背が高くて美人の彰子は、周囲から羨望の眼差しと、アプローチしたそうな人たちの注目を浴びていた。
なのに、彰子はその視線を気にもせず、落ち着きのない莉世の目の前で、優雅にコーヒーを飲んでいる。
莉世は、心臓がバクバクして、コーヒーに手を出すどころではなかった。
彰子が、一貴にカマをかけてから、既に一週間が過ぎようとしていた。
あの後、いつ彰子に聞かれるのか、ドキドキしていたが……何故か彰子は莉世に問いただすような事はせず、いつもと変わらない態度で接してくれた。
もしかしたら……気付かれてない?
なんて、甘い考えは捨て去るべきだった。
彰子は、観察していたのだ。わたしの行動を。
そして、 一貴の行動を……。
* * * * *
――― 数日前
「ねぇ、彰子から何も訊かれないんだよ? わたし、絶対バレたと思ってたのに」
一貴のマンションで、莉世はソファに凭れながら、会社の書類を見ている彼を眺めた。
「どうだろうな」
一貴は、書類から目を離さずに答えた。
仕事があるなら、わたしを呼び出したりしなくてもいいのに。
……無理やりえっちしなくてもいいのに。
莉世は、激しく求める一貴を思い出して頬を緩めた。
昨日……古賀くんたちと一緒に遊びに行ったせい?
莉世は、ちゃんと一貴に告げていた。
彰子たちと一緒に8人で、放課後遊びに行くと。
すると、急に一貴の機嫌が悪くなり、その後絶え間なくメールを入れてきた。
一応気をつかったのか、電話をかけてきたのは数回だったが……。
そして、今日マンションに入るなり一貴の欲望が爆発して、莉世は何度も何度も求められたのだ。
わたし、一貴に愛されてるって自信持っていいんだよね?
思い出した途端、躰が疼いてくるのがわかった。
その思考を振り払うように、莉世は話題を元に戻した。
「あんなに悩んで損した。ずっとビクビクしてて、生きた心地しなかったんだもの。それに……一貴は逃げるし」
「逃げてない」
チラッと見ると、一貴の口元は笑いを堪えるように震えていた。
やっぱり、あれは逃げたんだ!
莉世は膝を抱えると、腕に力を込めて、振り子のように躰を動かした。
あの直後、わたしがどれだけ悩んだのか、知らないの?
彰子の口から、いつ……飛び出すかと思うと冷や冷やしてたんだから。
授業もろくに聞いてなかったし……。
あの時の事を思ったら、今でも胸が押し潰されそう。
莉世は、顔を膝に埋めた。
でも、あれから彰子は何も……一貴のあの行動に対して、何も問いただしてこない。
という事は、彰子は気付いてないって事じゃない?
でも、あの時の彰子の言動は、わたしですら何かあるとわかったんだけど……あぁ、もう悩みたくない。
「莉世」
突然一貴に呼ばれて、顔を上げた。
「何?」
一貴は、顔を顰めながら頭を振った。
「お前、俺を誘ってるのか?」
「えっ?」
一貴は、手に持ってるペンで莉世を指した。
「見えるか見えないかっていうその動きは、男の欲望をそそってるのと同じだぞ」
莉世は、今日スカートをはいていた事に気付いた。
すぐに膝を下ろしてスカートを元に戻す。
ミニってわけじゃないから、油断していたのだ。
莉世は、急に真っ赤になった。
「誘うわけないじゃない! わたし、」
「あぁ、そうだよな。“もう、ダメ、これ以上無理、出来ない” って懇願したのは、確か莉世だったし」
莉世は、膝に置いてた手をギュッと握った。
何よ、何よ! あれだけされたら、躰がバラバラになってしまっても不思議じゃないんだよ!
もちろん、すごいめちゃくちゃに感じてしまって……気持ち良かったのは事実なんだけど。
ニヤニヤ笑う一貴を、睨み付けた。
「もう! ただ自然に膝を曲げただけじゃない」
一貴の笑いを含んだ目が、急に真剣になった。
「それが、問題なんだよ。俺の前でなら、まだいい。だが、他の男の前でしてみろ。襲われても、それは自業自得なんだぞ?」
何か言えば、倍に返ってくる一貴の言葉に、莉世はため息をつくしかなかった。
一貴は、わたしの素行に対して、何度も何度も言ってくる。
わたしが、無防備だとか……無頓着だとか。
……そうかなぁ、これでもしっかり保ってるんだけど。
一貴から見たわたしって、問題だらけなんだろうか。
「三崎に関してだが……あまり油断するな」
急に話しが変わって、莉世はビックリしながらも、一貴を見た。
「でも、何も言ってこないんだよ? もしかしたら気付かれてなかったのかも」
「俺の方が、お前より三崎の事をよく知ってる。……佐々木の件もあるしな」
その微妙な言い回しの言葉に、莉世は前へ身を乗り出した。
「佐々木って、華緒の事? 何? 何があったの?」
一貴は、莉世を見上げた。
「佐々木は、お前の友達なんだろ? それなら、友達の口から聞くのが、一番なんじゃないか? 俺の口から言う事じゃないだろ」
そう言われてみると、 そうだった。
何か大事な事なら、本人の口から聞くのが一番だ。
莉世は、うんうんと頷いた。
「お前のそういうところ、好きだな」
突然……淡々と言われて、莉世は目を大きくさせて一貴を見た。
「そういう、何でも訊こうとしないところが」
「そんな事ないよ! 覚えてないの? わたし……一貴にいろいろ質問したよ? ……本当にいろんな事を」
一貴の莉世を見る目には、愛情が溢れていた。
「それは、俺の口から聞きたかったからだろ? だが、今回は俺の口から言うべき事ではない。その事を、素直に納得出来るって事が、お前のいい面だな」
莉世は、その一貴の言葉に頭が痛くなってきた。
「待って……普通そうじゃないの?」
一貴が、ペンをテーブルに放り投げると、 カラカラ……とガラスの上を転がる音が響いた。
「普通は、そうじゃない。大抵の人は、誰かの秘密を知ったら、他の誰かに秘密をバラす……そして誰かに懇願されて、またその秘密を誰かにバラす。それの繰り返しだ」
莉世は、その言葉の意味を頭にたたき込んだ。
噂話が好きって事だよね? ……確かに、私は昔からそういう噂話って、自分から聞き出そうってしなかった。噂話とかに、興味がなかったから。
それが、わたしの好きなところだと?
