いったい何を言われるのだろうと、ドキドキしながら小牧の声を待つ。
「そちらのお国では、御髪は短いものなのでしょうか? 実は、童女のようだとずっと思っておりましたの」
「えっ?」
何か変なことを訊かれると思っていただけに、拍子抜けを食らった。
でも小牧に指摘された髪に触れて、そっと胸の前に持ってくる。乳房を隠すほどの髪を見て、千珠はプッと噴き出した。
「これで短いの? 一応長い方なんだけど。ああ、そっか。確か……こっちでは小牧みたいに長くて、綺麗な髪の人を美人って言うんだったわね」
「まあ、そんな!」
小牧は頬を染めて、袖で口元を覆う。
逆立ちしても、彼女のような可愛らしい仕草はできないな……
千珠は彼女を羨むのではなく、好意的に眺める。
好奇心旺盛で、物怖じもしない、泰成に対して忠信の厚い女房を。
いい女房を持ってるわね――そんな気持ちで泰成に目を向けた時、千珠を真摯な目で見つめる彼の視線と絡まった。
たったそれだけで、千珠の胸が激しく高鳴る。
いつから千珠を眺めていたのだろう。
知らない間に泰成に一挙一動を見られていたと思うだけで、千珠の躯の芯が疼き、乳房が張り詰めていくのがわかった。
身の置き所がない状況だというのに性的に興奮してしまうなんて、何をしているのか。
でもそうなってしまうほど、泰成の瞳にはいとも簡単に千珠の心を絡め取っててしまう威力があった。
このままでは、小牧の存在すらも忘れて泰成に強く抱きしめてほしいと願ってしまいそうだ。
そんな千珠の感情が、瞳に表れているのだろうか。
1時間ほど前は警戒するように千珠を見ていた泰成だったが、今は躯の力を抜き、穏やかな笑みを浮かべている。
それだけではない。
泰成の瞳に宿る強い光が、どんどん色濃くなっていく。
千珠が勘違いしてしまいそうなほどの、熱い想いが……
「それでは、千珠さまのお国とわたくしたちのお国では、いろいろと違うのですね」
小牧の声で、濃厚になりつつあった空気が瞬く間に一掃される。
千珠はもったいないような、それでいて助かったような気にもさせられた。
正直自分がどうしたいのかわからなかったが、なんとかして声をかけてきた小牧へと視線を移す。
「それはもう何から何まで違う。本当に何もかも……」
この時代では到底考えられない空に向かってそびえ建つビル、暮らしに役立つ技術、そして若者たちの意識。
目を瞑れば、静寂に包まれたこの白桜邸とは違う喧騒あふれる現代が脳裏に浮かぶ。
でも、この時代だって変わらないものもある。
人に対しての思いやり、心遣い、情熱、そして愛情。
千珠は静かに目を開けて泰成に視線を戻す。
彼は、今も千珠を見つめていた。
現代の男性となんら変わりない、何かを伝えようと感情を宿した目を向けてくる。
「疲れただろう。……小牧、千珠に薬湯を。そして、他の女房に千珠専用の局を用意させるように」
「わたし専用の局?」
小首を傾げて問うが、誰も千珠の言葉に耳を貸さない。
「すぐお傍、柱間4間の2間(=部屋の広さ)でよろしいでしょうか?」
小牧の言葉に、泰成が扇を閉じて音を立てる。
「かしこまりましたわ!」
それが返事なのか、小牧はすくっと立ち上がり、いそいそと局を出ていった。
広い局に、泰成とふたりきり。
意識した途端、不規則なリズムで心臓が早鐘を打ち始める。
変な気分だった。男性と付き合った経験がないのなら、そうなるのもわかる。
でも、千珠は経験者で男の免疫はあった。
にもかかわらず、まさか泰成を前にしてこんな風に緊張を覚えるなんて……
まるで、初心な中学生に戻ったような感覚さえある。
「千珠……」
「な、何?」
声が裏返る。
きゃぁ〜恥ずかしい! ――と叫びたいのを堪えながら、千珠は泰成へ視線を向けた。
「さきほど、私は千珠の話が信じられないと言った。だが今は、違う国からこちらの国へ来たという言葉が、一番正しいのだとわかってきた。裳着を終えて数年も経つ女人が、今も短い髪であるはずがない。それに、このような……手触りの衣は一度も見たことがない」
泰成は、千珠が着ていた巫女装束に触れた。さらに、そこにあるパンティにも指を走らせる。
「あの……お願いだから、それにはあまり触らないで」
千珠は頬を染めて囁き、羞恥を隠すため俯く。
「どれだ?」
そのパンティにと言えるはずもなく、千珠はとうとう諦めて肩の力を抜いた。
「ううん、もういい」
「そうか……。ところで、ひとつ訊きたいことがある」
「何?」
「千珠は、元の国へ戻れるのだろうか?」
泰成は、千珠に早くこの白桜邸を出ていってほしいと思っているのだろうか。
真意を知りたくて彼を窺うが、どうやら違うみたいだ。
その表情からは、千珠を疎んじている色は一切見られない。
それよりも、どこか心配しているように見える。彼の眉間には皺が寄り、不安そうに口角まで下がっている。
その眉間に触れて、皺を伸ばしてあげたい。
だが、ここで泰成に触れてしまったら、自分の気持ちが暴走してしまうだろう。
心の中で渦巻く感情をグッと堪えて、千珠はただ軽く頭を振るに止めた。
「泰成さま、ありがとう。その質問だけど、わたしにもわからないの。何が原因だったのかもわからないから。もしその謎がわかれば、きっと元の世界へ戻れると思うんだけど」
その時、ふとあの鈴の音を思い出した。
桜の見える局に入った際、確かにこの世界へ飛ぶ前に聞こえた鈴の音がどこかで鳴っていた。
もしかしたら、それがキーワードになっているのだろうか。
「どうした? 何か、気付いたことでも?」
「あっ、ううん。まだ何も思いつかない……」
嘘をつく必要なんてない。
それがわかっていても、何故か千珠は素直に鈴の音の話を泰成に伝えられなかった。