『ココロの兄、TWINS』【3】

 一貴が幸せそうに唇の端を上げるのを見て、康貴は驚愕せずにはいられなかった。
「今までとは、全く違う兄貴を見てる気がするよ。兄貴は、今までの彼女に対して……そんな優しそうな表情をした事がなかった」
「そうだな……こんな気持ちになった事は、今まで一度もない」
 康貴の驚きを隠せない表情を見た一貴は、問うように方眉を上げた。
 
「ショックじゃないか? お前は、莉世を可愛がり……そして俺同様甘やかしていた。だが、あいつは俺ばかりに懐き、それを見たお前は……俺に対して嫉妬してた」
 ずばり言い当てられ、康貴は苦笑いした。
「知ってたんだ……。俺の気持ち」
「当たり前だ」
 康貴はぐったりと肩を落とすと、ため息をついた。
「確かに莉世が好きだった。だから、兄貴と同じように可愛がるのに、何故俺には頼ってくれないんだろうって思ってた。悔しかったよ……俺は“妹”が欲しかったから」
 康貴は再び肩に力をいれて、一貴を睨むようにジィーと見つめた。
「今も、大切な“妹”だよ。こうして長年会ってなかったのにもかかわらず、俺は莉世が可愛くて仕方ない。……だから、莉世を泣かすんじゃないぞ? もし泣かしたら、兄貴だって絶対許さないからな」
 一貴は、真剣に言う康貴の目を見つめ返した。
「……あぁ。絶対泣かせない」
 その言葉を聞いた康貴は、再び肩の力を抜くと、表情を和らげた。
 
「ところで、いったい何しに来たんだ? 確かお前、今日は大阪に帰るんじゃなかったか?」
 康貴は、一貴のその言葉で、本来何故ここに来たのか思い出し、突然表情を曇らせた。
「あぁ……今日は子供の日だろ? おふくろが、家族皆を呼び寄せて手料理を振る舞うんだとさ。それで俺の大阪帰りも明日以降に延期になったってわけだ……ったく、いい年して何が子供の日だってんだ」
「知らせるだけなら、電話でもよかっただろ?」
 一貴は、腑に落ちないまま康貴を見ると、弟は頭を振った。
「あぁ、ダメダメ。家に居たら、おふくろがうるさくてさ。優貴はそそくさとどっかに出かけたし……俺も避難しようと思ってココに来たって事だよ」
 一貴は、優貴が出かけた理由を察してニヤついた。
「何だよ、その笑い?」
「あぁ、優貴は今女で手一杯なんだよ」
 その言葉で、康貴は飛び上がった。
「優貴に女?! あの仕事人間のあいつが?」
 その言葉に、一貴は肩を揺らすほど笑った。
「そう言うな。康貴、お前は? 大阪にいるのか? まぁ、こっちに戻ってくる身だから、向こうで真剣になられても困るがな」
 康貴は、思い切り息を吐き出した。
「まぁ、何とかやってるよ。……あぁ、早くこっちに帰りたい」
「そう焦るな。今大阪はお前のエンジニアとしての腕が必要なんだ。緒方氏の代わりとしてな。それが終わったらすぐ戻ってこい」
「あぁ」
 帰りたいと言ったわりには、康貴はあまり嬉しくなそうに呟いた。
 その表情を、一貴は訝しげに見つめていた。
 
 
「お待たせ。今日は康くんに会えて嬉しかったら、莉世特製のカフェオレを作ってみました」
 その言葉に、二人はそちらに振り向いた。
 しかし、一貴だけはムッとした。
「俺には、一度も作ってくれた事なかったぞ?」
「……だって、作らせてくれなかったもの」
 莉世はそう応対しながらも頬を染めながら、3客のカップを置いた。
 その頬を染めた理由がわかるのは、一貴と莉世だけの筈だが、康貴は訳知り顔で口角を上げた。
 
「さて、二人は仲直りした?」
 妙な方向に話が逸れる前に、莉世は思いついたように言った。
 すると、一貴と康貴は視線を合わせ、アイコンタクトを取った。
「多分……な」
 康貴は、方眉をあげて一貴に問いかける。
「そうだろうな」
 何だか意味深な感じもするが、二人が仲直りしてくれたという事に胸を撫で下ろした。
 あんなケンカは、もう二度と見たくない。
 大好きな人たちには、何があっても争ってなんか欲しくない。
「あぁ、美味しいよ莉世!」
 満足そうに飲む康貴に、莉世は微笑んだが、康貴よりも一貴の反応が気になった。
 美味しい? それとも、口に合わない?
 一貴は、眉間を寄せて機嫌が悪そうに見える。
「……一貴は?」
 ちらりと莉世を見たが、すぐに視線を逸らせた。
「あぁ……いける」
 そ、それだけ?
 莉世は、どんどん気持ちが沈んでいくのがわかった。
 やっぱり、一貴の口には合わないんだ……。
 莉世の表情を見ていた康貴が、突然笑い出した。
「落ち込むなよ、莉世。兄貴は、先に俺が褒めたからふくれてるだけさ」
 一貴は、康貴をジロッと睨み付けるが、康貴は素知らぬフリをして、その視線を無視した。
 
