相変わらず外は雨が降り、上がる気配は全くなかった。
一貴はずっと何かを考えていて黙っていたが、その沈黙を破ってゆっくり口を開いた。
「それなら……何故帰国して来た時、俺に連絡しなかった?」
突然の問いかけに、不意をつかれた莉世の胸がギュッと締めつけられた。
「そ、それは、」
「それは?」
莉世は、一貴の追い求めるその言葉の強さに逆らいたかった。
でも、最後まで意思を通そうという一貴の見えない力が、莉世の全てを包み込む。
息苦しい、楽になりたい……。でも、どうしたらいいの?
強い動物が、弱い動物を自分の力で押さえつけるように、一貴の力が莉世の口を割らせようとする。
一貴の捕らえようとする視線の圧力に、莉世は耐えられなくなり、とうとう視線を逸らした。
「わたしっ、」
一貴は、莉世の頬を掌で優しく包むと、自分の方へ顔を上げさせた。
「はっきり言うんだ、莉世」
心を覗き込む真摯な瞳に、莉世は……負けてしまった。
莉世の頑な心の壁を、一貴はたやすく進入してしまった。
莉世は涙を流したくはなかった。
でも一貴に押され流されるように、涙はまたたく間に溢れ、頬を伝っていく。
嗚咽を抑えようと、強く奥歯を噛んではいるが、震える唇はどうにもならなかった。
「莉世、言うんだ!」
鋭い口調に、莉世はビクッと震えた。
もう、何も考えられなくなった。
ずっと……誰にも相談せず、たった一人で押し止めていた壊れたカケラが、莉世の固い殻を破って躰を駆け巡る。
もう、止められない。
押し出されて、流れ出るのを、もう止める事が出来ない!
「見たくなかったの。幸せそうな、夫婦を見たくなかったの!」
莉世の感情は、とうとう爆発した。
自分のココロの中にある醜い部分 、それを暴露してしまったココロの弱さ、一番見られたくなかった一貴に知られてしまった屈辱。
その全てに悲しくて、悔しくて、恥ずかしくて……莉世は俯いた。
でも、一貴がそれを許さない。
再び、今度はきつく顔を上げさせられた。
「っん…」
「何故、見たくなかったんだ? 留学する時、俺の結婚話を聞いたと言ったな。それなら帰国する時、俺と会う事を一度も想像しなかったのか?」
莉世の目に、涙の薄い膜が浮かんできた。
「っ、したよ。しないわけないじゃない! ……もう、大丈夫だと思った、会っても平気だって、思ったんだもの」
一貴の攻撃は容赦なかった。
何が何でも、何かを言わそうとするみたいに、莉世が泣いてもわめいても、押して迫ってくる。
「それで、平気じゃなかったわけだ、何故なんだ? 何故平気じゃなかったんだ? 何故俺の幸せそうな夫婦姿を見たくなかったんだ?」
莉世は、またも新しい一貴の一面を見た。
でも、今それを詳しく考える余裕など全くない。
一貴の容赦ない責め、激しい息遣い、強まる指の力……莉世の意識はもうどこかへ吹っ飛んでいた。
問われるまま答える……まさしく一貴に全てを操られているかのように。
「どうなんだ、莉世!」
莉世はキュッと睨み、わかってくれない悔しさから、憤りさえ感じていた。
「そんなの……決まってるじゃないの」
莉世は両手を上げると、一貴の胸の辺りを何度も何度も叩いた。
莉世が、自ら一貴に触れた。
今まで、一貴の方からしか莉世に触っていなかった。
それが、今初めて……莉世自身が一貴に触れたのだ。
その事を、莉世は全く気付いていなかった。
気付いたのは、一貴ただ一人。
「ひどい、ひどいよ……っわたしだって、祝福出来るのならっ、祝福したい。でも、で……出来ないの」
一貴は、莉世に叩かれたままになっていた。
激しく泣く莉世から、目を離さないように、探るように見ていたからだ。
「何故出来ない? 何故出来ないんだ?」
「だって、 全部わたしだけの一貴だったのよ? ……その一貴が、わたしよりも他の女性を選んだのを、平気な顔して会えるわけないじゃない! こんなに、っこんなに一貴を愛してるのに」
最後の言葉を言う時、莉世の拳はいつの間にか止まり、ぶるぶる震えていた。
途端、一貴が覆いかぶさって、莉世の唇を奪った。
莉世は、驚いて固まってしまった。
その激しいキスは、一貴の想いが全て詰まったかのように、莉世を制圧しようとした。玄関でのキスも激しかったが、このキスとは全く違う事が、莉世にはわかった。
懲らしめるキスじゃない……隠しきれない想いがこもったキスだ。
「…ぁんっ」
でも、一貴の激しく動く唇が、莉世の痛めた下唇を刺激した。
「っ痛!」
一貴はビクッとして、顔を少し離した。
莉世の赤紫に変色した下唇を見て、一貴の表情が曇った。
莉世は、一貴の目を潤んだ目で見つめた。
涙は、すっかり止まった事にも気付かなかった。
一貴が親指でゆっくりと軽く……焦らすように、莉世の下唇をなぞった。
「ぁっ…」
その優しい行為が、莉世の躰に甘い痺れをもたらした。
莉世の唇が一貴を求めるように意思をもたないまま軽く開かれると、そこから軽い喘ぎが発せられた。
白い歯とピンクの舌が、一貴の視界に入る。
「悪い。お前を傷つけたな」
心のこもった、極端に掠れた声が、莉世を甘美の世界へ誘った。
今まで……莉世が一度も聞いた事がない、一貴の声だ。
気怠い感覚が躰中を少しずつ支配し、意識は全て一貴に集中する。
躰中の全てが、一貴を欲してる!
