梶田が麻衣子に目を向ける。
そこで麻衣子は彼の携帯を指し、「わたしに代わって」と言った。
「あのっ……すみません、話のわかる人と代わります」
そう言うなり携帯を差し出す梶田から、それを受け取った。
「申し訳ありません、わたし楓と申します。単刀直入にお伺いします」
電話の向こうの警察官に、麻衣子はタクシーに載せていた荷物の所在を訊ねた。すると、まさに警察官もその件で連絡したという。
タクシーに乗っていた女性は、必死に仕事のことを口にし、会社の同僚にその荷物が渡るようにしてほしいと頼んだという。
心の中で偉い≠ニ思いながら、麻衣子は周囲に目をやった。
資料のデータをホテルに送ってもらってそれを印刷し、刷り終えた資料をファイルすることはできる。
でも、それでは時間が足らない。
となれば、残る選択肢はひとつ。
警察が保管している資料を取りに行って戻ってこられる方に賭けるしかない。
「その荷物を受け取りたいんですが、どちらにありますか?」
曽根崎警察署と聞いてから、麻衣子は腕時計に視線を落とす。
開場まで1分を切っていた。
タクシーに乗って10分。資料を受け取ってとんぼ返りで戻って来られれば、30分でホテルに着けるはず。
迷っている暇はない。行動を移すなら早くしなければ。
麻衣子は強く唇を引き結び、心配そうに見つめる北見と梶田に目をやって頷いた。
「それでは荷物を引き取りにそちらへ伺いますので、速やかに引き渡しができるようお願いします。それでは失礼します」
通話を切ると、麻衣子は梶田に携帯を返し、既に並び始めたメディア各社をチラッと見てから、北見に意識を向ける。
「今から警察署へ行き、荷物を受け取ってきます。早くて30分。質疑応答が終わるまでに必ず戻ってきます! だから、北見さんは受付をよろしくお願いします」
北見は覚悟を決めたように、麻衣子に向かって力強く頷いた。
「お願いします、楓さん」
その言葉を受け、麻衣子は走り出した。でも、彼女から3メートルほど離れた場所ですぐ立ち止まって振り返る。
「メディアチームには、わたしから連絡します。もし何か訊かれたら、北見さんから口添えお願いしますね」
麻衣子はそう言うなり、今度こそ足を止めずにホテルの廊下を走り出した。
絨毯のクッションがかなり足音を吸収してくれるが、それでも宿泊客やホテルに用事で来ている客が訝しげな目を向ける。
それでも周囲の目を気になんかしていられない。
麻衣子はホテルのロビーからエントランスへ通り抜け、タクシーに飛び乗った。
「すみません、曽根崎警察署まで大至急お願いします!」
タクシーが走り出すと、運転手に携帯を使用する旨を断ってから藍原に電話した。
呼び出し音が1回、2回……鳴ったところで、通話がつながる。
「藍原さん? 楓です!」
『楓さん? 今どこにいるんですか? 早くこっちへ戻って。メディアチームの一員として勉強しないと』
「すみません、緊急事態発生です!」
麻衣子の声音で何かが起きたとわかったのか、彼はすぐに口を閉じた。
その間を有り難く思いながら、受付で起こった経緯を素早く伝え、そして今自分がしようとしていることを話す。
『わかった。その件の説明については、とりあえず最後に回すよう調整してみます。こちらへ戻ってくる時、もう一度俺に連絡くれます?』
必ず連絡を入れると約束してから通話を切ると、ぐったりと力なくもたれた。
記者会見は藍原に、メディアチームに任せればいい。
麻衣子が今考えなければいけないのは、警察署へ行き、速やかにホテルへ戻ること。
そのことだけを考えなければ。
ホテルを出発してから15分後。
運悪く裏路地の工事中とぶつかって、予定より5分遅れるが、曽根崎警察署へ着いた。
「折り返しホテルへ戻っていただきたいので、待っていてくれますか?」
タクシーの運転手にそう告げたあと、麻衣子は急いで警察署に入り、案内カウンターへ向かった。
連絡をもらった警察官の名を出して用件を伝えると、女性警察官が現れた。
身分証明書、社員証を提示し、書類に必要事項を記入して初めて荷物を受け取れた。
段ボール箱の角は事故の影響を受けて変形しているが、すぐにテープをはがして開け、薄紙と緩衝材を取り出して中身を確認する。
丁寧に四隅にも緩衝材を置き、資料はレール式クリアフォルダーで閉じられている。
そのせいもあってか、どれも綺麗なままで十分使える状態だった。
台車をそのまま借りてタクシーにそれを運び入れると、麻衣子は台車を返却し、再びタクシーに飛び乗った。
「お願いします」
タクシーは再びホテルへ向かって走り出した。
直後、藍原に連絡を入れ、警察署を出たと報告した。
あとはホテルへ戻るだけ。
ホッとした麻衣子は、ホテルへ戻るちょっとした間だけと思い椅子に深く沈み込み、躯から力を抜いた。
順調にホテルへ着くと思って……
「これはどういうこと!?」
ホテルまであともう少しというところまできたのに、いつまで経っても、タクシーは少しずつしか前へ進まない。
しかも、警察署から出て、もう25分も経っている。
「ここまで渋滞するのはおかしいね。事故かもしれない」
「そんな……!」
その時、麻衣子の携帯が鳴った。相手は藍原からで、すぐにそれを取る。
『今どこです!? 一応進行については対処できたけど、急がないと、記者会見は失敗になってしまう』
「すみません。まだタクシーに乗っているんです。渋滞で車が動かなくて」
『……だよね。ホテルの前も渋滞していて車が動いていないんだ。事故だと思う。さっき救急車とパトカーが何台も走っていったから』
道路の先を見ても動かない車、しかもホテルの前も動いていないとなれば、そうすんなりと動くとは考えられない。
会社を出る間際、藍原が理崎に施設設備に関して質問が入るかも≠ニ言っていたから、この資料は絶対必要なのに。
このままでは、失敗してしまう。責任は全て理崎課長にいってしまう!
麻衣子はこの迷っている間も時間を無駄にしていると気付くと、覚悟を決めた。
ここでずっと焦れていても仕方ない。
「藍原さん、わたし走ります!」
『えっ!? ……わ、わかった、待ってます!』
通話を切ると、麻衣子はタクシーから降りると告げた。
歩道にタクシーが寄るまでさらに数分要したが、精算を済ませてタクシーから降りるなり、重たい段ボールを持って走り出していた。