一貴は莉世の言葉を聞いて、安堵のため息を漏らした。
「何だ……そんな事か」
一貴は、身を起こしながら、莉世をソファに座らせる。
「彼女は、現国の教師だよ。湯浅みつる、2−2の副担。そして、俺の1コ下の後輩だ」
「後輩?」
莉世は、その言葉に胸が痛くなった。
「そう、高校時代の後輩……学院長や理事長を除いたこの学院内の中で、唯一俺が2つの職を持ってる事を知ってるのは、みつるだけだろうな」
みつる! 一貴も、その……湯浅先生の事を、呼び捨てにするんだ。
莉世は、顔を背けた。
「そう、なんだ」
何てことだろう。
その湯浅先生は、私の知らない一貴を知ってるんだ。わたしに見せた事のない……高校生だった一貴を知ってるんだ。
莉世は、奥歯をギュッと噛み締めた。
苦しい……、すごく苦しい。
でもわかってる、こんな事で動揺なんてしたら駄目だって。
当たり前だよ。年齢が離れてるし、一貴が高校生の頃、わたしはまだ小学生ですらなかった。
そんなわたしに、高校生の一貴自身を見せてくれるわけなかったのに。
わかってるのに、何でこんなに苦しいんだろう。
あぁ、わたし……すごい欲張りだ。
こうして恋人になれただけで満足しなければいけないのに、わたしはもっともっと一貴を欲しがってる。
何て我儘なんだろう? 何て子供じみてるんだろう?
こんなわたし……大嫌いだ!
きっとこんなわたしを知ったら、絶対一貴に嫌われてしまう。
せっかく……さっきココロにパァ〜っと華が咲いたのに、それを自らの手で散らせたくない。
自分で不安を作ったらダメ!
「どうかしたか?」
莉世は、ハッと我に返った。
「ううん、何でもないよ」
莉世は口角をあげて、無理やり微笑んだ。
「それより一貴、わたしのボタンが2つないんだけど」
何か言いたそうにした一貴の口を封じるように、気になっていた事を言った。
一貴は、莉世が無理やり話を変えたのをわかっていたが、莉世の胸元が開いたブラウスを見ると、申し訳なさそうにした。
「……あぁ、本当に乱暴だったな」
「本当、そうだよ」
「教室戻っても、絶対ブレザー脱ぐんじゃないぞ」
一貴の声が、微妙にトーンが下がった。
「脱ぎたくても脱げないよ、これじゃ……お腹見えるし、ブラも見えるしね」
「……悪かった」
一貴は、本当に悪かったと思ってるようだった。
「こんな筈じゃなかったんだが」
「えっ?」
ボソリと呟いた一貴の声に、莉世は一貴を見た。
「明日、俺が何で会おうと言ったと思う? 1週間前……デートらしき事もせずお前を抱いたから……だから、気分を変えようと思ったんだ。まぁ、教師と生徒って立場だから、いろいろ問題があるんだが」
自嘲気味に笑う一貴を見て、莉世の目が輝きだした。
「本当に? 本当にデートしようって考えてたの?」
莉世は、思い切り一貴の首に抱きついた。
「嬉しい。すっごい嬉しい! ありがとう、わたしの事考えてくれて」
どうしよう、本当に嬉しい!
たった……一貴の一言が、わたしをこんなに有頂天にさせるなんて。
ココロが、一貴への愛で染まっていくのがわかった。
一貴はホッとしたように、ギュッと莉世を抱きしめた。
身を離すと、莉世は生き生きとした表情で一貴を見た。
そんな莉世のすごく嬉しいそうな顔に、思わず一貴の表情も柔らかくなった。
そして、 一貴は手を伸ばすと、莉世の頬を撫でた。
「久しぶりにお前に触れて思ったんだが……お前の肌、すごい肌触りがよくなってないか?」
「本当?」
莉世は一貴の言葉に飛び跳ねたいぐらいだった。
気付いてくれた……気付いてくれたんだ。
一貴は、わたしをよく見ていてくれている!
