一緒にいたのもお構いなしに、だ」
 シルビアは、シーアにとって大事な親友だった。
「ごめんなさい……ローガンったら」
「いいよ、別に。ローガンの言う事には誰だって逆らえやしないんだから。もちろん、長兄のダークだって、ローガンの意見には逆らえないしな」
 シーアは、ユエンが持ってきてくれたグラスを手に取った。
 ほんのり〔リュカ〕の甘い匂いがする。
 シーアは、宮殿のまわりに点在する無数な屋敷……その奥に輝く〔ルードの街〕を眺めた。
 
 
「そんな羨ましそうな顔をするな」
 シーアは、悲しく微笑んだ。
「だって、羨ましいんですもの。あそこにいる人たちは、そんなにお金がなくても幸せに暮らしてる。わたしは偉大な祖父・両親・家族がいて恵まれてるかもしれないけれど、……でも自由がない」
 ユエンは、シーアの寂しそうな後ろ姿に耐え切れず、肩に腕を回して抱いた。
「そんなの、皆一緒さ。自由なんてない。貴族たち皆はお金や身分がある代わりに、この国の為に働かなければならないんだから」
 シーアは頭を振った。
「わかってるよ、シーア。……でもどうする事も出来ないんだ。〔水晶の祈り〕は一人歩きしてしまって、もうどうする事も出来ない。だが、俺達家族は、シーアのする全てを見守るよ、それは絶対だ」
「うん、わかってる……わたしが家族に助けられてるって、ちゃんとわかってるわ」
 シーアは、不安を覚えながらも、ユエンの腰を抱いて安心させた。
 
 その時、突然チカチカとした光が目に入った。
 シーアはその光に目を凝らすと、再びチカチカと光が点滅した。
 何? あの不自然な光? あの方向は………ルードリア湖?
 あそこは、確か……〔シーアローレル〕が地上へ落ちて出来た湖で、彼女の為に建てられたとされる、古い祭殿がある場所。
 そこには、宝物もあった筈…… 盗賊?!
 
 シーアは、その光の方向へ指差した。
「ユエン! 見てあの光、怪しいわ。わたし、あそこまで行ってくる!」
 そう言うと、ドレスの裾を持ち上げるなり、すぐ走り去った。
「おいっ、シーア! 一人で行くんじゃない! おいっ!」
 叫ぶ間もなく、シーアの姿は闇に溶けてしまった。
 ユエンは、きつく唇を噛み締めると、イライラしたように手すりを叩いた。
「っあの、じゃじゃ馬め! だから、お前を一人にしておけないんだよっ!」
 ユエンは、仕方なくシーアの後を追った。
 
 
 この時、ユエンはこの事を家族や、衛兵に知らせるべきだった。
 そうすれば……父のドルーが心配していた事を、防げる事が出来たからだ。
 だが、それは本当に防げただろうか?
 
 なぜなら、シーアの〔水晶の祈り〕が、今まさに動きだそうとしているのだから……

2003/03/29
  

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