千佳は、地元の駅に下りるとため息をついた。
母親には、夕ご飯はいらないと言ってきたからだ。
どうしよう。まだ15時過ぎ……
わたしが今帰れば、いったい何があったのかと必ず聞いてくる。
今まで、わたしに関しての恋の話が、家族の間で持ち上がる事は一切なかった。それは、わたしがどれだけ勉強とバイトにばかり打ち込んでいたのか知っていたからだ。
だけど、今は……わたしに誰かいい人が出来たのを、皆感じ取ってる。
たびたび外泊していたら、そう疑うのも無理はない。
だけど家族は、彼氏が出来たのか? と、はっきり聞いてこない……そして、わたしも彼氏が出来た事を一切言ってない。
再び千佳はため息をついた。
「あれ? もしかして……鈴木?」
千佳は顔を上げた。
すると、人込みを掻き分けて近寄って来る男性が視界に入る。
「あっ! ……中里、くん?」
彼は、中学・高校の時の同級生で、元・クラスメートの一人だった。
「何、一人?」
「うん」
千佳は、哀しそうに微笑んだ。
「……ならさ、ちょっと座らないか?」
空いたベンチを指さされ、促されるまま座る。
「今、鈴木働いてるんだった?」
「うん、ほら家お金ないしね……」
膝の上で指を絡めてる彼の手を見た。
その手は男の手だが、とても華奢で……働いてる男の手とは格段の差があった。
ははっ、優貴の手と比べてどうするんだろう? でも、わたしって……優貴しか知らないんだ……。まっ、他の男性を知りたいだなんて思わないけれど。
「偉いよな。俺らが学生生活を満喫して……将来の事も考えずにいたあの時、鈴木は将来に向けて必死で頑張ってたもんな」
千佳は、ビックリして中里を見た。
「知って、たの?」
照れたように、中里が笑った。
「まぁ、な。当時はさ、何一人でガリ勉してるんだ、とか、ちょっとは女子高生として磨きをかけろよ、とか思ってるヤツって結構いただろ? もちろん……俺も含めてだけどさ。あの時、妙に浮いてる鈴木って、結構皆から注目を浴びてたんだぞ?」
「そんなの、知らなかった」
千佳の心が沈んだ。
女として失格だと言われたような気がしたからだ。
「だけど、今ならわかるよ。あの時、バカ騒ぎしてた俺らの方が、本当に甘ちゃんだったって事がな」
えっ?
「何も目標も持たずに大学入ったって、何の得にもならないって事。その点、鈴木はもう一人前の社会人だもんな」
何やら、褒められてるような気がする。
こんな事今までなかった……同級生からこんな風に言われるなんて。
「中里くんは、今大学生だよね?」
すると、中里はニコッと笑った。
「俺? 俺、大学中退したんだ」
「中退? どうして? せっかく入ったのに、」
「言ったろ? 何も目標も持たずに大学に入ったって、意味がないんだって。……俺さ、意味あるものを見つけたんだ」
「何?」
「……俺、今美容師になる為の専門学校へ通ってる」
「中里くんが、美容師?!」
考えられなかった……と言えば失礼になる。
だけど、本当に信じられなかった。
運動神経抜群、成績優秀……将来は弁護士かとまで言われていた彼が、美容師だなんて!
「ははっ、やっぱり意外だった? だけど、自分がしたい事をするべきだと思うんだ」
「……中里くんが、したい事をするべきだと思うよ」
「ありがとう」
そうだよ、自分がしたい事をするべきだったんだ。
さっき、優貴にホテルに行こうって誘われた時、あの女性たちに気を取られたのが間違いだったんだ。
周囲なんか気にする必要がない、優貴だけを見てれば良かったのに!
「鈴木って、髪何処で切ってるんだ?」
中里は、千佳の長い黒髪を見た。
「……美容院には行ってないの」
はにかみながら、千佳は頬を染めて言った。
「何で?」
「……その分、家にお金を入れたいから」
こんな事、言いたくなかった。
でも、それは本当の話だから仕方ない。
「なら、さ……俺に1ヶ月、いや2ヶ月に1回でもいいから切らしてくれないか? もちろん、お金なんて払ってくれなくていい。俺の練習台になって欲しいんだ。俺の腕は上達するし、鈴木の髪も綺麗なままでいられる。一石二鳥だと思うんだけど、どう?」
こんないい申し出を受けていいのだろうか?
