番外編

『The Instinct』【1】

side:一貴
 
 こんな事は初めてだ……
 一貴は、震える手を押さえつけるように、関節が浮き出る程強く拳を握った。
 
 
 まだ明るい為、莉世が一人佇んでるのはすぐにわかった。
 誰にも見つからないように、隠れるように立ち尽くす莉世の後ろ姿は、どこか寂しそうで、何が何でも守らなければと本能が囁く。
 あぁ……、だが、お前はまだ俺のモノだろうか?
 俺が、みつるを拒絶しなかった事で、お前が俺を見捨てていく可能性は大だ。あんな、悲しみと絶望と拒否が含んだ表情を見せられたらな。
 今まで、どんなに他の女を哀しませても、自己憐憫には陥らなかったのに、莉世を哀しませたかと思うと、一貴は張り裂けそうな程胸に痛みが走った。
 一貴は、莉世を傷つけてしまった自分の不甲斐なさに、激怒さえしていた。
 しかし、その怒りを抑えようと奥歯をグッと噛み締め、足元に視線を落とした。
 俺の進むべき道は?
 莉世のいる場所か? それとも、他の女の場所か?
 一貴は、睨むように顔を上げると、莉世の側に足を向けた。
 考えるまでもない。俺の心は、全てお前に向かってる。
 本能の声は、お前を諦めるな、必ずお前を手放すなと叫んでいるんだ。決して手放すものか!
 
 
 莉世が少し俯いて、自分の躰を抱くようにしている姿は、何とも痛ましかった。
 俺にチャンスを与えてくれ!
 傷む心を隠して、一貴は後ろから、莉世をふんわりと包むように抱きしめた。一瞬莉世の躰が硬直したが、すぐに力を抜き躰を預けてきた。
「一貴……」
 莉世は囁いた。
 あぁ、莉世は俺にチャンスを与えてくれている、俺を拒絶してはいない。
 一貴は嬉しさのあまり、ここが公の場だというのを忘れ、莉世の顎を上げさせると、覆い被さるように上から唇を塞いだ。
「っん!」
 甘い声を聞いて、一貴の心が奮えた。
 莉世……莉世……、お前はまだ俺のモノだ。
 一貴はゆっくり唇を離すと、莉世の目を真剣に覗き込んだ。
「車で来てるんだ。行こう」
 莉世は一言も拒否せず、一貴と共に歩き出した。
 一貴は、従順に行動する莉世を見てホッとしていたが、彼女に見せられた傷みを忘れたわけではなかった。
 
 車を走らせてる間、運転に集中してはいたが、テーマパークが遠ざかる景色を、隣で静かに眺める莉世の事も見ていた。
 二度と、行きたくないと思ってるのだろうか?
  俺の顔を見ないのは、怒ってるからだろうか?
 
 レインボーブリッジにさしかかった時、一貴が重たい口を開いた。
「莉世……、俺はお前を失ったかと思った」
 その言葉は、まるで矢のように自分に跳ね返ってきた。
 そうだ、俺はお前を失っていたかもしれないんだ。
 みつるに道理をわからせる為にとった行動が、俺と莉世の破局に繋がっていたかもしれなかったのだ。
「どうして?」
 いきなり莉世の苦しそうな掠れた声が車内に響き、一貴は唇をきつく結んだ。
 やはり、俺はお前を傷つけてしまった。
 傷つけたくはなかったのに、お前だけは絶対に。
 だが、俺がどうしてあんな態度を取ったのか、わかって欲しい。
 
 
「俺がみつるにキスされた時の、お前の表情を見て……俺は堪えられなかった。だが、俺は変に拒絶するより、ちゃんと納得した上で、みつるに理解して欲しかったんだ。みつるの熱を冷ますには、こうするしかなかった」
 一貴は、ハンドルをきつく握り締めた。
 お前には、まだ理解出来ないかもしれないが、俺のとった行動を知ってくれ。
 一貴は、必死で心の中で叫んでいた。
「だからといって、俺はお前を蔑ろには出来ない。みつるよりも莉世……お前の方が大事だからな。俺はすぐ探したよ……もう教師としてでなく、一人の男として」
 何と俺らしくない行動。
 去る者を追わず……今まで付き合った女には、一切弁護等しなかった俺が、今では必死に莉世に説明している。
 俺も、随分変わったな……。
 一人の男として、みつるをその場に捨て去り、懸命に莉世を探した。
 携帯が繋がらない事は、朝からわかっていた。
 携帯の話をした時、俺が莉世を睨んだのは……不用心だと知らせる為だった。
 きっと、三崎と話してたから怒鳴られたと思ってるだろうが……。
 そんな事は、今はどうでもいい。
 俺は、莉世を懸命に探して、そして……。
 一貴は、躰を強ばらせ、
「お前を見つけた時、古賀がお前の手を握って引っ張っていくところだった。お前たち……似合ってたよ」
 と、吐き捨てるように言った。
 あの瞬間、頭を殴られたみたいに、呆然となった。
 二人は、とてもお似合いのカップルに見えた。
 ……そんな二人の姿に、俺は手も足も出なかった。
 
