『彷徨う、熱きココロ』【3】

 ひっそりとしたベンチに座ってから、どのくらいその場に居たのか、莉世には時間の感覚がなかった。
 
 莉世は、ただ一貴と湯浅先生の話や、突然のキス、その時の自分の感情をずっと考えていたのだ。
 あの出来事を思い浮かべては、何度自分のココロに問いかけただろう。
 しかし……何度問いかけても、結局辿り着く想いはただ一つ。
 一貴を愛してる。それだけだった。
 思い返してみれば、一貴は自分から湯浅先生を抱きしめていない。ただ、湯浅先生に抱きつかれただけ。
 あのキスは、突然だった。だから一貴には、避けようがなかった。
 なのに……それを、わたしが責める事って出来る?
 莉世は頭は振った。
 出来ない……出来る筈がない。もちろん、わたしが一貴に怒るのは当たり前の事だ。誰が、恋人と他の女性の抱擁シーンを見たいって思う?
 それに、わたしは一貴の彼女なんだから、怒って当然! ただ……湯浅先生にキスを許したと怒るのは間違いだ。防ぎようがなかったキスだから。
 なら、わたしに出来る事って何?
 莉世は、まだ明るい空を見上げ、混乱する頭の中に、新鮮な空気を取り込もうとした。
 わたしが出来る事。
 ……それは、一貴の記憶から、湯浅先生のキスを忘れさせるぐらいしか出来ない。一貴が湯浅先生とのキスを忘れるぐらい、わたしがキスをするぐらいしか。そう、何度も何度もわたしのキスを、一貴に浴びせればいい。
 それで、一貴は……湯浅先生のキスを忘れられる?
 ……わたしのキスは、一貴にとってそれほど効力があるの?
 莉世は、押し寄せてくる不安を吹き飛ばすように、思い切り息を吸って吐き出した。
 
 莉世は、チラリと鞄を見た。
 一貴からは、まだ電話がない……。
 あの出来事は、一貴にしてみれば何も問題がないって思ってるの? わたしが気にしてるって、傷ついたかも知れないって、全然思ってないの?
 莉世は、瞼の裏が再び熱くなってきたのを感じ、それを押し止めようと瞼を閉じた。
 
 
「見つけた!」
 突然そう言われて、肩を強く捕まれた。
 一貴!
 溢れ出した喜びを、隠しきれないまま勢いよく振り向くと、 そこにいたのは古賀だった。
 古賀を見た瞬間、風船のように膨らんだ喜びは……一瞬で萎んでしまった。
「古賀、くん」
「あっちぃ〜」
Tシャツを掴んで仰ぐと、そのまま莉世の隣へ座った。
「皆は、もう建物内に入ってるんだ。なのに、桐谷は来ないし……三崎がいくら携帯にかけても出ないし」
 携帯にかけた?
「嘘! 全然鳴ってないよ?」
 莉世は、鞄から携帯を取り出した。
 その真っ黒な反応のないディスプレイを見て、莉世はため息をついた。
「……電源、切れてる」
「だろ? あぁ〜、でも良かった。桐谷を見つける事が出来て」
 団体行動なのに……わたしったら! 皆に迷惑かけて、いったい何してるの? ここで一人でいたって……うろちょろしてる学院の生徒がいる前で、一貴がわたしに話しかけてくるなんて、絶対あり得ない事なのに。
「ごめんね、そんなつもりじゃなかったんだけど、ボーッとしてて」
 莉世は自己嫌悪に陥りながらも、気持ちは一貴に向かう事を止められず、手に持っていた携帯を握り締めた。
 一貴……わたしが話したくないと思って、電源を切ったと思ってるの?
 以前のように、怒るだろうか?
 でも、むしろ怒りを露にして、教務棟に呼び出されたあの頃のように、めちゃくちゃにわたしを求めて欲しい。
 そうすれば、一貴の気持ちがわたしに向いてるって、実感出来るから……。
 莉世は震える唇を、ギュッと噛み締めた。
 
「なぁ、桐谷」
 突然呼ばれて、莉世は我に返った。
「えっ?」
「お前……転入してから、すっげぇ綺麗になったよな」
 はぁ?
 莉世は戸惑いながら、古賀の方を向いた。
「それって……男のせい?」
 真剣に見つめながらも、暗い陰を目に露して莉世を見つめた。
「わたし、何も変わってないよ」
 そう、何も変わってない。
 相変わらずの童顔だし、幼いし……想い焦がれる相手も変わってないし。
「変わった……」
 古賀の真剣な声で、二人の間に緊張が走ったのがわかった。
 莉世は、その緊張した重い空気を追い払うように、立ち上がろうとした。
 が、古賀に手首を握られ、押し戻されてしまった。
「古賀くん……離して」
 古賀の態度に驚いた 莉世の喉から、掠れた声が出てしまった。
 古賀の目は、莉世の緊張を感じ取ったと告げている。
 
