何故? どうして、今日は一貴の態度が違うの?
閉じた瞼をゆっくり開けると、一貴の目と合った。
一貴はキスしながらも、目を開けて……わたしを見ていたんだ。
「お前……三崎に何か吹き込まれたな?」
突然の問いに、莉世はぱちぱちと瞬きした。
「何? 何を言ってるのかわからないよ」
一貴は、突然莉世の腕を掴むと引っ張った。
「キャッ!」
一貴の膝に、思い切り倒れ込んでしまい、胸が思い切り一貴の腿で押し潰された。
その乳房の痛みに顔をしかめながら、 莉世は顔を上げた。
「一貴?」
一貴は、莉世の腰に手を回して引き上げると、左腿を掴み引き寄せた。
「あっ!」
いつの間にか、一貴の足を跨いで座るようにされてしまった。
その恥ずかしい格好に、莉世は思わず顔を赤らめた。
なのに、一貴はお構いなしに、莉世のヒップを掴むともっと密着するように引き寄せた。
動悸する胸が、一貴の胸板に軽く擦れるように触れる。
そのソフトな感触が、莉世を喘がせた。
胸を離そうとすると、密着している下半身が、より一層感触を伝えてくる。
ジーンズとズボンに隔てられているとはいえ、この密着さはセックスを想像させるじゃないの!
莉世は、激しく上下する胸を止める事が出来なかった。
「何故、みつるの事を訊かない?」
莉世は息を飲んだ。
湯浅先生との事?
顔を曇らせた莉世の表情を見て、一貴は長いため息をついた。
「時々思ってた。お前は……本当は俺が他の女と一緒に居ても、気にしないんじゃないかと」
「何言ってるの? わたしは、一貴の事すごく……すごく想ってるのに!」
一貴のその言葉を止めるように、莉世はココロの奥から絞りだすように言った。
一貴のとんでもない言葉が、莉世を苦しめたからだ。
もしかして、わたしの気持ち……半分しか伝わってないの?
あんなに一貴に抱かれているのに、それでもわたしが一貴だけを愛してるって気付いてくれてないの?
莉世の唇が戦慄く。
怒りと悲しみがミックスされてしまい、動揺するココロを止められなかったのだ。
一貴は、莉世の頬を包み込むと、軽くキスをした。
「早とちりをするな。俺は、思ってたと言ったんだ。あの店からここまでの道のり……俺は、お前の無関心さを感じていた。だが……俺が、階下で手を差し出した時、お前は自らの意思で俺の手を握ってくれた。……あの時の俺の感情は、言葉では表現出来ない」
莉世は息を飲んだ。
まさか、 あのちょっとした行動が……そんなに一貴を喜ばせたなんて。
莉世の様々な動揺は、一瞬で消えた。
「あれで、俺の心は少し軽くなった」
淡々と話す一貴を、莉世は身を離して見た。
「俺は、お前らに声をかけずにはいられない男たちの気持ちはわかるが、だからといって……それを静かに眺めてるなんて事は、絶対出来ない。莉世……お前はどう思った? 俺がみつるといたのを見た時」
一貴の目が少し陰った。まるで苦悩してるかのように。
一貴は……わたしが気にしていないとでも、思ってるの?
先程の一貴の言葉が、再び頭の中で声が響いた。
「お前は……本当は俺が他の女と一緒に居ても、気にしないんじゃないかと」
一貴は、わたしが嫉妬するほど愛してるかどうか……知りたいの?
莉世は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
思い切って一貴の耳に手を伸ばすと、気持ちを込めるようにゆっくり撫でた。
「ビックリした……ううん、それよりもすごい嫉妬したよ。歓迎会だって言ってたのに、どうして湯浅先生と一緒に食事に来たのか……どうして、わたしに嘘をついたんだろうって思って」
一貴が驚愕して口を開こうとしたのを、莉世は慌てて手で一貴の口を覆った。
「聞いて。わたしね、一貴と湯浅先生……二人が並ぶ姿を見て、何てお似合いなんだろうって思った。わたしと並んでたら、絶対 “妹” ぐらいにしか見られないもんね。だから、湯浅先生を羨ましく思った。そう思った時、彰子に言われたの」
莉世は手を口元から退かすと、一貴の首から、逞しい胸板へと両手を滑らせた。
一貴が息を飲み、手に伝わる鼓動が早くなったのがわかったが、莉世は再び口を開いた。
「一貴にも付き合いがあるんだから、何でも勝手に解釈したらダメだって。でも、素敵なカップルの姿を見せつけられて、わたし……絶句したの。それを見た彰子に、変に誤解したらダメだって。本人から理由を聞くまで、早合点してはダメだって言われて……」
チラッと胸元から視線を上げると、一貴は荒い息をついていた。
こうして一貴に触れてると、まるで自分から誘ってるみたいでドキドキしたが、意外と嫌な気分ではなかった。
「湯浅先生が、一貴に恋してるのは……わたしにもわかった」
一瞬、あの歪んだ湯浅先生の表情が浮かび、莉世は目を瞑ったが、すぐさま一貴を見た。
「先生は、一貴の腕に手を回してた、腰に触れてた。……すっごく嫌だった」
急に独占欲が出てきた。
一貴は、わたしの彼氏なんだよ? 誰にも触れられて欲しくない!