「……もしかして、俺って邪魔モノ?」
 おちゃらけて言う康貴に対して、一貴は、
「あぁ、邪魔だ邪魔だ、どっか行け!」
 と、蔑ろに言い放った。
「ちょ、ちょっと一貴! ……康くんも、そういう事言わないの」
 交互に二人を見比べながら、莉世は戸惑った。
 もしかして、まだ仲直りしてないの?
「そうだ! 康くん、私ね家族と旅行してきたんだ。それで、一貴にお土産って買ってきたんだけど、それ一緒に食べようよ」
「駄目だ」
 ダメ?
 一貴の一言に、莉世は驚いた。
 何故、ダメって言うの?
 一貴は、テーブルに置いてあった一貴へのお土産を掴むと、そのままキッチンへ持っていった。
 莉世は呆然とその後ろ姿を見る事しか出来なかった。
 
 すると、またも康貴が肩を揺らして笑いだした。
「気にする事ないよ、莉世」
「でも、」
 一貴の態度は、無作法と言っていいぐらい、失礼な態度だった。
 しかも、実の弟だというのに。
「兄貴は、自分にって持ってきたお土産を、俺と分け合いたくなかったんだ。まぁ〜、そういう事」
「でも、たくさんあるんだよ?」
 康貴は笑みを浮かべながら立ち上がると、莉世の隣に腰を下ろし、細い肩を抱いた。
 それは全く異性を感じさせない、兄が妹を気遣うような……そういうココロが籠った触れ方だった。
「兄貴らしからぬ行為だな。まっ、俺は気にしてないから。それより……兄貴と付き合ってどのくらいなんだ?」
 莉世は、顔を赤く染めて俯いた。
 何か……こういう事を聞かれるのって照れるよ。
 それに、さっきはボタンが外れてるのも、康くんに見られてしまったし。
「……1ヶ月かな」
「幸せ?」
 その真剣な問いに、莉世は思わず顔を上げた。
 そこには、心配そうに見つめる康貴の顔があった。
 昔から、一貴と同様に見守り、優しく“妹”のように扱ってくれた、信頼する兄が。
「幸せだよ。一貴がわたしを幸せにしてくれてる。とっても幸せにね」
 康貴は、その言葉が本音なのかどうか探るように、莉世の表情を探ったが、そこに愛情があるのがわかると、躰から一気に力を抜いた。
「それを聞いて安心した。俺は兄貴にも、莉世にも幸せになって欲しいから」
 康貴は昔と同様に、愛情を込めて、莉世のこめかみにキスをした。
「いい加減にしろよ、康貴」
 突然、真後ろから冷たい声が降ってきたかと思ったら、 一貴は、康貴の頭を莉世から離れるように、グイッと思い切り押した。
「いてててっ! 何だよ、昔と同じ事をしただけだろ?」
「昔と今では全く違うんだ」
 康貴は、一貴が莉世に対する愛情を目の当たりにして、嬉しそうに笑った。
「わかった、わかった」
 康貴は満足しながら立ち上がると、再び向かい側のソファに身を沈めた。
 
 
「康貴、いるのか?」
 突然、玄関の方から低い声が響いてきた。
 また、誰かの登場だ。
 莉世は後ろを振り向くと、リビングに入ってきたその男を見て、顔を喜びに輝かせた。
「優(ゆう)くん!」
 そう呼ばれた男は、一瞬立ち止まった。
 部屋にいる人物をゆっくり眺めて、再び莉世に視線を戻した。
「俺は、きみを知らないが?」
 片眉を上げて、問うような仕草をする。一貴にそっくりだ。
 だが、その魅力的な躰つきや引き締まった顔は、紛れもない康貴と同じ顔。
 そう、兄の優貴と弟の康貴は、一卵性双生児だった。
 しかし、性格は全くの正反対。
 兄の優貴は、長兄の一貴を尊敬していて、やる事成す事全て真似をし、少しでも一貴に近づこうと努力していた。
 一方、弟の康貴は、何事も中途半端……だが熱中するものが出来れば、ひた向きに全力を注ぐ、そんな男だった。
 莉世はそんな二人から、ずっと可愛がられていた。
 目に見える優しさは、康貴から。
 目に見えない優しさは、優貴から。
 当時、莉世は一貴を異性として意識し、双子を“兄”のように信頼していた。
 普通なら、一貴を兄に、双子を異性のように感じてもいい筈だったが……
 その時の懐かしい気持ちに、莉世は思わず笑った。
 
「何だ、この女子高生は? 兄貴の教え子か? そいつが何でここにいるんだ?」
 その鋭い視線は、まさしく一貴が教師の顔という仮面をつけた時と、全く同じ視線だった。
 あぁ〜、やっぱり兄弟だよね。
 莉世は、その冷たい視線に動揺せず、ココロから微笑みかけた。
 
 しかし、双子の突然の訪問が何を意味するのか……、この時の莉世には、全くわかっていなかった。

2003/05/28
  

Template by Starlit