「俺、お前が好きなんだ」
 莉世はハッと息を飲んだ。
「初めは可愛い子が転入してきたな、ぐらいしか思ってなかったんだ。だけど、三崎たちとワイワイ楽しそうにしてる姿を見て……いつの間にか桐谷ばかり見るようになってた」
 莉世は唇を引き締め、古賀を見た。
「放課後……皆でカラオケ行った時、もう俺は桐谷しか見てなかった」
 莉世は握ってる携帯を見下ろした。
 そう、覚えてる。
 古賀くん、あの日は何度も何度も話しかけてきた。
 そして、ふと視線をあげれば……古賀くんの視線とぶつかっていた。
「俺と、付き合ってくれないか?」
 聞きたくなかったその言葉に、莉世は一瞬目を閉じた。
「ごめんなさい……わたし」
「桐谷の好きな人なら知ってる」
 えっ?
 莉世は、視線を上げた。
 そこには、苦笑いした古賀の顔があった。
「わかるよ。ずっと桐谷を見てたって言っただろう? その視線の先に誰がいるかなんて……」
 莉世は血の気が一気になくなったのがわかった。
 わたし、そんなに見てない! そんな……誰にもわかるように、一貴を見てないよ。
「桐谷の恋って……難しいぜ? 絶対見込みなんかないよ」
 突然、莉世の胸がギュッと締めつけられた。
 他人が見たら、やっぱりそう思うの? 実際は付き合ってるのに、やっぱりちぐはぐなカップルにしか見えない……絶対あり得ないカップルとしか見えないの?
 でも……
「それは、古賀くんが決める事じゃない。わたしが決める事でしょ?」
 はっきり言う莉世の言葉に、古賀は一瞬言葉に詰まったようだったが、すぐに口を開いた。
 
「俺は、桐谷が今誰を好きでも構わない。俺と付き合ってくれさえすれば、それでいい。そうすれば、いつか……桐谷も報われない恋なんて忘れるさ」
 古賀が、携帯を握る莉世の手を、上から手で覆った。
「頼む! 桐谷が好きなんだよ」
 この状況って……まだ大人しい方だけど、さっきの一貴と湯浅先生の場面と同じ。
 一貴も、わたしと同じ気持ちだったの? 告白されて……嬉しい反面、その気持ちには応えられないという辛い思い。傷つけずに、どうにかして諦めてもらおうと、わかってもらおうと慎重に言葉を選んで……。
 そうか。だから、一貴の言葉は謎めいていたんだ。
 一貴も、わたしと同じような気持ちを味わったんだ。
 莉世は、こんな状況を望んではいなかった。
 でも、 偶然に古賀に告白されたお蔭で、一貴の気持ちが少し理解出来たのだ。
「ごめん……わたし、古賀くんと付き合えないよ」
「何故?」
 一貴と付き合ってるなんて、絶対言えない。
 でも、わかってもらわなければ。
 莉世は、古賀に理解してもらおうと、はっきりと声を出した。
「……好き以上の気持ちがないのに、付き合うのは相手に失礼だから」
「俺がそれでいいって言ったら? 友達として好きでいてくれるなら、付き合っていく上で……いつの日か気持ちが変わる可能性だってあるだろ? それに賭けて欲しいと言ったら?」
 莉世は、頭を振った。
 それは、一度経験したからだ。
 結局は、相手も傷つけ、その傷つけた事によって自分も傷ついた。もう二度と同じ過ちは繰り返したくない。
 それに、今はやっと……手放したくないと思うほどに愛している一貴と、恋人同士になれたのだ。
「ごめんなさい、わたし古賀くんとは付き合えない」
 古賀は、莉世を見つめていたが、しばらくするとゆっくりと手を離した。
「俺……今諦めるなんて、出来ないよ。もしかしたら……いつの日か桐谷より好きな人が出来るかも知れない。でも、今はまだ無理だ。忘れられない」
「古賀くん……」
 古賀は立ち上がると、莉世を見下ろした。
「とりあえず、皆の所に戻ろう。もうすぐ乗れると思うんだ。まだあの絵画の所に入ってないといいんだけど。さぁ、急ごう」
 莉世は促されて、立ち上がった。
 すると、古賀が莉世の手を握ってきた。
 ええっ?
「早く行こう!」
 そう言うと、そのままグイグイ引っ張って歩き出した。
 
 
 何か……この状態嫌だ。
 古賀くんの彼女だって思われてしまう。
「ねぇ、手を離して?」
「嫌だ」
 えっ? ……嫌?
「俺、今の気持ち抑えられない。きっと、桐谷に避けられたからだろうな……シンデレラ城内からずっと」
 莉世は、その言葉に胸がギュッと痛くなった。
 古賀くん、気付いてたんだ……
「俺、桐谷に気持ち打ち明けて良かったよ。あの時、避けられてなかったら、絶対まだ告白してなかったし、こんな風に大胆に手を握る事はなかった」
 莉世は一瞬目を閉じた。
 もし、私が古賀くんを避けようとしなければ、こんな事にならなかったんだ。
 わたしが……。でも、今さら悔やんでも仕方ない。
「だけど……」
 莉世は、どうしても古賀にわかってもらおうと口を開いたが、
「言っとくけど、俺、まだ諦めたわけじゃないから。とにかく早く皆と合流しよう。三崎に何か言われると思うと、ゾッとする」
 と、口を挟まれてしまった。
 莉世は息を喘がせながらも、問答無用に引っ張る古賀について行くしかなかった。
 
 手を繋いでいる二人の姿を、後ろから一貴が見ていたとも知らずに……

2003/05/09
  

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