逃げなければぶつかってしまう。それがわかっているのに千珠は動けなかった。
どんどん近づいてくる泰成の顔。
「やす、なり――」
彼の名を呼んだその時、泰成の躯が千珠を組み敷くように倒れ込んできた。
その勢いをもろに受け、千珠は後ろに倒れてしたたかに後頭部を打ちつける。瞼の裏で、キラキラと星が飛び散った。
「……っ!」
突然の衝撃と後頭部の痛みで、千珠はすぐに動けなかった。
しかも、背中と胸を打ったせいで、息をするのさえも苦しい。
しばらく呼吸を整えて痛みが薄くなるまで待っていたかったが、彼の吐息が首筋をかすめ、自然に千珠の躯が震えた。
さらに小袖から伝わる泰成の重みと温もりに、そっと目を開ける。
「千珠! 怪我は……どこか痛めたところはないか!?」
さっきの剣幕とは打って変わって、泰成が心配そうに囁く。
「……だ、大丈夫」
そう言うものの、泰成の躯で組み敷かれ、目の前に迫る顔を見て、意識が違う場所へ向かう。
泰成の衣装に焚き染められた香の匂い、心地良く感じる彼の重み、発散される熱、そして下腹部に押し付けられる硬い男性自身。
泰成が千珠と躯を重ねただけでどんどん大きくなっていくそれは、千珠に反応している。
全国共通……、いや、男性共通とでも言うのだろうか。
早く女性の温もりに包まれたいと期待して、硬く熱く大きく漲っていくのが小袖を通して伝わってくる。
心臓がドキドキと高鳴り、口腔に生唾が溜まる。ゴクリと飲み込み、ゆっくり目を上げてこちらを見下ろす泰成を見返した。
千珠の傍にある燈台の小さな明かりが妖しげに揺れて、泰成の顔を照らす。
千珠を見る彼の顔は、とても艶っぽい。
そんな彼と目が合い、お互いの吐息が混じり合うだけで、ふたりの間に濃厚で甘い空気が漂う。
「千珠……」
千珠の名を愛しげに囁く康成。
それは甘く、蕩けるように熱く、肌の穴という穴から浸透してくる。
小袖の下の乳首がキュッと硬く尖るのがわかるほど、千珠の神経が過敏になってきた。
躯の変化に気付きながらもうろたえず、泰成を見返す。すると、彼はゆっくり腰を強く押し付けてきた。
最初は手で躯を支えていたが、泰成はゆっくり肘を折って体重を移動させ、千珠に顔を寄せてきた。
「この香り……、酒で酔った時と同じように気持ちが昂ぶってくる。それほどいい匂いだ」
千珠の首筋に、泰成は顔を埋めた。
「泰成、さま……」
「初めて千珠をこの腕に抱いた日も、これと同じ匂いがした。私はそれからというもの、そなたのことしか考えられない。……出会ってまだ間もないというのに」
小牧は正しかった。泰成は、千珠を女として欲してくれている。
「私には、千珠の国での流儀はわからない。だから、私の……流儀で通す!」
「通すって……」
千珠の口からかすれた声が漏れる。
「何故この唇はこんなに妖しく濡れ、美しく輝いているのだろうか」
泰成が、千珠の滑らかな頬をゆっくりと撫でた。
ふたりの視線が、ほんの至近距離で絡み合う。
たったそれだけで躯の芯が疼き、千珠の秘所はしっとりと濡れ始めた。
「あっ……」
喘ぎが漏れると、泰成が顔を寄せて千珠の唇を奪った。
「っ……んんぅ」
今までの千珠は、相手と軽くキスを交わし、興奮を高め、笑いながらお互いの服を脱がし合ってセックスするのが常だった。
エッチな気分になるのが他人よりも遅く、何も考えずに躯を投げ出すなんてできなかったからだ。
でも今は違う。こんな風になるなんて初めてだ。
キスされるだけで、歓喜と期待が躯の奥から湧き上がってくるのは……
泰成が千珠の表着、袿を手で払いのけ、小袖の上から躯をまさぐり始めた。直に触れられたわけではないのに、さらにもっとと愛撫を求めて疼く。
「っんぁ、ふぅ……っ」
「小鳥のように、なんと愛らしい声で鳴くのだろう。私の手で、もっと鳴いてくれ」
男性にそんな言葉を言われたことは一度もない。
どれもセックスの感想であって、千珠の興奮を掻き立てるものはなかった。
現代の男性が千珠にしなかったことを、目の前の彼がしてくれる。
会うはずのなかった男性の言葉が、心の奥に秘めていた千珠の琴線に触れてきてくれる。
嬉しくて涙が出そう!
千珠は受け身のキスではなく、そっと自ら唇を開けた。
その時、泰成の手が千珠の腰紐に触れ、一気にそれを引っ張った。
全てを見られる!
羞恥心が湧き起こり、千珠は彼のキスを逃れて軽く顎を引いた。
そっと瞼を閉じるものの、張り詰める緊張に耐えられず舌で唇を舐める。
「そんな風に舐めないでくれ……」
彼の吐息が、千珠の唇を愛撫する。そして、喘ぎを零す千珠の唇を、再び泰成が求めてきた。
「っぁ……」
千珠の下唇を優しく挟み、舌で輪郭をなぞってくる。
「ああぁ、泰成さ……まっ!」
「なんと柔らかいのだろう」
千珠と唇を合わせたまま囁くなり、彼は舌を口腔に差し入れた。
「っんぁ……んふぅっ!」
温かな舌が、口腔を侵すように蠢く。
泰成の落ち着いた見かけとは違う激しい口づけに、千珠は重力を失ったようにふらふらした。
キスだけで、蓄積された欲望が潮流に乗り、表に出ようとしてくる。
変わって正常な思考は、どんどん海の藻屑とともに海底へ引きずり込まれていく。
ああ、好き、……あなたが好き!
いつの間にこんなにも泰成に心を奪われたのだろう。
彼が特に何かをしたわけではない。誘惑したり、強要したりするでもなかった。
泰成の人と成りが、千珠の心を自然と開かせたのだ。
誰かに寄り掛かりたい。その腕に抱いて、わたしを守って――と思ったのはこの時が初めてだ。