莉世は手を上げて、一貴の顔に触れながら、自ら軽く開いた一貴の唇にキスをした。
そのキスを返すように、突然一貴が唇を動かしたが、素早く莉世は躰を離した。
一貴の口から、切羽詰まった呻き声が漏れた。
「でもね、彰子に言われて気付いたんだけど、誰でも人を好きになる権利ってあると思う。もちろん、湯浅先生が……一貴を好きになる権利だって。だけど、その時……一貴がどういう行動をとるかで状況が変わってくるんだってわかったの」
莉世は、苦しそうに目を曇らせた。
「いつの日か……付き合う可能性があるっていう風に振る舞うのか、それとも見込みがないとはっきりわかるように……振る舞うのか」
莉世は、不安げに一貴を見た。
「もし、一貴が後者の行動を取るなら、一貴の彼女……として、わたしは何も心配する事はないって思ってる。でも、もし前者なら……わたしは絶対我慢出来ないよ」
最後の最後で、涙が溢れそうになったが、莉世は瞼を閉じて押し止めようとした。
しかし、莉世の気持ちに気付いたのか、突然一貴が莉世を抱きしめた。
「何故、お前がそんな心配する必要がある? 俺の気持ちはわかってる筈だろ? 確かに、俺はみつるの気持ちを知ってる。だが、俺は期待をもたすような接し方はしていない。ずっと……それは高校時代から変わらない」
莉世は、一貴の肩に目を押しつけた。
涙が、一貴の服を少し濡らすのがわかった。
一貴がため息をついた。
「今日の事だが……、俺はみつるから連絡を受けたんだ。行ってみると、そこにはみつるしかいなかった。あいつ……俺を騙したんだ。歓迎会は嘘だったんだよ。初めてだよ、あいつが俺に嘘をついたのは。だから、俺はまんまと騙されたってわけだ。あの店は、みつるが行こうと言い出したんだが、今では言ってくれて良かったと思う。こうしてお前と会えたんだからな」
そうだったんだ……良かった、一貴に問いただすような事をしなくて。
これも全て彰子のお蔭だ……適切な助言をしてくれた、彰子のお蔭。
莉世は、子供っぽいマネをしなくて良かったと、安堵した。
「それでなんだな……。三崎にいろいろ吹き込まれたせいで、今日のお前……いつもと違うんだな」
莉世は驚いて、一貴を見つめた。
「一貴だって全く違うよ」
二人は見つめ合うと同時に、莉世はクスクス笑いだし、一貴はニヤッと口角を上げた。
「お前が、妙にわかり切った話をするからだ」
「なによ。一貴だって、いつもならわたしを乱暴に扱うじゃない」
一貴は、笑ってる莉世の唇に指を這わした。
「それはな、さっきも言ったように、お前の行動が俺の気持ちを変えさせたからだよ」
息を吸った瞬間、一貴が唇に這わしていた指を、莉世の口内へ差し込んだ。
一貴の目が愛情で輝いてるのが、莉世にもわかった。
その目を見た途端、莉世も大胆になり、一貴の指を舌で絡めて舐めた。
すると、一貴は莉世にもわかるように、ハッと息を飲んだ。
「り、せ……」
莉世はニコッとし、歯で軽く咬み、チュッと吸いながら舌で撫でた。
喘いだままの一貴が、突然顔を近づけてくると、莉世の耳元で囁いた。
「今度は俺の指ではなく……口でして欲しいな」
莉世はびっくりして、勢いよく身を離した。
「えっ? えっ!」
一貴は、先程と違って急に元気になり、ニヤッとした。
「俺もしてやる……今まではずっと嫌だって言うから、しなかったが」
今度は、莉世が戸惑う番だった。
「えっ、いいよ、わたしいい!」
莉世は、一貴の膝から下りようとしたが、一貴の腕がそれを許さなかった。
「駄目だ。俺から逃れようと思っても……絶対許さないからな」
莉世は、早くなる心臓を意識しながら、口をパクパクさせる事しか出来なかった。
「だが……、今日は止めておく。お前が欲しいが……時間がない」
莉世はそう言われて、時間か既に23時前になってる事に気付いた。
「あぁ、パパとママに怒られる!」
