―――金曜日。
「ヤッター! 無事に期末テスト終了!」
テスト用紙が回収され、試験監督の先生が教室から出て行くと、乃愛は満足そうに伸びをした。
「乃愛、できた?」
「うん、まあままかな?」
通路を挟んだ隣に座る夏海の方へ躯を向け、満足そうに微笑む。
「いいなぁ〜。わたしは……落第点ギリギリかも」
「でも、とりあえずテストは終わったんだから。もう気にしない、気にしない」
ペンケースに筆記用具を直してバッグに放り込むと、机の上にそれを置く。担任が来るまで、もう少し時間がかかるだろう。
「ねえ、夏海は来週のクリスマスイブはどうするの?」
乃愛はわたしと遊ぼうっか!≠ニ言えるタイミングを見計らいながら、夏海に水を向ける。
夏海は肩を落とし残念そうにため息をつくものの、その表情は幸せいっぱいに輝いていた。
「その日は、母の店でバイトなの。イブ限定の創作プレートを出すみたい。だから、わたしも閉店まで駆り出される予定なんだ。でも、その日はちょうど取引先の人がくるから……もしかしたらどこかへ誘ってもらえるかも!」
頬を染める夏海の仕草は、乃愛から見てもとても可愛い。恋する女そのもので、ギュッと抱き締めたくなる。
「そっか……。夏海と遊べるかと思ったんだけど。残念……」
「乃愛には、彼がいるじゃん」
「彼? ……誰?」
小首を傾げながら目を細め、窺うように夏海へと目を向ける。夏海は乃愛とは正反対な表情を浮かべ、ニヤニヤしながら身を乗り出す。
「家庭教師してる子だよ」
「えっ? 叶都!?」
「ふぅ〜ん、叶都って言うんだ……」
はやし立てるように、さらに夏海が乃愛に迫ってくる。
「……顔、赤いよ」
「えっ!」
ひゃぁ〜――と叫びたい気持ちを抑えて、乃愛は両手で頬を覆った。
「何か、嬉しいな。富永のことを引きずってないみたいだし」
にっこりと微笑む夏海に、乃愛も釣られて口元を綻ばせた。
―――ガラッ。
「プリント配るぞ」
担任が教室に入ってきた。教壇の方を向くことで夏海との会話もそこで終わってしまったが、乃愛は自分の気持ちに気付き始めていた。
ホームルームが終わり、叶都の家へ向かう途中もずっとそのことばかり考えていた。
何故、叶都のことばかり考えてしまうのか。何故、こんなにも叶都が見せたあの目が気になるのか。
それは、叶都に恋をしてるから……
その結論に達すると、乃愛は諦めに似た気持ちでため息をついた。
最初はとんでもない中学生だと思ったが、会う回数も増えていろいろな話をしていくうちに、あの悪ぶった格好や態度は身を守るために作っているのではと感じるようになった。
もちろん、付き合う友達や周囲の影響もあるかもしれない。それでも、本当はとても深い闇を抱えているのではないかと思ってしまう。
だから、乃愛が来る以前の家庭教師に誘惑された時、心の穴を埋めようとして悦びを求めたのでは? 先週カフェに行く前に見たあの目は、それを物語っていたのでは?
今でもその時のことを思い出しては、叶都のことを考えずにはいられなくなっている。
しかも、テスト中だったにもかかわらず、夢の中まで叶都が登場する始末。
乃愛を優しく抱き締め、叶都はあの目を向けて囁いた。俺に心を開いてくれ≠ニ。
そんな叶都を放っておくことができず、乃愛は彼を抱き締めた。肌に触れられても、至る場所に唇や舌を這わされても、全てを受け止めた。自ら身を投げ出し、それ以上を求めた。
まだバージンだから、どういった感じなのかわからないというのに……
この身を誰かに捧げたいと思ったことは、今まで一度もない。
でも、叶都には夢の中で捧げてしまった。乃愛の方から、叶都に足を広げて求めてしまうほどに。
「……わたしより三つも年下なのに」
これから、どんな顔をして叶都と会えばいいのだろう?
数日前の火曜日は、乃愛が期末テスト中だった。そのため、今日は、叶都と一緒にカフェでお茶をしてから初めて会う日になる。
バスから降りると、乃愛は少し俯きながら歩いた。いろいろと考えて歩いたせいで、目の前に叶都の家が迫っていた。
「嘘! もう叶都の家に着くの?」
携帯を取り出し、時間を確認する。約束していた時間よりも、三十分も早い。
叶都の家の前に到着するとしばらくその場に佇み、どうしようか悩んでいたが、乃愛は、大きな門に手をかけて敷地内へ入った。
十二月に入ってから、叶都の家の庭に大きなモミの木に電飾が施された。そのクリスマスツリーが、いつものように乃愛の目に飛び込む。
クリスマスイブまであと数日。乃愛は天空に輝く星に問いかけるように、モミの木の一番上に飾っていある大きな星を見上げた。
初めて叶都と会った時、彼の側にいる女は必ず叶都を好きになると言われたが、あながち嘘ではなかったことが立証されたことになる。
彼を好きになって……いったいどうすればいいのだろう? 相手はまだ中学生だというのに。
自問自答を繰り返すものの、答えがすぐに出るわけでもない。
軽くため息をつくと、乃愛は石畳の上を歩きながら玄関に向かった。決まった時間、決まった曜日に来ることになっているので、チャイムを押さずそのまま勝手に入っても構わないと言われている。
この日も、いつものように合い鍵を鍵穴に差し込み暗証番号を入力した。
ただ、今日はいつもより三十分も早く着いてしまった。当然叶都の靴はそこにはない。まだ、学校から帰ってはいないのだろう。
乃愛が来たと告げるために、叶都の母に挨拶しようと奥へ向かった。
授乳中でありませんように――と思いながら、音を立てないようにして静かに廊下を歩く。
その時、微かな物音が乃愛の耳に届いた。
ホッとした途端、口元が自然と綻ぶ。挨拶をしようと笑顔を浮かべながら廊下の角を曲がった時、いつもならきちんと閉じているリビングルームへ繋がるドアが少しだけ開いていた。
叶都の妹の由布が風邪をひかないよう、今は特に気を付けていると言っていたのに、いったいどうしたのだろう?
不思議に思いながらドアに近づいた時、いきなり男女の抑えた声が耳に届いた。
初めて叶都の父親と会うと思った途端、乃愛の躯に緊張が走る。
大丈夫よ――と言い聞かせながらも、忍び足で歩を進めた。
「お願い……、もうやめて」
「お前が言ったんだろ? ……旦那を、もう愛してはいないと」
女性の声は、乃愛も知っている叶都の母親だった。もう一人の男性の声は、会話から叶都の父親ではないことがわかる。
では、いったい誰なのだろう?
好奇心に駆られた乃愛は、ドアの隙間からそっと中を覗き込んだ。
「……っ!」
目に飛び込んできた光景に、乃愛の躯は一瞬にして硬直した。口から出そうな悲鳴を飲み込み、さらに声が漏れないように口元を両手で覆う。
どうして……こんなことが起こってるの!?