一貴に傷つけらたなんて思ってない……あれは、どんな形だったにしろ、わたしにとって、初めての一貴とのキスなんだもの。
そう言いたかった。
一貴が自分自身を責めてるのを、少しでも軽くしてあげたかった。
でも、莉世は何も話せなかった。
一貴の親指は優しく愛撫を繰り返し、莉世の思考力を奪っているからだ。
一貴は再び顔を近づけてくると、莉世の下唇を舌で軽く触れた。
その柔らかく温かい感触が、莉世を喘がせた。
一貴は莉世の反応を見ると、またも優しく舌で輪郭を撫で、何度も愛撫を繰り返した。
「……ぁぁ、やぁっ」
莉世の躰は、ビクビクと奮え始めた。
怖くて震えているのではない、あまりにも快感が躰中に広がり、コントロールが出来なかったのだ。
一貴は、右手を莉世の喉元にゆっくり這わせ、そのままうなじへと滑らせると、ぐらつかないように固定させた。
莉世が、何度も奮えるのを防ぐように……。
確かに固定しているが、一貴は親指は莉世の敏感な場所を探るように、耳朶の下の柔らかい肌を、何度も何度も愛撫を繰り返していた。
「ぁぁぁ……」
莉世は、一貴の胸元をギュッと握った。
一貴は、下唇をパクンと咥えると、そのまま顔を離した。
「ぁ……」
まだキスをして、このまま止めないで……と叫ぶ自分を抑えきれず、吐息となって欲望が吐き出された。
……薄いガウン姿を一貴の前で見せた時に昂ぶった燻りが、一貴という風に煽られ、徐々に激しく燃え上がり始める。
それは、心の奥底から莉世を覆うぐらい、大きな炎となりつつあった。
やっぱり……わたしをこんな感情にさせるのは、一貴しかいない。
いつの間にか閉じていた目をゆっくり上げると、一貴は探るように莉世を見つめていた。
莉世の目は、欲望と満たされぬ感情が攻めぎあって潤んでいた。
それを見た一貴は、嬉しような……でも困ったような表情をした。
一貴は、濡れてる頬を、ゆっくり手で拭ってくれた。
「はぁ、お前……感じ過ぎだ」
莉世はその言葉に恥ずかしく思いながらも、未だ興奮状態のままだった為、話す事など出来なかった。
一貴はため息をついたが、自然と視線が下へ下がった。
途端、一貴の目が異様に驚愕するが、目は喜びでどんどん輝きを増していく。
激しく言い争い、掴みかかり……そしてキスをしている間に、莉世のガウンは乱れて緩み、片方の肩が露になると同時に、白いふっくらとした片方の乳房がまる見えになっていた。
先端の少し濃いピンクの乳首が、ツンと突き出て、一貴を誘ってる。
「り……せ、」
一貴の息が荒くなった。
掠れたその声で自分の名を読んだ事に、莉世の胸も高鳴った。
また 、一貴が莉世の乳房を貪るように見つめるその様子は、莉世をとても興奮させた。
じっとり……溢れてくる蜜の感覚まで感じる。
その莉世の胸の高鳴りが激しく乳房を動かし、一貴を興奮させているとは思っていない。
一貴は、その誘う乳房に手を伸ばすと、重みのある乳房を下から軽く持ち上げた。
「……っん」
莉世は躰が震えるまま、乳房を突き出すように胸を反らせた。
一貴が……わたしを見ている。どんなに、この夢を見た事だろう。
また、涙が出そうになった。
でも、泣きたくはない。泣いて……一貴の手を止めさせたくはない。
一貴が、ゆっくり乳房を揉みだした。
「ぅん……ぁん」
莉世が下を向くと、一貴が莉世の表情を伺っていた。
莉世の紅潮した頬を見て、一貴はそのまま親指で乳首に触れた。
「ぁっ、っ……っん!」
莉世の上半身はゆっくり誘うように、動いていた。
でも莉世の神経は、全て乳房に集中していた為、その誘うような行動をしてるのは、わからなかった。
すでに、秘部は溢れる程潤いを生み出している。
それほど、莉世は一貴だけを求めていた。
知られてもいい……こんなに求めているのを、一貴になら知られてもいい。
こんな気持ちになったのは、初めてだった。
ところが、一貴はそっと莉世の乳房から手を離した。
満たされないまま、莉世は置き去りにされてしまった。
莉世は荒々しく喘ぎながら、一貴を見た。
一貴はどこかイライラして、目には怒りさえ垣間見れた。
それを見た莉世は、冷水を突然浴びさせられたようにショックを受けた。
私が……淫らに一貴の愛撫にうっとりしてしまったから?