一貴は、いったいわたしのココロに、何度華を咲かせれば気がすむのだろう?
胸がいっぱいのまま、莉世は一貴に向かって満面の笑みをたたえた。
「ふふふっ。あのね……実は、華緒に教えてもらったんだ。すべすべお肌ア〜ンド白い肌になる化粧水」
「華緒って……佐々木か?」
「そうだよ、佐々木華緒。それね、手作りの化粧水なんだ。しかも一石二鳥の化粧水なんだから。実はね、ママも喜んで使ってるんだよ」
「……それだけ効果があれば、ずっと使い続けて欲しいな」
一貴の目が、輝きを増してきた。
「もっちろん! ……一貴が気に入ってくれるならね」
一貴は、莉世の滑らかな頬に、指を走らせた。
「気に入った」
莉世は大声で笑いたくなった。
「それ、わたしがその化粧水を付けてる時にも聞きたい。だって、パパや卓人は、ウェッて顔するんだから」
「ウェッ?」
莉世は、肩でククッと笑った。
「そう。だって、わたしもウェッてなるぐらいなんだから。……あのね、すごい嫌な匂いがするの。今度一貴にも嗅がしてあげるね」
いろんな 話をしているうちに、5限終了10分前になっていた。
莉世は立ち上がると、ブレザーを着た。
そして、ハッと我に返ると、目を大きくさせて一貴を見た。
「いつの間にか、躰が動いてる。まだ怠さは残ってるけど、こんなのさっきに比べたら全然平気」
その言葉に、一貴は自嘲的に笑った。
「ほらっ、リボンもつけろ」
一貴に手渡されて、莉世は赤いリボンもつけた。
「じゃぁ、行くね。チャイムが鳴ってからだと、ココに戻ってくる先生たちと会う可能性あるし」
「あぁ」
莉世が鍵を開けてドアを開けると、一貴に呼び止められた。
「これからは、コンドームを常備しておくよ……デスクの中にな」
一貴が、ニヤッと笑った。
その意味する事がわかると、莉世は顔を真っ赤にした。
「もう、バカッ」
って言いながらも、莉世の頬は緩んだままだった。
一貴のいろんな面が垣間見れた1日となった。
戸惑いもした、怒りもした……でもそれ以上に一貴の気持ちを覗き込めたような気がしたのだ。
ただ一つ……あの、湯浅先生の事だけは別だが。
あまり気にしない方が身の為だ。
後輩って言ってたじゃない……それを信じる事だ。でも、何でだろう。すごく気になって仕方がない。ダメダメッ、過去は気にしちゃいけない!
わたしは現在(いま)を……生きてるんだから。
莉世は、そのまま教務棟から出ると、高等部の校舎へと向かった。
クラスの前へ着いた時、ちょうど終了のチャイムが鳴った……と同時に、ドアが開き、彰子が飛び出してきた。
「あっ、莉世! もうビックリしたんだよ、どうしちゃったの? もう、心配でさ……っで、今から水嶋センセのとこへ、行こうとしてたわけよ。大丈夫? 気分が悪くなるような予兆はなかったんだけどな」
ははっ、確かに……予兆はなかったよ。
一貴にめちゃくちゃにされて……動けなかっただけだし。
莉世は、苦笑いをした。
「ありがと、心配してくれて。もう大丈夫だから戻ってきた」
彰子が腕を組むと、ジロジロ莉世の躰を、上から下まで眺め回した。
「ずっと、水嶋センセのとこに居たわけ?」
「うん……動けなかったから。……気分悪くて」
「あらっ? 水嶋先生のところにずっといたの?」
と、突然後ろから声をかけられて、莉世は振り返った。
そこにいたのは、若くて綺麗な女の先生……26、7歳ぐらいだろうか?
「あっ、湯浅センセ……駄目じゃん、人の話を立ち聞きしちゃ! 愛しの水嶋センセの話だから?」
湯浅先生? この女性が?
