第二章『華の蜜に誘われて』【4】

 この状況を理解しようとしたが、目の前に叶都がいたら全く考えが纏まらない。乃愛は、彼から逃れるように俯いた。
「俺を見て……」
 その囁きは、懇願に近かった。その言葉に従うように、乃愛はゆっくり面を上げる。そこを狙って、叶都がいきなり乃愛の唇を奪った。
「……んん!」
 いきなりのキスにビックリして、乃愛は目を大きく見開いた。そこで、叶都と視線が絡まり合う。彼は薄く目を開けて、乃愛の反応を確かめていた。
 まるで、テレビドラマのワンシーンのようだった。手練手管に長けた大人の男性が、相手の女性を落とす時のように、叶都もキスをしながらジッと乃愛を探ってくる。
 この行為を拒むべきなのに、躯が震えていうことをきかない。叶都の唇は思っていたよりも柔らかく、乃愛の反応を引き出すようにゆっくり動き出す。
 彼の視線に耐え切れなくなると、乃愛は瞼を閉じた。唇から送り込まれる情熱だけに神経を集中する。
(わたし、キスしてる……。3つも年下の叶都と)
 これがファーストキスではなかったが、乃愛が初めてキスした相手よりも、叶都のキスの方が巧みだった。馴染みのない甘い戦慄が一瞬にして躯を駆け巡る。こんな風に躯を震わせたことは一度もない。
 叶都は、経験豊富なお姉様たちに教えてもらったからだろうか?
 そこで、乃愛はハッと我に返った。今度こそ手に力を入れて、叶都の胸板を押してキスを止めさせる。
「イ……イヤッ! やめて!」
 乃愛が拒んでも、叶都は掴んでいた手首を離そうとはせず、逆に強く握り締めた。離れようとする乃愛を、さらに引き寄せる。
「あっ!」
 叶都は目を細めて、刺すような視線を送ってくる。
「乃愛は……俺とのキスが初めてじゃないんだな? ……誰とした? 今、付き合ってるヤツがいるのか!?」
 何故、乃愛に彼氏がいるのか気になるのだろうか?
 そう思いながらも、乃愛は気持ちを隠せるような性格ではなかった。
「わたしは叶都より3歳も年上なの。キスだって普通にしたことだってあるわよ。今は付き合っている人はいないけど、それが叶都にどんな意味が……キャッ!」
 乃愛の手を解放してくれたかと思えば、叶都はいきなり抱きついてきた。
「良かった……。男と見れば目を奪われる女じゃなくて」
 抱き締められたことで、乃愛の心臓は早鐘を打ち始める。それを隠すように、大声で叫んだ。
「それ、どういう意味よ!」
「あっちこっちにいい顔をされたら、俺が困るし。現に、乃愛は俺を意識し始めている」
(それは当たり前でしょ! 訊いてもいない話をしたり、いきなりわたしにキスをして抱き締めたりしたら、意識せずにはいられないって!)
 もう一度彼の胸を強く押すと、今度は意外と簡単に離れてくれた。
「ちょっと! わたしは付き合っている男性としかキスをしないんだから。もう二度としないで」
 頬をピンク色に染めながら、乃愛は手の甲で唇をゴシゴシ拭う。
「じゃ、付き合ってたらいいんだ? わかった。俺と付き合おう」
「そうじゃない!」
 地団駄を踏みながら、乃愛は手を振り回す。
「わかった。乃愛が俺と付き合いたいと思えばいいんだ。……よし、俺はそうするつもりで行動しよう。よろしく、俺の先生」
「なっ、なっ……」
 口をパクパクさせながら何か言おうとしたが、言葉が喉に引っかかって上手く出てこない。結局乃愛は肩を落として、ため息をついた。
 叶都は笑いながら背を向けると、奥にあるベッドの方へ向かった。
(お父さんが言った意味、なんとなくわかった。わたしが見るのは勉強ではなく、叶都の素行面だってことが)
 こういうことがこれからも待ち受けているんだと思うと、すごく気が重たい。それでも家庭教師としてバイトをすると決めたのだから、最後までやりぬこう。
 今日はこれからどうするのか訊ねようと、乃愛は自然と叶都の方へ視線を向けた。
「……っ!」
 いきなりのことに、乃愛は目を見開き、片手で口元を覆った。
 叶都は、ベッドの側で制服を脱ぎ始めていた。乃愛より多少性の経験はあっても、まだ子供のような躯だろうと思っていた。なのに、目に飛び込んできた叶都の裸は、余分な贅肉もなく適度に筋肉がついていた。ボクサーパンツを穿いた叶都のお尻は、キュッと引き締まっていて小さい。
 乃愛はそこでハッと我に返ると、クルッと彼に背を向けて俯いた。
(バカ! 何ボーッと見とれてるのよ! 叶都の躯を見て、男を感じるなんて)
 片手を上げて、目を覆った。
(彼は中学生よ! その彼に、わたしは何を翻弄されてるの? 最初からビックリされっぱなしだから?)
「て言うか……、いきなりキスされた!」
 どうしても口に出さずにはいられなく、乃愛はできるだけ小声で叫んだ。
 そんな乃愛の背中を、叶都がジッと見つめているとは知らなかった。小さな手帳を手に持ち、それをハンガーにかけた制服のポケットに入れているということも……
 
