『初桜に愛舞い降りて〜宿世の契り〜』【4】

 泰成は、真実だけを知りたいと思っている。
 そう思っているのがわかったからと言って、いったい何を彼に話せるだろうか。
 
 どうやらタイムスリップしたみたいだと? 自分はこの世界の人間ではなく、たぶん、千年以上先の未来の人間だと?
 
 そもそも、泰成にタイムスリップ≠ニいう言葉が通じるのかどうかさえわからない。
 素直に言ってもいいのかわからず、千珠は口をつぐみ俯いた。
 すると、泰成が優しい声音で囁く。
「これは誰が仕立てたものだろうか? 反物にはそれほど詳しくないが、このような生地は初めて見た。後宮十二司の縫司(ぬいのつかさ=お針子)に引けを取らない正確な縫い目もさることながら、この手触りの良さに驚くばかりだ。そして、この芳しい香り……」
 縫司とはいったいどういう意味なんだろうとふと思ったが、泰成が触れているものについと視線を落とす。
 それは、千珠が着ていた神楽女の衣装だった。
 
 えっ? ……ええっ!? ということは、つまり……
 
 千珠は痛む腕で掛け布団のようにかけられている表着(うわぎ=袿の一番上に着る豪華な袷)をめくり、自分の着ているものを確認した。
「まっ、千珠さま! 蔵人少将さまの前でなんてことをなさるのです!」
 小牧が千珠をたしなめようとするが、その声を無視し、自分の着ているものを見た。
 そこで、千珠は愕然となった。
 自分の着ていた肌襦袢まで脱がされ、それに代わって白い小袖(=下着)を着させられていたからだ。
 もしかして、他のものまで脱がされてるのではと思い、恐る恐る手を動かしゴムの感触を求める。
 
 どうか、感触がありますように! ――と願いを込めるのに、手は滑らかなラインを撫でるばかり。
 つまり、千珠は今パンティを穿いていないということになる。
 
 剥き出しのまま、何も下着を穿いていない……
 
「わたしのパンティ!」
 恥ずかしげもなく叫ぶと、小牧が「ぱ、ぱんちぃ?」と不可解な表情を浮かべた。
「あっ、わたしが着ていた……えっと、着物……かな?」
 千珠は、引き攣った苦笑いを浮かべて小首を傾げる。
「この小牧が全て巫女装束を脱がし、小袖にいたるまで改めさせていただきました。ここはなんといっても中納言邸。もし刃物をお持ちでしたら、それを遠ざけなければなりませんので」
「そういうことだ。それは私が指示した」
 千珠は、この時代にはないブラジャーをしていなかったことに、思わず安堵を漏らす。
 だが、泰成が触れてる袴に目を向けずにはいられなかった。
 あの中には、きっと使用済みのパンティがある。使用済みの……
「うわぁ〜ん、恥ずかしいっ!」
 両手で顔を覆って赤面した表情を隠したかったのに、それ以上に躯に痛みが走ってぎこちない動作になる。
 一度体験すればわかるものなのに、何度も同じことを繰り返す自分に呆れながら、顔を覆うとした手をゆっくり下ろした。
 その時、レース仕立てのパンティを手にし、伸びるそれを不思議そうに見つめる泰成の姿が入る。
 一瞬にして、千珠の頬は羞恥で上気した。
「イヤーー! ダメッ!!」
 千珠は泰成に手を伸ばして、それを引ったくろうと試みた。
 だが、躯が自由になるはずもなく、無様に泰成の膝の上にそのまま倒れ込んでしまう。
「イタタタッ……」
「千珠?」
「千珠さま!」
 ふたりの声を耳にして、千珠はなんとか手を畳につき、ゆっくり身を起こす。その腕は腕が笑うように、ぷるぷると震えていた。
「もう、なんでこんな風になっちゃったの?」
 泰成に謝ろうとして面を上げたが、彼の視線は千珠の胸元に落ちていた。頬をほんのり染めて、目を輝かせている。
 こういう男性の表情は見た記憶がある。普段は見られない、ちょっとしたものを目にした時に喜ぶ表情。
 恐る恐る彼の視線を辿り、ハッと息を呑んだ。
 胸元の袷が緩まり、Dカップの乳房が露になっている。
「キャァーー! えっちーー!!」
 急いで胸元を隠したまでは良かったが、いつもの調子で泰成の頬を手で叩いてしまった。
「あっ!」
 しまった! ――と思った時は既に遅し。
「せ、せ、千珠さま! 蔵人少将さまになんてことを……!」
 おろおろする小牧には目もくれず、千珠は泰成の赤くなった頬に触れた。
「ああ、ごめんなさい! こんな風に叩くつもりじゃなかったのに……」
 そこは熱をもったように温かかった。
 この世界に紛れ込んでから、初めて感じた人の体温。この温もりこそ、目の前の人物は生きていて、本当に実在しているという証。
 