莉世は、この綺麗な女性が一貴の後輩で……一貴を呼び捨てにしていた女性だとはっきり認識した。
「もう、三崎さんったら! そんなんじゃないのよ。ただ……昼休みに水嶋先生の所へ伺ったら、いなかったみたいだから」
莉世は、胸がドキンと高鳴った。
「それは水嶋センセに避けられてるね、絶対」
湯浅先生は、眉間を寄せると不機嫌そうな表情を浮かべた。
「もう、三崎さんったら! ……ところで、あなた見かけないわね。名前は?」
莉世は、唾をゴクンと無理やり飲み込んだ。
「桐谷莉世です」
彰子が、莉世の肩を抱き寄せた。
「可愛いでしょ、あたしのお気になんだ」
そんな彰子の言葉を気にせず、湯浅は莉世を眺めた。
「桐谷……莉世? どっかで聞いた名前ね? まぁ、いいわ。それじゃね」
と言うと、踵を反してサッサッと歩いて行った。
莉世は、彰子が言っていた言葉を頭で反芻しながら、去って行く湯浅先生を見ていた。
彰子が言っていたように、わたしも湯浅先生は一貴の事が好きなような気がする。一貴が言ったように、二人の関係って、本当に先輩・後輩だけなのだろうか?
「さてと……あの湯浅を追い払ったところで……正直に話してもらいましょうかねぇ〜」
莉世はビクッとして、肩を抱く彰子を見上げた。
「な、何?」
「湯浅が水嶋センセのとこへ行ったのに、いなかったって。おかしいな。だって莉世がそこに行ってたんだから、絶対居た筈だよ? って事は……居留守を使ったって事だから……」
彰子がチラリと莉世を見た。
「そう考えても不思議じゃないよね? ……っで、水嶋センセに乱暴されたとか?」
「何戯けた事言ってるんだ、三崎」
その突然の声に、莉世は飛び上がるほどビックリした。
そして、バコンッという大きな音。
「いったぁ、暴力反対だよ!」
彰子は、一貴が持っていた名簿で思い切り叩かれたようだ。
「お前がくだらない事、ぐだぐだ言ってるからだ。……それに、こんな廊下で二人してレズってるんじゃない」
一貴の目が、キラリと冷たく光った。
あぁ……やばい。
一貴が本気で怒ってるのが、莉世にはわかった。
しかし、彰子は一貴を逆撫でるような行動に出た。
彰子は、両手で莉世を抱きしめたのだ。
「だって、莉世可愛いんだもん……どうだ、羨ましいんじゃない、水嶋センセ?」
その最後のセリフ、……微妙に挑発してないか、彰子?
莉世の胸の内は、もうオロオロしっぱなしだった。
一貴が、クルッと背を向けて歩き出したのを見て、やっと平静を取り戻せた。
ところが!
「そうそう、早く古賀たちとのデートの計画たてるよ、莉世!」
彰子が、一貴の背に向かって大声で言ったのだ。
案の定、一貴が思い切り勢いをつけて振り返った。
莉世は、頭を抱えたくなった。
これって、やっぱりバレてるの……?
一貴が顔を歪めた莉世の表情を見て、また背を向けて立ち去った。
莉世は、そ〜と彰子の顔を盗み見ると……彰子はニヤッと楽しそうに笑って、一貴の後ろ姿を見てる。
どうしよう、わたしどうしたらいいの?
そこで、ハッと気付いた。
もしかして、一貴……彰子から逃げた? ……ううっ、わたしは、このあとどうしたらいいのよ!
何てことだろう。
確かに、いろんな事があって、一貴はわたしのココロに、たくさんの華を咲かせてくれた。
でも……絶対彰子のココロの中にも、華が咲いているよ。
一貴が、不意をつかれて見せてしまった行動という、大きな華が。
莉世は、ため息を、いっぱいいっぱいつきたかった。
あぁ〜本当にどうしよう。
「さてと、教室入ろっか」
楽しそうな声でいう彰子に、莉世は
「……はい」
と言って、従順に従うしかなかったのは、いうまでもない。