番外編
side:一貴
ビールを飲み終わると、日本酒を頼む。
焼き鳥や、揚げ出し豆腐、サラダ等をつまみながら、この一人の空間に満足していた。
しかし、全く酔ってはいなかった。
これからの学院生活が、急に重くなっていたからだ。
まさに、みつるの登場で。
くそっ!
再びタバコに火をつけた。
――― バタン!
突然、襖が開いた。
そこには、顔を赤くした片瀬が立っていた。
「見つけたぁ! 見つけたぞぉ、水嶋……ッヒッゥ!」
片瀬の顔が赤く染まり、目は据わっている。一目で明らかに酔っぱらってるのがわかった。
片瀬は、きちんと襖を閉めると、フラつきながらも歩いてくる。
一貴は、目を細めて次の動作を観察した。
「このぉ、やろぉ、嘘つきやがってぇ」
嘘? 何の話だ?
「みつるぅちゃんはなぁ、お前を追いかけて……ここに来たんだとよ!」
「…それが何か?」
その落ち着いた態度がいけなかったのか、突然片瀬は今まで以上に顔を赤らめた。
「知っていて……みつるぅちゃんを紹介、したんだな!」
だから、何なんだ?
「片瀬先生、話が見えませんが?」
「俺はなぁ、本気で…本気で…みつるぅちゃんに惚れてしまった、んだよぉッヒッゥク」
本気で惚れた? なら、それでいいだろ。何故俺に詰め寄ってくるんだ?
「くそぉ〜、俺の恋は終わってしまったぁ、みつるぅちゃんは……水嶋が好きだから、俺にはチャンスが、ないぃ」
ガクリと肩を落とす。
その姿を見て、俺はこの情けない男が、自分より年上だとは思えなかった。
あまりにも…その短絡的思考が、俺の神経に障ったのだ。
溢れ出そうとする怒りを押し止めて、片瀬を睨む。
「そんなの関係ないじゃないですか。好きになった女が他の男を好きだからという理由で、簡単に諦めるんですか?」
「お前には…わからないさ」
「あぁ、わからないね!」
投げやりなその言葉を聞いて、 一貴の堪忍袋の緒が、とうとう切れた。
「好きになった女が、他の男を好きだからという理由で諦められるような恋なら、初めからするなよ! ったく、イジイジして」
もし、莉世が他の男を好きでも……俺なら!
一貴は、燃え上がる怒りを押さえつけるように、奥歯をきつく噛み締めた。
「何だとぉ、お前……年下のくせに、生意気だぁ」
片瀬は、怒りながら突然襲いかかってきた。
しかし、いろんな武道を学んできた一貴にとって、片瀬の動きはスローモーションにしか見えない。
「いい加減にしろ」
片瀬の手を掴むと、畳に捻り伏せた。
「俺に挑んでくること事態が、間違いだぞ。その意気込みを、みつるにぶつけてみろよ」
突然天井が目に映ったからなのか、片瀬が何度も瞬きした。
「今、……何が起こったんだ?」
知るか! この酔っぱらいめが。
「いいか、片瀬。本気で好きになった女を手に入れたかったらな、堂々とぶつかってみろ。それで玉砕したなら、その時に悩め。何もしない内からな、上手くいかないのは、俺のせいだという言い方は、やめてもらいたい。お前も男だろ? 好きな女を、振り向かせてみようとは思わないのか?」
絞めていた襟足を、ゆっくり解いた。
「子供の恋愛なら話はわかるが、な」
一貴は立ち上がると、今まで座っていた場所に戻り、タバコに火をつけた。
何故、俺が30歳間近の男に、こんな説教染みた事をしなければならないんだ?
「お前……ネコ被ってたな」
チラリと横を見ると、寝転んだまま目を腕で隠し、ボソボソと呟いた。
何故か、その寂しそうな姿を見て、怒りがスーと下火になった。
「小さい頃言われなかったか? 人を外見で判断するんじゃない、と」
「っくそ、それに、俺にタメ口で話しかけてやがる」
あぁ、そういえばそうだな。今までは一応年上だからと思って、礼儀正しくしていたが、こんな片瀬を見たら、年上になんか見れるわけない。
「年上として敬って欲しかったのなら、子供みたいな態度で俺を殴ろうとしたり、みつるの事で俺を罵ったりするべきでは……なかったな。片瀬の態度は、まるで学生並みだよ」
「ううっ……お前が正しいと思うのは、やっぱり俺が悪かったって事か?」
* * * * *
「っで、俺を呼び出した理由は?」
片瀬は、突然顔を上げた。
「みつるちゃんの事、本当にフッたのか?」
……そうだろうと思った。片瀬は、みつる一筋だからな。
「あぁ。俺がみつるの事、好きじゃないって事ぐらい、知ってるだろ?」
頷きながら、ビールを流し込む片瀬。
それを見ながら、ビールを飲んだ時、
「だよな。お前、俺がその場にいるっていうのに……あの女生徒の事ばかり目がいってたもんな」
一貴は、一瞬ドキッとしながら片瀬を見る。
そこには、先程まで失態に恥じていた片瀬ではなく、ニヤニヤと笑う片瀬がいた。
「駄目だぞ? 生徒に手を出すなんて、それは問題外だ。まぁ、確かにあの帰国子女……可愛いと思う。だけど、あれは男がいるぞ? あの白い肌にくっきりアノ跡が残っていたからな」
やっぱり……あの時見たんだな、莉世の胸元を!
ジョッキを、テーブルに叩きつけて片瀬を睨む。
「おいおい! 暴力は反対だ。俺は、もうあんな失態は繰り返すつもりはないからな」
ったく、こんな男だってわかってるのに、俺は誘いを断れないんだよな。
一応、女にモテる、躰も引き締まってる。にもかかわらず、何故こんなに消極的なんだ? まぁ、そういう片瀬だからこそ、生徒たちにも人気があるんだと思うが。
「はぁ、みつるちゃんと付き合えるようになるのはいつなんだろう。よし、2年経っても無理なら……あの帰国子女に手を出そう」
な、何? 莉世に手を出す、だと?
「そうすれば、あの子はもう教え子……じゃないし、な」
莉世は俺のモノだ!
威嚇するように片瀬を睨むと、再びニヤニヤとしていた。
「お前のポーカーフェイスが崩れるアキレス腱……見っけ♪」
その嬉しそうに言う片瀬を見て、一気に躰から力が抜けた。
や、やっぱりこいつは……子供だ。それに、アルコールが入ると、だんだん態度が変わってくる。今の片瀬もそうだ。普段なら、こんな事を言う筈がないのに。
一貴は、諦めるように背を凭れると、ため息をついた。
だが、
「お前は、早くみつるを捕まえろ!」
と、釘を刺すのを忘れなかった。
そんなわけで、奇妙な二人の関係は……まだまだ続きそうだった。