お金はいらないが……髪の手入れをしてくれる。
「いいの? わたし、本当にお金払えないよ?」
もちろん、お金は払えない……だけどお礼はちゃんとするつもりだ。
「いいよ、免許を持ってるわけじゃないし。それに、鈴木が満足する仕上がりになるって保障もないからさ」
「ありがとう、中里くん。わたし、喜んで切ってもらう」
「やったぁ〜! サンキューな、鈴木。……もし、今時間があるなら、ちょっと毛先だけでも切らしてくれないか?」
時間? 時間ならたっぷりある。優貴と一緒に過ごそうと思っていた時間が……。
「いいよ」
「すっげ〜嬉しい! じゃ、行こう」
千佳は、中里と一緒にそのまま電車に乗った。
「どう……かな?」
千佳は、鏡に映る自分の姿を見て茫然となった。
こ、これが、わたし?!
腰まで長い髪を、肩甲骨ぐらいまでに切ってもらった。
黒い髪は重たく感じる為、カラーを勧められたがそれは断った。しかし、黒い髪を軽く見せる為に、内側を思い切り梳いてもらった。
それによって、重量感があった髪は一段と軽くなり、レイヤーを少し入れる事で、髪にも動きが出てきた。
お化粧をしても、いつも学生にしか見られなかった姿が……まさに大人の女へと階段を登ったかのようだった。
「すごい、すごいよ! 信じられない……」
「俺も、こんなに上手くいくとは思わなかったよ。それだけ……鈴木の素材が良いって事なのかも」
わたしの素材が良い? ……嘘。
信じられないといったように、鏡から中里を見ると、彼は決して嘘を言ってるようには見えなく…真剣な目で見つめ返してきた。
そういう風に見られた経験がないだけに、千佳は照れ笑いした。
「ありがとう。本当に気に入ったよ。これで上司たちに、『まるで、娘と歩いてる気分だよ』なんて言われなくてすむ」
「何で?」
道具を片づける中里を見ながら、千佳は立ち上がった。
「わたし、部署の中で一番若いの。普通は高卒は採らないから」
「へぇ〜、すごいんだな……鈴木」
千佳は、何故か中里の目が熱っぽくなってきてるのに気付いた。
その目を避けるように、視線を逸らせて時計を見る。
「あっ! もうこんな時間! 帰らなきゃ」
「何で? まだいいだろ? お茶ぐらい出すよ」
男に関してあまり熟知していない千佳でも、長居をするのは良くないとわかっていた。
「ううん、ありがとう。本当に行かなきゃ」
「わかった。じゃ……また、お互い連絡取ろうな」
「うん、連絡するね」
千佳は、送ろうとする中里を拒み、一人彼のアパートから外に出た。
微笑みは、強ばり……妙にドキドキする。
まさか、ね。
中里くん、学生の頃からモテてたし……わたしに女として魅力を感じる……なんて事はないと思うけれど、あぁいう目は……知ってる。
優貴がわたしを抱くときに見せる……あの時の目に。
はぁ〜、何考えてるの? そんなわけないよ。わたしは、ダサダサで無頓着な女……彼だってそう言ってたんだし。
千佳はもやもやしながら駅に向かった。
母親には、詮索されるかも知れない。
夕食はいらないと言っておきながらも、夕食時に帰宅し……そして髪まで切ってる。
きっと、失恋したとでも思うだろう。
ホームに立ちながら、ため息をついた。
その時、何か強い意思の力が働いたかのように、ふと視線を反対ホームに目を向けた。
その光景を見て、思わず呻きそうになった。
優貴が……高校生ぐらいの女性と、楽しそうに微笑み合ってる!
しかも、その女性は、とても綺麗で……可愛くて、足が長くて……身長もあって……わたしとは正反対の女性!
優貴は、その女性に腕を触られても、あの冷たい表情ではなく……愛おしそうにその女性を見つめて……
優貴……いったい、どうなってるの?
千佳はショックを受けながら、その絵になるカップルの姿を……呆然と見ていた。