第二章『華の蜜に誘われて』【9】

 ソファに囲まれたセンターテーブルは、足で蹴ったように斜めに動いていた。それを示すように、テーブルの上に置いてある2客のコーヒーカップは倒れて、レースで編んだテーブルクロスに黒い染みができている。
 叶都の妹の由布は、持ち運びができるベビー寝具のクーファンにいた。ドアの開閉で冷たい風を直接受けることのないよう、壁際に置かれている。
 ソファで母親の声が遮られているせいで、このリビングルームで起きてる異変に気付かないのだろう。由布は小さな手で握り拳を作って、気持ち良さそうにすやすやと寝ている。
 愛らしいその光景に一瞬だけ目を向けたが、やはり目の前で繰り広げられてる異質な世界へ目が向いてしまう。
 叶都の母は、ソファから少し離れた絨毯の上で仰向けになっていた。セーターは首まで捲れ、豊満な乳房が剥き出しになっている。
 そんな叶都の母の大腿を押さえるように、馬乗りになる見知らぬ男性。
 叶都の母と同年代、もしくは少し年上に見える30代の男性は、乃愛の目から見ても女性を押し倒すような人には見えない。
「……っぁ、ダメ」
 顔を顰めて、白い喉元を見せるように喘ぎ声を漏らす。そこにいた叶都の母は、女そのものだった。
 乳輪も大きく、乳首も愛撫でぷっくりと膨らんでいるのが遠目からでもよくわかる。男性がそこを指で弄るたびに白濁した液が先端から零れて、乳房が濡れていく。
 これは、いったいどういうことなのだろうか? あの男性は誰?
 彼が叶都の父親でないことは、わかっている。にもかかわらず、どうして夫以外の男性に触れられても嫌がったりしないの?
 乃愛の心臓が、ドキドキと早鐘を打ち始める。唾さえも、簡単には呑み込めない。
「あなたは俺のものだ……。そう言って、何度も俺に抱きついてきただろ? 誰が男を欲するあなたを悦ばせ、満足させてきたのか……忘れたとは言わせない!」
「確かに、わたしは夫との性生活に満足していなかったわ。わたしもまだ女だって、夫に感じて欲しかったのよ! ごめんなさい、夫婦のいざこざにあなたを巻き込んでしまって。……心の弱さを封じ込められず、わたしを慕ってくれるあなたを求めてしまったの。許して。由布を宿して……やぁ、ダメっんん!」
 馬乗りになっている男性が、叶都の母の言葉を止めさせるように、身を倒して唇を奪う。
「……由布は、俺の子だろ? そうだろ?」
 男性の手が、叶都の母のスカートを捲り乱暴にパンティを引き抜く。
「ち、ちがっ……はぁん」
「俺にこうされて、いやらしく濡れているじゃないか!」
「そ、それは……あああっ、やぁ」
 白くて綺麗な膝頭が持ち上がる。
「ほら、あなたは俺を拒絶できない。それは俺を求めてるから。俺を愛してるから」
「ああっ、ダメ! そこ……っくふ、っんん……あっ、っぁはぅ」
 男性の腕が、叶都の母の腿の付け根辺りで上下に動く。それに合わせて、豊満な乳房もリズミカルに上下に揺れる。
 くちゅくちゅと響く淫猥な音。恍惚感にうっとりとする、魅惑的な女の表情。
「あっ、いいっ!」
 叶都の母の喘ぎ声が、甲高くなる。
「もう、駄目だ。我慢できない!」
 男性はスーツの上着を脱ぎ捨て、ネクタイも指を入れて緩める。シャツのボタンを上からひとつふたつ外すと、バックルを外してズボンと下着を膝まで下ろした。
 乃愛の目にも見える、興奮した状態の男性自身。記憶に残ってる父のものとは違っていて、それはとても赤黒く、遠目からでも筋がはっきり見える。
「コレが欲しいだろ? ……兄貴のより俺の方が硬くて太くて、 由希(ゆき)を満足させられる!」
 その言葉に、乃愛はハッと息を呑んだ。想像していたなかった事実に、喉がピクピク動く。
 叶都の母の目に入るように、男性は腰を前に突きだして自身を誇示する。そこに、白くて華奢な
手が伸びてきた。男性自身を握り、ゆっくりと上下に摩る。
「……っう」
「彬(あきら)くん。どうすれば……わたしを許してくれるの?」
「俺だけを見てくれ。こうして触るのも俺だけに……。兄貴とはセックスしないでくれ!」
「無理よ! 彼は、わたしの夫なのよ!? あの人がわたしを抱きたいと言えば、わたしは……」
「くそっ!」
 男性が、叶都の母の足を肩に抱え上げる。
「……だけど、あなたを満足させられるのは俺だけだ。兄貴じゃなく、この俺だけだ!」
 腰を落とし、男性はゆっくりと腰を突き上げる。滑らかに動く腰つきに呼応するように、叶都の母の喘ぎ声が部屋に響き渡る。
「あ、あ、彬、くん! ……いいっ! そこっ、あっ……ぁんん、っくぅ……っんん」
 目の前で繰り広げられている光景に、乃愛の足は固まって動くことができなかった。
 男性が囁く淫らな言葉、それに応えるように喘ぐ声のせいで、乃愛の躯の芯が徐々に火照り出してくる。
 秘部も痙攣を起こしたように蠢き、パンティも薄らと濡れていることがわかるほどだった。意識すればするほど心臓もさらに早鐘を打ち、全力疾走した後のように荒い息が口から漏れる。
 どうしよう。いったいどうしたらいいの!
 ここから立ち去りたいのに足は動かない。秘め事から目を逸らせないほど、乃愛の意識は全てふたりだけに向けられていた。
 その瞬間、誰かに後ろから抱きつかれた。
 