「ばかぁ……」
 莉世は息をゆっくり吐き出した。
「もちろん、一貴が湯浅先生に告白されて、抱きつかれてるのに拒絶しないあの態度……すごく嫌だった」
 一貴の喉がピクッと引きつった。
 莉世の本音が出てきたからだ。
「キスされたのを見た時は、頭が真っ白になったの。あの時は……一貴を責めた。ひどい裏切りだって。でもね、一人になって考えてみたら、一貴に防ぎようがなかったのもわかったの。大事なのは、一貴から抱きついていない・キスしていない……って事。するのとされるのとでは、全く違うもの。そうよね、一貴?」
「……あぁ」
 何て事だ……
 まだ、莉世には理解出来ないだろうと思ったのに、俺のとった行動を理解している。
 一貴は莉世の手を取ると、その指にキスをした。
「お前は、いつの間にそんなに大人になったんだろう?」
 どんどん成長する姿を見せつけられ、 一貴は掠れた声しか出せなかった。
 
「わたしが、どうしてそう思えたのかわかる? ……同じような経験をすれば、嫌でもわかるって事だよ」
 突然言われて、一貴は眉間を寄せた。
「同じ経験?」
「うん、わたしも……あの後、古賀くんに告白されたの」
「古賀に?!」
 一貴は、その事実に動揺した。
 という事は、莉世は古賀に告白されて……抱きしめられて、キスされたって事か?!
 その事実が、 一貴の心に火を放った。
「そう。だから、あの時の一貴の気持ちがわかったの。諦めてもらおうと、傷つけないようにして、納得してもらおうと……わたしも必死で考えたから」
「それで、あいつは納得したのか?」
 一貴の口から、強ばった声が出た。
 なぜなら、そう聞きながらも古賀が納得してる筈ないとわかっていたからだ。
 告白するぐらいだ……、莉世を彼女にしたかったに違いない。
 柔らかい躰を抱きしめ、キスまでしておきながら、諦められる筈がないだろ?
 ましてや、成長段階の高校生に。
「うん……多分ね」
 莉世は微笑んだ。
 っくそ……駄目だ、莉世に抱きつく古賀の姿が、頭から離れない!
 二人が手を取り合ってる姿を見た後では、尚更だ。
 一貴は、ハンドルを握る右手に力を込めた。
 
 一貴は、車線変更を繰り返して、高速の出口へ向かった。
「一貴? どうしてここで下りるの? まだ先だよ?」
 莉世は驚きながら聞いた。
「お前が今すぐ欲しいんだ。……我慢出来ない」
 一貴は歯を食いしばって、絞り出すように言った。
 あぁ、我慢など出来るものか。
 お前の全てを、もう一度俺のモノにし、古賀の匂いなどすぐ消してやる。
 思い出す事がないよう、俺の色に染めてやる!
 その想いは、まさしく一貴の心の奥底に隠れていた、本能の声だった。
 
 
 一貴は、適当なラブホのカーテンを潜ると、車を止めた。
「一貴……本当に入るの?」
 一貴は外に出ると、莉世のドアを開けて引っ張り出した。
「あぁ、入るんだ」
 一貴の頭には、莉世を抱く事しかなかった。
 時間が早いにもかかわらず、パネルにはほんの少ししかランプがついていない。
 どこでもいい。
 莉世が俺のモノだと実感出来れば、それだけでいいんだ。
 ランプがついている部屋の中から、一番に目に入ったボタンを押した。
 
 中へ入った瞬間、一貴は莉世を背中から抱きしめた。
 あぁ、お前はどれほど俺を狂わせたら気がすむんだろう?
「あっ、一貴……お願い、シャワー使わせて」
 縋るように言う莉世に、一貴はやっと強ばらせていた顔を緩めた。
 そうだ……対抗意識で抱くもんじゃない。
 莉世は俺にとって大切な、大切な女だというのに、これではセックスに狂った男と一緒じゃないか。
 俺は、莉世と気持ちを通じ合わせたい……俺が愛するように、莉世にも俺を愛してもらいたい……だから愛し合うんだ。
 躰だけを満足させる行為じゃない、躰でぶつかり合って想いを伝え合うんだ。
 なのに、俺ときたら……何て自分勝手なんだ。まるで、野獣じゃないか。
「あぁ、入ってこい」
 一貴は微笑みを浮かべて、莉世を促した。
 莉世は頬を染めながら鞄を無造作に置くと、すぐにバスルームへ入った。
 
 
 一貴は、莉世が置いた鞄が倒れているのを見て、笑った。
 いつまでたっても初々しいな。
 俺に何度抱かれていても……恥ずかしさを忘れない。
 その行動が俺を燃えさせているという事を、わかってるのだろうか?
 だが、時として大胆になって欲しいと思う事もあった。
 俺を求めて、誘い、自ら俺を満足させて欲しい……と。
「男心とは……呆れるほどワガママな代物だな」
 一貴は、自分を嘲った。

2003/05/16
  

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