車に付属してあるデジタル時計を見ると、既に15時を過ぎていた。
そして、車は……桜木町を過ぎ、どんどん横浜ランドマークタワーへと向かっていた。
「次はどこへ?」
「……ホテルさ」
莉世の心臓が、ドッキンと跳ね上がった。
ま、ま、まだ、昼だよ!
莉世は躰の血流が良くなったかのように、ポーッと火照りだすのがわかった。
そして、それを嫌がっていない自分もいる事に、少し驚いた。
これが、一貴を愛してるって事かな。
時間なんて関係なく……好きな人と一緒に居たい、触れ合いたい、愛し合いたいって思う事が。
「夕食まで寛ごう」
一貴がシフトレバーから手を離して、莉世の大腿をゆっくり撫でた。
まるで、今夜の約束をするかのように。
莉世は、ドキドキして何も言えなかった。
車は大きな建物群に入った。
どこのホテルなのか知らないまま、一貴は横浜ランドマークタワーを通り過ぎた。
大きな道路へ出た時、一貴がまだその先に進むのを見て驚いた。
まさか、あのホテル?!
地理に詳しくない莉世でも知ってる場所だ。
横浜のデートスポット特集が組まれた雑誌を、彰子がよく学校へ持ってきてたからだ。
だから莉世もそのホテルを知っていた。夜景の見えるこのホテルは、女性が彼氏と一度は泊まりたいと思う場所だって事を。
そんな事を考えてるとは知らない一貴は、まるで行き慣れた仕草で堂々とメインエントランスへ乗りつけた。
ド アが開かれると、莉世は落ちついて見えるようにゆっくり降りた。
「いらっしゃいませ」
「駐車お願い出来るか?」
一貴が運転席が出ると、ドアマンに向かって告げた。
ハハッ、お願い出来るかって……一貴にしては丁寧な言い方なんだけど、それでも物怖じせず堂々と上から物を言うのね。
まっ、そういう地位にいる人なんだけど。
「はい」
ドアマンはベルボーイに何か渡すと、一貴の車に乗り込み発進した。
「お荷物はございませんか?」
残されたベルボーイの言葉に、一貴が頷く。
「それでは、どうぞこちらへ」
一貴は莉世の肩を抱いて、ベルボーイの後を歩いた。
何か、何か……ヤダな。
こうして堂々と好きな人とお泊り出来る……それもバースデーという特別な日に……という事はすごく嬉しいんだけど、ホテルに入るとなると妙に気恥ずかしい。
周囲の視線とか。
チラッと周囲に視線を向けて、莉世は胸がチクッと痛んだ。
いきなり視線をパッと逸らした、裕福そうなマダムたちが居たからだ。
「ちょっと待ってろ。チェックインしてくる」
「あっ!」
わたしも一緒に行く!
という言葉は、喉の奥に引っかかってしまい、莉世は豪華なソファに座らざるを得なかった。
それからしばらく経つと、先程のマダムのヒソヒソ話が耳に入った。
「あれが、 “援助交際” っていうのかしら?」
「そうでしょうとも! 嫌だわ……せっかく豪華な気分を味わって楽しもうと思ったのに」
「本当、気分が台無しだわ。そういう事をするのなら、わざわざ一流ホテルを選ばなくても、安い……場所へ行けばいいのにね」
莉世は、そのマダムの目から見えない所で拳を強く握った。
悪い事なんかしてないもの! 好きな人と……大切な日を過ごして何が悪いのよ!
「莉世」
耳に馴染んだ優しい声音が響いたと思ったら、強く握った手に大きくて温かい手が覆いかぶさった。
「行こう」
「あっ……うん」
スカートを撫で付けながら立ち上がった。
一貴は莉世を支えるように、腰に手を置いた。
そして、莉世に話しかけるというよりも……そこに居たマダムに聞かせるというように話し出した。
「許してやれ、莉世。あわよくば、莉世の代わりに自分が “援交” したいと思ってるんだ」
莉世は一貴の言葉にビックリして、思わず顔を上げた。
まさか、一貴も聞いていたの?
一貴は莉世に微笑んだ後、チラッと後ろへ視線を向け、冷たい目をゆっくり上下に動かし……再び莉世と視線を合わせた。
その瞳には、先程の冷血さは伺えず……愛情を込めた光が浮かんでいた。
「自分にない若さを持つお前に嫉妬してるんだ。だから、エステでもして若さを取り戻そうとするんだよ。旦那に触れてももらえず、女の悦びを忘れた者の僻みさ。そんな憂さ晴らしを、一流ホテルのロビーでするとは……品位を疑うな」
「まっ! 何て……」
マダムの怒りに満ちた声が響いたのと同時に、カツカツという足音が響いた。
思わずマダムが来たのかと思ったが、こちらに向かってくる50代ぐらいの男性とベルボーイを見て、彼らの音だとわかった。
「一貴さん。お久しぶりです」
「あぁ、小野寺さん」
誰? この人?
二人が握手するのを、莉世はただ眺めていた。
「先日の披露宴、是非ともうちでしていただきたかったですよ」
「式の1ヶ月前に急遽決まりましたからね。もしこちらでお願いをすれば……小野寺さんにご迷惑をおかけするところでしたよ」
「迷惑だなんてとんでもない! 我々は全力で対応させていただきましたよ」
にこやかに談笑していたが、その小野寺という人が莉世に視線を向けると、会話が中断した。
「こちらは、桐谷莉世。……俺の意中の女性です」
えっ! ……初めて人に紹介して、くれた?
「莉世、こちらはココの総支配人で……俺の悪友・小野寺の叔父さんだ」
「小野寺さんの!」
莉世は、ダブルパンチを受けたように目を大きく開けた。
「初めまして。これからも、どうぞ当ホテルをご贔屓下さいね」
「こちらこそ、宜しくお願い致します」
ペコッと頭を下げると、総支配人は優しそうな微笑みを浮かべて莉世を見つめた。
「とても素敵な女性ですね。陽一も、一貴さんのように一人の女性に落ちついてくればいいんですけれど」
「あいつは……どうかな」
一貴が苦笑いで答えると、総支配人は再び口を開いた。
「私の息子も、莉世さんみたいな素敵な女性を選んでくれればいいのに。どうです? 息子に会ってみませんか?」
えっ?
「小野寺さん」
一貴が凍りつくような低い声で言うと、総支配人はニッコリ微笑んで一貴の肩を叩いた。
「大丈夫ですよ。一貴さんの気持ちは良くわかってますから。―――君、」
総支配人は、後ろに控えていたベルボーイからファイルを受け取った。
「18:30に予約を承っておりますが、そこまでのご案内どういたしましょうか? 宜しければ、ポーターをお付けしますが、」
「いや、いいよ。すぐ目の前だし、それに二人っきりの方がいいんでね」
莉世は、躰に甘い痺れが走るのを感じた。
一貴は冷静に言いながらも、腰に置いた手をゆっくり動かしたからだ。
「わかりました。それでは素敵な時間をお過ごし下さいませ。……莉世さんも」
優しい笑みを浮かべて礼をすると、一貴は莉世の背を押して歩き出した。
そして、ベルボーイの案内も手で追い払い、エレベーターホールへ向かった。
莉世は、思わず後ろを振り返った。
そこにはまだ総支配人が居て、莉世と目が合うと微笑んだ。
わたし……小野寺さんの陽気さにはついていけない所もあるけど、叔父さまは好きだわ。
莉世も微笑んで軽く会釈すると、一貴に促されてエレベーターに乗った。
ソファの所に居たマダムたちが、いつの間にか姿を消した事を莉世が知ったのは、この時だった。