 
「……っ!!」
 突然のことに叫び声が出そうになるが、寸でのところで誰かが乃愛の口を手で塞ぐ。
「シッ! 静かに……」
 耳元に、そっと囁かれる。
 その声は、もしかして叶都!?
 乃愛はゆっくりと首を回して、自分の真横にある叶都の目を見た。ドアの隙間から見えるあられもない母親の姿を、叶都は表情ひとつ変えずにジッと見つめている。
 しばらく叶都と一緒に過ごしていたせいで、彼の心の動きが手に取るようにわかった。何でもないという表情を装ってはいるけれど、彼の目は心を隠しきれていない。瞳の奥に宿る苦悩が見え隠れしている。
 叶都は……母親が不倫をしているということを知っていたのだ。 
 このことで叶都が苦しんでいたと思うと、乃愛の胸がチクッと痛んだ。
 父親ではない男性が、母親の裸を貪りつくように抱いている……
 今その光景を見つめる叶都の瞳を、乃愛は先週も見ていた。いきなり家から飛び出してきたかと思ったら、乃愛の手を取ってバスに乗り込んだ。
 あの日も、叶都は同じような目をしていた。
 もしかして、あの日もこういうことがあった? 叶都は、それを見てしまったということ?
 問いかけるように見つめていると、叶都が乃愛の視線に気付きこちらを向く。
 だが、すぐに視線を逸らした。
「……音を立てないように。声も出すな。いいな?」
 叶都は乃愛の耳元で囁いてから手を離すと、その場から立ち去るようにひとりで廊下を進む。乃愛も後を追いたかったが、足が床に張りついて動けない。
「……っ!」
 乃愛の呻き声が聞こえたのか、廊下の角を曲がる寸前に叶都が振り返った。手招きする叶都に、乃愛は足元を指して激しく頭を振る。
 呆れたように天を仰ぎ見る叶都だったが、すぐ乃愛の側へ戻ってきてくれた。
 どうするのだろう――と思った矢先、叶都がいきなり乃愛を横抱きにした。女なら一度は夢見るお姫様抱っこをされて、乃愛は悲鳴を上げそうになる。
 それを感じ取ったのだろう。叶都は乃愛の方へ顔を近づけると、声を塞ぐようにキスをした。
 初めて叶都と会った時に以来のキスだった。
 当然拒むべきなのに、乃愛はそんな気持ちが全く湧き起こらなかった。
 目の前で感情を露にし、男と女になったふたりだけの世界を垣間見てしまったからだろうか。
 乃愛は、自分も正直でありたいと強く思った。
 うっとりと目を閉じ、その甘いキスに意識を向ける。啄ばむように動く唇、下唇を舌でそっと触れるその感触に、乃愛の躯は自然と震える。
 手を上げて叶都の首に回し、もっとキスを強請るように彼の胸板に乳房を押しつけた。
 こんなこと、今まで誰にもしたことがなかった……。つまり、大胆な行動を取ってしまうほど、乃愛は叶都を好きになってしまったということ。
 彼が年下だとわかっているのに……
 今日、初めて叶都のことが好きだと自覚した。その彼にキスをされ、それを受け止めたら、もう気持ちを押し隠すことはできない。
 そして、ようやく乃愛は悟った。初めて会ったあの日から、ずっと彼のことが気になって仕方がなかったのだと。
 セクハラまがいなことをされても家庭教師をやめなかったのは、叶都と離れたいと強く望まなかったから。
 全て、始まっていたのだ。叶都と出会った時点で、こうなることは……運命だった。

2011/04/06
  

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