『囁く、ココロの夢魔』【1】

 一貴? 何処にいるの?
 
 恐る恐る廊下を進む。
 静まり返った部屋、何も物音がしない空間。
 怖いのに、何故か一人でに足が前に進む。
 目の前にあるのは、一貴の寝室……わたしたちが何度も愛し合った部屋。
 怖がる理由なんて何もない。
 一貴に愛され、優しく抱かれ……お互いをぶつけあった場所。
 なのに、どうしてこんなにも手が震えるの? 悲鳴をあげてる、そのドアを開けるべきじゃないって。何故?
 操られるように手が前に動き、 ドアを開けた。
 
 目に飛び込んできたその光景は、ベッドで激しく動く裸の一貴だった。
 一貴は腰を動かし、その度に背中の筋肉が艶めかしく波うっている。
 綺麗だった。
 あの躰にわたしは愛されている。
 しかし、その下に組み敷かれているのが、一貴の元恋人で美しい女性、響子だと気付くと、莉世の躰が凍りついた。
 い、いや。……何故? 何故一貴が響子さんを抱くの?
 わたしがいるじゃない! わたしが一貴の恋人なんでしょう?  一貴に抱かれるべき相手は、わたしでしょう!
 
「No,Rise」
 
 突然、腕を後ろに引っ張られた。
 慌てて後ろを振り向くと、グラントがいた。
 何故彼がココに?
 喉がビクッと引きつった。
 いる筈のない彼が目の前に立ち、見下ろしていたからだ。
 彼から視線を逸らして再び前を向くと、一貴は響子さんの足を持ち上げ乱暴に押し開いている。
 その行為から目を背けるように、再びグラントを見た。
 
「Why are you here?  What are you doing in Japan?」
 
 グラントは以前と全く変らない。
 短く刈り込んだ茶色の髪が、グラントの精悍な表情を柔らかく見せている。
 アメフトで見事に作られたその躰は、誰もが夢中になっていたのを思い出さずにはいられない。
『スィートハート、何言ってる? ここはCAだ。俺たちはここで恋に落ちた』
『待ってよ! わたしはあなたのスィートハートじゃない。既に終わったことよ。わたしの恋人は一貴だけ』
『一貴が好きだと知ってるさ。だが、彼を捨てた。そして俺の腕に飛び込んできた。そうだろう?』
 莉世は唇を噛み締めた。グラントの事は全部本当だからだ。
「Look! He found other women more than you.」
 莉世は、グラントが指をさす方向を見る。 違う! 一貴はそんな事しない……絶対にしない!
「違う!」
 莉世は、声を発したと同時にパッと目を開けた。
 躰中汗でじっとりしている。
 部屋を見渡し、今自分がいるベッドを見て、先程の光景がまさしく夢だという事がわかった。
 
 また、あの夢……
 
 一貴と響子さんのベッドシーンを、夢で見るなんて……
 莉世は、躰に腕を巻きつけ、ブルッと震えた。
 実際は、一貴と付き合い始めてからは、一切見なくなっていた。毎日が幸せで……幸せ過ぎて、思い出すゆとりもなかった。
 なのに、ここ数日……毎日のように悪夢に襲われるている。
 そのせいで、睡眠は全く取れず……眠るのさえ怖くなり始めていた。
 
 全て、アノせい。
 あの日……一貴が実家に帰った時、不安はあったけど、その後はいつもと変らなかったから、何も心配する必要がないんだって思った。
 でも、5月の下旬ぐらいから、一貴は週3出勤で良かった筈なのに、今では毎日出勤してる。
 そうなると、自然に平日は全く会えなくなってしまった。
 ただ、土日だけはいつもと変わらず時間を作ってくれている。
 とても疲れ切ってるってわかってるのに、躰を酷使して無理に会おうとしてるみたいだった。
 それに、セックス……
 何かに後ろから押されてるかのように、必死で求めてくる一貴の姿を見て……わたしはどうしたら一貴の支えになれるのか、わからなくなった。
 そして、何も打ち明けようとしない一貴にとって、わたしという存在がどういう意味なのか、それすらもわからなくなってしまった。
 わたしは、こんなにも一貴を必要としているのに。
 辛い……愛してるから、よけいに辛いよ。
 初めは、振り向いて貰えるだけで嬉しかった。
 愛してもらえるだけで、とても嬉しかった。
 だけど、今は……それ以上を求めてる、もっと……もっとわたしだけを愛して欲しい、って。
 飽くことなき感情がどんどん溢れてくるのを感じながら、莉世はタオルケットを握り締めた。
 