嫌がらず、されるがままになったわたしを軽蔑してしまったの?
本当は……わたしになんか、触れたくなかったの?
莉世の心は、乱れに乱れていた。
あぁ……一貴に嫌われてしまった。一貴の愛情を、少しでもいいから欲しいと思ってたのに、これで……全て終わりになっちゃんたんだ。
莉世は涙を堪えながら、苦しい思いを抱えてガウンを整えようとした。
震える手を持ち上げた時、突然一貴の手が伸びてきて、優しくガウンを整えてくれた。
……一貴?
一貴は先程より落ち着きは取り戻したようだが、まだ目の奥では怒りの炎が見え隠れしていた。
仕方ない……全てわたしがいけないんだから。
もう、絶対二人きりで会わない。学校でも、絶対会わないようにする。
そうしないと……わたしのココロが……本当に壊れてしまう!
涙を振り払うと同時に、一貴は苛立たしくソファから立ち上がった。
「くそっ!」
莉世は、真っ青になった顔で一貴を見上げ、拒絶の言葉を受け止めようとした。
「あぁ、すまない莉世。 お前の髪が濡れてるを知ってたのに、乾かそうともしないで、あんな事を!」
莉世はびっくりして、目を大きく見開いた。
拒絶の言葉だと思っていたのに、その突拍子もない言葉は、莉世を唖然とさせた。
止まってしまった時間を進めるように、莉世は声を絞りだした。
「えっ? ……それ、だけ?」
一貴は、莉世の問いがわからないかのように、眉間を寄せた。
「他に何かあるか?」
莉世は、その一貴の拗ねたような口ぶりにホッとして、笑いが込み上げて……泣けてきてしまった。
「莉世? どうした?」
驚愕した一貴は、莉世が何故泣いて、笑ってるのかわからない。
「ううん、何でもない。……へへっ、本当だ。わたしの髪、まだビショビショ」
莉世は、髪に触れて答えた。
「あぁ、ったく。お前にキスした時、髪が濡れてるとわかっていたのに」
最後の方はブツブツと言って、一貴は居間から出て行った。
莉世は涙を拭ったが、一貴に嫌われていなかったんだとわかると、また涙が溢れそうになる。
一貴は、わたしの反応で怒ったんじゃなかったんだ。
わたしのあんな姿を見ても、全て包み込んでくれる優しさを持っている。
あぁ、やっぱり一貴を忘れるなって出来っこない。
そこで、莉世は響子さんの事を思い出すと、今まで以上に、胸が痛くなり苦しくなった。
一貴と響子さん……今、いったいどんな関係なの?
結婚してない事はわかった。結婚していれば、一貴は絶対指輪をする筈。
相手が他の男性に奪われないように、自分にも言い寄ってくる女性を締め出す為にだ。
昔、一貴は幼い莉世に、言い聞かせた事があった。
「結婚はな、お互い愛し合ってるからするんだ。 結婚してるというのに、指輪を外してまで浮気をする奴等がいる事もわかってる。だが、それは最低な男だ。莉世、お前も覚えておけ。本当に愛する奴と結婚するんだ。……はぁ、お前の親父みたいな事言ってる。もしかしたら、莉世が選んだ男だとしても……俺はお前の夫は好きになれないかも」
確かに、一貴はそう言った。
一貴は、決して意思を曲げる人じゃない。
だからこそ、一貴が結婚していないという事がわかる。
だけど、それは彼女がいないという事ではない。
わたしに、響子さんとの仲を訊く勇気があるだろうか?
莉世は、拒絶するように激しく頭を振った。
駄目だ、今のわたしは……まだ訊く勇気がない。
とりあえず、 一貴がこの部屋に戻ってきたら、あの話を訊いてみよう。