『初桜に愛舞い降りて〜宿世の契り〜』【24】

「安心してくれ……。私は泰成よりも女性の扱いにたけている。決して痛い思いはさせない」
 敦家が、千珠の首に顔を埋めてきた。鼻で首筋を愛撫し、さらに舌で舐め上げる。
「や、やめて……」
 ちゅっちゅとキスの雨を降らし、軽く噛んで刺激を送り込んでくる。
「あっ……んっ!」
 さっきとは違う甘い声が零れる。
 敦家の言うとおり、彼は女性の感じやすいところを知っている。でもそれがまた、千珠の気に障った。
 初めて会った時から気に入らなかったが、それが正しかったと今更ながら気付く。
 どうしてもっと注意を払わなかったのだろう。
 泰成の言うとおり、扇で顔を隠し、几帳の陰に隠れていれば、こういうことにならなかったのかもしれないのに。
「イヤ……っぁ、……っふぅ」
 躯の芯に走る甘い疼きにビクッと震えると、敦家が千珠の小袖の紐を掴んだ。
 そして、一気にそれを引っ張って紐解く。
 その下は裸。このままだと本当に敦家にレイプされてしまう!
「泰成、さま……!」
「泰成はいない! あいつは今、北の方を悦ばせているころだ。姫を抱くのはこの敦家だ!」
 敦家の言葉で、泰成と面識のない彼の妻が淫らに愛し合っている光景が脳裏に浮かんだ。
 
 泰成には助けてもらえない。自分でどうにかするしかない。でも……!
 
 小袖の袷から、敦家の手が滑り込んできた。直に乳房を包み込まれ揉みしだかれる。
「やめ……っ」
「ああ、なんという柔らかさだ。私の手に吸いつくこのような肌は初めてだ!」
 敦家が顔を胸に寄せ、乳房に口づけた。
 泰成の唇、舌ではない。好意すら抱かない男の手と口が、千珠の躯をまさぐる。
 イヤ、……イヤだ。泰成ではない人とは絶対イヤ!
 
 ***
 
「若君……」
 牛車の傍で跪いた従者の義文が、中へと促す。
「ああ」
 泰成は足台に上がり、腰をかがめる。
 だが、ふと千珠のことが気になり、足を止めて東の対屋の方を振り返った。
 泰成の寝殿は、既に闇に包まれている。
 西洞院に伺い、暁の上の元へ通う時間なのだから、それも当然だろう。
 なのに、何故か心が騒ぐ。
 
 北の方のところへ通うのを、千珠に知られたくないからか。それとも、西洞院へ伺うと、千珠に素直に言えなかったからか。
 
「若君? 早くお乗りを」
 義文が泰成を急かす。足元を松明で照らす雑色は頭を垂れて何も言わないが、きっと義文の言葉が正しいと思っているのだろう。
「わかってる」
 泰成は後ろ髪を引かれる思いを断つと、歯を食い縛って牛車に乗った。
 戸が閉まり、足台を直す音が聞こえる。
 その音を聞きながら牛車の中央で居住まいを正し終えた時、牛飼童の手によって牛車がゆっくり進み始めた。
 西洞院に到着するまで、小半刻(約30分)はかかる。
 泰成は義文の目の届かないひとりの空間に包まれるや否や、小さく息をついた。
「暁の上、か……」
 泰成は今まで、こんな思いをしたことは一度もなかった。
 北の方のところへ通うのは当然で、穏やかな会話を楽しんだあとに、床で愛を交わしていた。
 暁の上は愛し合うたびに声を殺し、それほど積極的に動かない。だが、泰成はそれで十分だった。
 夫婦関係は床が全てではない。お互い信頼し、情を重ね、心を許し合い、なんでも話せる間柄になればそれでいい。そう思っていた。
 
 千珠と出会い、彼女とひとつに結ばれてからは……
 
 内裏に勤める公達に、この揺れる心の内を吐露すれば、きっと笑うに違いない。
 女人を前にして戸惑うのは、己の出世欲のなさのせいだと。
 そもそも幾人もの姫の元へ通うのは、好色もあるがほとんどがその地位を磐石にするためだ。
 だが、泰成に出世欲はなく、また幾人もの姫に心を傾けられる性格でもなかった。
 正妻の元にしか通わない真面目な泰成を、公達は当然のように笑う。
 だが、それで良かった。それが泰成自身だからだ。
 でも今は、暁の上のところではなく千珠の局へ行きたくてたまらない。
 今までの自分を覆してしまうほど、泰成は千珠の全てに惹かれていた。
 
 ダメだ。こんな気持ちでは、暁の上と過ごせない!
 
 白桜邸に引き返してもらおうと思い立ち、泰成は小さな戸を開けた。
「若君、どうかなさいましたか?」
 義文がすぐさま近寄り、お伺いを立てる。
「義文、私は西洞院へは行かず白桜邸に――」
「それはいけません!」
 泰成が何を言おうとしたのか感づいたのか、義文がぴしゃりと言葉を遮った。
「西洞院さまには既に前触れを出させていただきました。若君がお渡りになるのを、今か今かとお待ちです。それでなくとも、先日は物忌みの穢れ中だと偽り、お渡りにならなかったではありませんか。それだけではありません。御文のお返事がなかったと、北の方さまの女房が心配されておいででした。ですから、今日は西洞院へ行っていただかなければ困ります」
 一介の従者がここまで主人の泰成に口を利けるのは、幼いころから一緒に過ごした月日が長いせいだ。
 身分が違うのは仕方ないが、泰成は生まれや血筋で人を区別するのが嫌いだった。
 それを知っている義文は、対等とはいかないまでも泰成の助けができるよう勉学に励み、今では泰成の寝殿を仕切る地位を得た。
 それほど義文は泰成の目から見ても有能だ。しかも父の中納言ではなく泰成に忠誠を誓い、どんなことがあっても率先して尽くしてくれる。
 その彼が言うのだから、西洞院に行くのが一番いいのだろう。
 泰成も、それはわかっている。
 わかっているが、どうしても気持ちが暁の上へ、西洞院へ向かない。
 だが、義文には何も言わず、泰成は口を真一文字に結ぶとそっと戸を閉めた。

2015/04/30
  

Template by Starlit