 そして、莉世はPCを見た。
 昨日届いたEメール。
 あぁ、どうしてグラントがわたしのアドレスを知ったの? わたしのアドレスを知ってるのは、ほんの数人しか知らない。 メリッサだって、わたしがグラントと距離を置きたいって事は知ってる筈よ。なのに、どうして? いったい誰がグラントに教えたの?
 悪夢にグラントが加わった事で、莉世は混乱を隠しきれなかった。
 
 莉世は、この日も悪夢を恐れて一睡も出来なかった。
 
 
* * * * *
 
「莉世……莉世ったら!」
 小突かれて、莉世は眠い顔を上げた。
「もう……バカ!」
 へっ?
 彰子は、顔を顰めている。
 視線を前に向けて、また戻すのを見て、莉世はその視線の先を見ると、 英UBの片瀬(かたせ)先生がジロリと睨み付けてる。
「ほうぅ、俺の授業は眠たくて仕方がないってわけだな。帰国子女だから受けなくてもいいと思ってるのか?」
 以前彰子から聞いた情報では、先生は片瀬駿(かたせ しゅん)……33才・スポーツマンタイプの独身……。
「ちょっと、センセ! それって一方的だよ」
 彰子が口を出すが、
「三崎! 黙ってろ」
 と、一蹴されてしまった。
 こういうところ、一貴と似てると思うのは私だけ?
 眠い目で片瀬先生を見つめた。
「どうなんだ、桐谷?」
「先生、帰国子女でも文法は苦手です。日本人皆が現国が好きかと言えば、そうじゃないのと一緒で、」
「桐谷! 放課後、教務棟まで来い。いいな」
「……はい」
 あぁ、眠たい。
 莉世は、再び机に倒れるように目を瞑った。
 
 
「あたしも一緒に行こうか?」
 6限の授業が終わると、彰子が心配そうに言ってきた。
「ううん、大丈夫。何とかなると思うし」
「だけど、顔色悪いよ……」
 莉世は、ニッコリ笑って彰子の腕を叩いた。
「これは寝不足なの。実はあまり寝れなくて……。ただそれだけだよ。あっ、片瀬先生がいつ帰してくれるかわからないから、先帰ってていいよ」
 彰子の顔が曇ったと同時に、一貴がホームルームをする為に入って来た。
  期末テストの時間割りが配られる。
 あぁ、ダメ……今は睡眠だけが欲しい。
 そのプリントを鞄にしまい込むと、両肘をついて頭を支えた。
 眠いのに……眠るのが怖い。また悪夢を見そうで……それに耐えられないぐらい脅えてる。直視出来ないなんて……わたしはなんて弱いんだろう。
 
 我に返ると、ホームルームは既に終わり、一貴の元には生徒が集まっていた。
 いつもならムッとする、わたしの一貴を見ないでって。
 でも、今はその感情すら沸かない。
 なぜなら、彼女たちより恐れているものがあるから……夢に出てくる一貴の元恋人・響子さんが、脳裏から離れない。
 蘇る記憶を押し出そうと、ギュッと瞼を閉じた。
 今は関係ない筈なのに、何故か気になって仕方がない。
 やっぱり、悪夢がわたしを蝕んでるんだ……
 わたしが影を引きずり込むから、だからバランスが崩れていく。
 
「じゃ、先生のところへ行ってくるね」
 ふらつきながら立ち上がると、彰子も立ち上がった。
「センセに言っとく? もちろん担任にって事だけど」
 莉世は首を振った。
「わたしが寝てたから悪いんだもの。こんな事言ったら、自業自得だって怒られるに決まってる。じゃぁ、怒られて来ます」
 鞄を持ち、後方のドアから出て行った。
 前方のドアには、一貴がいたからだ。
 
 
「センセ! ちょっといい?」
 彰子は、担任の前に勢い込んで行くと、他の女生徒を押しのけながら言った。
「何だ?」
「ちょっとこっちに来て」
 彰子は、無表情な担任を廊下に引っ張り出し、声を潜めて話しだした。
 その時、担任の目が光ったのが彰子にはわかった。
 これでひとまず安心。
 彰子は、そのまま去っていく担任の後ろ姿を見て、教室へ戻った。

2003/06/24
  

Template by Starlit