………この事は、言わない方が無難かも。
「っで、話は元に戻るけど、彰子……やっぱり気付いてると思う?」
「もし、そうならお前どうする?」
わたし?
莉世は、考えた。
もし、彰子にバレてしまったのなら……わたしは隠したくない。
その思いに到達すると、莉世は唇を噛み締めながら一貴を見た。
「わたしは、彰子に嘘をつくのは嫌なの。だって、帰国して初めて出来た友達だし……、それに彰子ってすごくいい子なの。わたしは、もし本当にバレたのなら、その時は……真実を告げたい」
一貴は、莉世の訴えるような目から、一瞬でも逸らさないように、ジッと見つめた。
揺らぐことのない莉世の目を見て、一貴はため息をつきながら瞼を閉じた。
ダメ? やっぱり、言ってはいけない?
しばらくすると、一貴は面を上げて莉世の瞳を見つめ返した。
「三崎が、他の誰かに言うとか……そう思わないのか? もしそういう事になったら、俺は別にいいが、お前は皆からどんな目で見られるのかわかってるのか?」
「彰子は、そういう子じゃない! わたしは、まだほんの2週間足らずしか知らないけど、絶対彰子は告げ口なんてしないよ。」
必死に抵抗するような勢いで言う莉世に、一貴はニヤッとした。
「そこまで言うのなら、俺は反対しない」
莉世は、ビックリした。
一貴が、そう言うとは思わなかったからだ。
「だが……言うのは、バレた時のみだ。約束出来るか?」
莉世は呆然としながらも、何度も頷いた。
突然、一貴は顔を歪めた。
「はぁ〜。莉世の相手だけで、もう手がいっぱいなんだが……あの三崎まで相手にしないといけないのか? ……辛いな」
ボソリと呟くように言った言葉だったので、莉世の耳には届かなかった。
「えっ? 何か言った?」
「いいや。……まぁ、仕方ないか」
意味不明の言葉を吐く一貴に、莉世は見つめる事しかできなかった。
* * * * *
――― 昨日(金曜日)
突然携帯が鳴った。
着信音から、一貴からではないとわかった。
「はい?」
携帯の向こうから聞こえてきたのは、彰子の声だった。
『あっ、莉世? あたし、彰子』
一瞬、心臓がドキンと飛び跳ねた。
「あっ……うん、何? どうかしたの?」
『……今、家?』
「……そうだよ」
彰子が口を閉ざし、後ろからは車が走る音が聞こえる。
外にいるのだろう。
『明日さぁ、時間作ってよ』
えっ、明日? 明日って……土曜日だよ。
あぁ、どうしよう。週末は、自然と一貴との時間になってるんだけど。
「う〜ん、どうしても明日じゃないと駄目?」
『明日じゃなきゃ駄目! ……まぁ、彼氏に了解とってよ。じゃ、4時に渋谷でね。バイバ〜イ』
「あっ、彰子!」
既に遅し……彰子はもう切っていた。
何だろう?
もし明日会おうって約束なら、別に夜にかけてこなくても、学校で計画すればいい事じゃない? それが、何故今になってかけてきたんだろう?
……嫌な感じがする。一貴との事? それとも、何か違う事?
莉世は、すぐさま一貴に電話した。
彰子に会う事を告げると、
『……頑張ってこい』
とだけ。
「明日、マンションに行った方がいい?」
『いや……どうせ三崎が離さないだろ。それに、俺も、歓迎会に顔を出してくる』
「歓迎会?」
そんな話、聞いてない。
『あぁ、急に決まったって連絡があってな。その時、まだお前が三崎と会う事を知らなかったから、一度断ったんだが、やっぱり顔を出してくる。まっ、お前もせいぜい頑張ってこい』
それだけ?
いつもの一貴なら、文句を言いそうなんだけど……。
ひとまず安心したが、そっけない一貴の言葉が、再び頭の中を駆け巡った。
もし、アノ事だったら、わたし一人だけの問題じゃないのに!
とりあえず、彰子にバレた時の話は、十分に一貴と話し合っていた。
だから、あとは……運を天に任すのみ。
* * * * *
そして、今……こうして彰子の前で座っていた。
彰子も莉世も、同じようにジーンズをはいていた。
しかし、二人はまるで違って見えた。
彰子は、まるでモデルのように見える。
莉世は……胸元がV字に開いてる、薄いピンクのフリルがついた服を着ていたので、とても可愛らしく見える。
そういうわけで……誰が見ても、共通点のない二人に見えただろう。
しかも、一人は落ち着き払い、もう一人は視線を泳がせ、落ち着きがないときているのだから。
そろ〜と視線を上げると、彰子は真っ直ぐ莉世を見つめていた。
その表情に、学校でのおちゃらけた雰囲気は全くなかった。
莉世は、発せられる言葉に堪えるように、ゴクリと唾を飲み込んだ。