 やっぱり、これは夢ではない。
 
 わかっていたのに、改めて実感したためか、急に涙腺が緩んできた。
 目を見開いてこちらを見る泰成の顔が、どんどんぼやけていく。
「せ、千珠!?」
 泰成の頬に触れる千珠の手を、彼が掴む。また新たな熱が、千珠の肌に温もりを与えた。
 瞼を閉じると、双の瞳から涙が零れ落ちたが気にもせず、もう一度目を開けて泰成を見つめる。
「……わかってた。これが現実なんだって。躯に走る痛み、人の温もりが……わたしに語りかけてくる。これは夢ではないって」
「何を言っているのかわからない」
 小さく頭を振る泰成の手を逃れて、千珠は手の甲で涙を拭った。
「気にしないで……。あの、泰成さま?」
「なんだ?」
「わたしが、その……倒れていた時のことを、教えてくれます?」
 平安時代の様子は、おおよそ源氏物語で想像がつくが、あれは物語。この時代のことは何もわからない。
 だから、嘘をつけばすぐにバレてしまうに違いない。
 最善の方法は、真実をありのまま全て話してしまうこと。
 泰成がそれを信じるかどうかは別として、彼ならこの不可思議な出来事を理解しようとしてくれるのではと千珠は思った。
 千珠が言おうとしない神楽女の衣装や、簡単には侵入できない場所で倒れていた理由を知ろうとしてくれる泰成だから。
 でも全てを話す前に、この世界へどうやって来てしまったのか、その理由を知りたかった。
 千珠は視線を彷徨わせず、泰成を見続けていると、彼が軽く頷いた。
「小牧、千珠に説明してあげなさい」
 小牧が説明を? 何故?
 泰成から小牧に目を向けると、彼女は「はい」と言って立ち上がった。場所を移動し、泰成の後ろへ行き、そこで腰を下ろして千珠へ視線を向けた。
「あれは、巳二刻(午前9時30分〜)でした」
 巳二刻って? ――話の腰を折って訊き返したくなったが、千珠は堪えた。
 丑三刻は夜中の2時ごろだったと記憶しているので、干支で数えたらわかるだろう。
 ひとりになった時に考えようと思い、千珠は話をする小牧を見つめ続けた。
「母屋へ向かっている時でした。いきなり一陣の風が吹いて、庭園の桜がざわめいたのです。髪を押さえてそちらに目を向けると、そこに女人が倒れていました。おとど(=中納言実成、泰成の父)さまにお知らせするべきだと思いましたが、小牧は蔵人少将さま付きの女房。おとどさま付きの女房に知られる前に、急ぎ蔵人少将さまにお知らせし、こうして千珠さまを東の対屋へ、小牧の局へお連れすることになりました」
 泰成がそうだと頷き、千珠の目をまっすぐに見る。
「小牧の機転が利いた。もし父上の耳に入っていたら、千珠は中御門大路に放り出されていただろう」
 
 放り出されていた。知らない世界に、たったひとりで……?
 
 まるで離してはならない命綱のように、千珠は泰成の直衣をギュッと握り締めた。

2014/03/03
  

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