莉世の顔が青ざめたのに対して、一貴はガクッと肩を落とした。
「興醒めなやつだな、お前は……」
「だって」
一貴は、口を尖らせる莉世を立たせながら、自分も立ち上がった。
「わかってる」
一貴が、財布を取り出すと、万札を2枚テーブルに置いた。
それを見て、莉世はここがラブホだった事を思い出された。
「ねぇ、どうしてココに入ったの? ココってそんなに……するの? 」
「そうだな。ココを選んだのは、興奮せずに話せるだろうと思ったからだな。値段は、お前は気にしなくていい」
「でも……」
「いいんだよ。俺がお前を連れてきたんだから。それに、普通のラブホと違って、雰囲気が旅館みたいで俺は気に入ってるしな」
その言葉で、一貴が昔ココを利用していた事がわかった。
他の女性と……そう、響子さんとか。
莉世はその思いを振り切るように、口を開いた。
「でも、わたしこういう所って……ベッドとか、布団があると思ってた」
その言葉に、一貴は莉世の手を引いて、すたすたともう一つの襖がある所まで連れて行き、そこを開けた。
すると、そこには赤いランプが灯った……ダブル用の布団が敷かれていた。
妙に艶めかしい雰囲気の和室だった。
放心する莉世を、一貴は後ろから抱きしめた。
「今度は、ちゃんと使おう」
そう言われて、莉世は顔を染めた。
何度も何度も抱かれてるのに、恥ずかしい気持ちは全然消えない。
「ねぇ、今日は……そのぅ、使おうって思わなかったの?」
お腹に触れてる一貴の手に力が入った。
「思ったさ。たった数時間だけでも、お前を抱きたかった。だが、お前の態度を見て、抱くことよりも話がしたいと思った」
「そう……」
「あぁ、そうだよ」
一貴はそう言いながら、莉世の耳朶を舐めた。
躰の震えを感じた一貴は、一瞬莉世をきつく抱きしめた後、躰をすぐ離した。
「さぁ、帰るぞ」
「うん」
一貴は、またも同じように手を差し出した。
これは、お互いに想ってるかどうかの意思表示なんだ……一貴が出す愛情をわたしが受け止めて……それを返すかどうかの……。
莉世はゆっくり微笑むと、一貴の大きな左手に右手を滑り込ませた。
そして、ギュウと握ると、一貴もきつく握り返してきた。
部屋を出て廊下を歩いていると、一貴が突然口を開いた。
「莉世……急いで大人になろうとしないでくれ」
「えっ?」
大人になろうとしないでくれって、どういう意味?
わたしは、一貴に一歩でも早く近づきたいって思ってるのに。
莉世は、一貴の横顔を見上げた。
「三崎に諭される事も、いいと思う。あいつにしては、いい事を言った。だが、今は……そのままの年齢に合った、今のお前でいてくれ」
「どうして? わたしは、早く大人になりたい」
一貴は、長い息を吐き出した。
「年齢と共に、心も躰も成長して、お前はもっと綺麗になるだろう。急がなくても、結局は大人になるんだ。だから、今は……そのままでいてくれ。でないと、」
最後は、一貴が言葉を濁したため、聞き取れなかった。
「何? 何なの?」
「いや……俺の問題だ、我儘な要求だよ、ったく」
一貴は顔を背けてそう言うと、莉世の手を握って階段へと促した。
莉世たちは外へ出ると、タクシーを拾って乗車した。
しばらくしてから、莉世は隣に座る一貴の横顔を、チラッと見た。
今日は、彰子と〔BEST FRIEND〕になれた素晴らしい日になった。
そして、一貴のいつもと違った面を垣間見ることが出来た、とても素敵な日になった。
それが……恋人という特権なのかな。
莉世は、嬉しそうにゆっくり微笑んだが……突然顔をしかめた。
……あの最後の一貴の言葉、いったいどういう意味だったんだろう?
わたしに、今のままの状態でいて欲しいと言った言葉。
どうして、それが一貴の我儘になるの?
莉世は、新たな疑問に頭を悩ませながら、窓から流れる夜景を、見るともなく眺めた。