 
 ―――火曜日。
「はい、ホームルーム終わり! 気を付けて帰れよ」
 担任のその声でクラスメートは各々に立ち上がり、早々に教室を出る者もいれば、友達と話し込む女子や男子がいる。
 乃愛は、席から立とうとせず深いため息をついた。
 先週の金曜日に初めて叶都と出会い、今日が初めての家庭教師として働く日になる。週2回、3時間も一緒にいるのかと思うと苦痛で堪らない。
「はぁ……」
 何度もため息をつく乃愛を心配したのか、親友の夏海が目の前の席に座った。机に肘を置き、そのまま身を乗り出して、乃愛の顔を覗き込んでくる。
「乃愛? どうした? ……もしかして、冨永のこと?」
 元カレの話題に、乃愛は目をぱちくりさせる。
「えっ、哲誠? どうして?」
「もしかして、……知らないの?」
 夏海が何を言いたいのかわからず、乃愛は小首を傾げた。そんな乃愛の態度に、夏海が肩を落としながら嘆息を一つ。
「冨永ってば、乃愛を振ったあと、すぐに女を作ったから」
 クラスメートの女子のひとりを、そっと指す。
「ああ、そうなんだ。じゃ、ヤらせてもらえる女を選んだってことかな?」
「何、その話! わたし、全然聞いてないよ!」
 そう言われて、この話を夏海に一切していなかったことに気付いた。それもそのはず、別れを切り出された頃、夏海はちょうど推薦入試のことで頭がいっぱいだった。
 先週末に無事合格通知が届き、今は受験から解放されてハイテンションになっているものの、まだ哲誠から言われた言葉を教えていない。
 だからといって、哲誠に言われたことを夏海に言うつもりはなかった。別れを切り出された時ならすぐに告げていたかも知れないけど。
「う〜ん、まあ、いろいろあってさ。でも、今は哲誠が誰と付き合おうか、何をしようか、本当に興味ない。それよりも、聞いてよ夏海ーーー!」
 夏海の手をしっかり握り締めて、とんでもない中学生の家庭教師をすることになった経緯を話した。その相手が、中学生らしからぬ男で、唇を奪われたことも話す。
「ひっどいでしょ! もうどうやって接したらいいのか……」
「でも、約4ヶ月で期間限定でもあるし、バイト代がいいんだから、それで手を打とうよ。それに、乃愛……妙にウキウキしてるように見えるよ?」
「ええっ!? ま、まさか!」

2011/01/21
  

Template by Starlit