乃愛は唾をゴクッと呑み込み、口に出すのが躊躇われていた言葉をそっと呟く。
「わたし、あの……また叶都と付き合えるの? 叶都から、愛して……もらえるの?」
「ああ。乃愛は、今日からまた俺のカノジョだ」
(わたしが叶都を諦めきれないように……彼も、わたしを望んでくれているということ? そうなのね!)
それが嬉しくて、乃愛は叶都を引き寄せてキスをした。
「どうしよう。わたし、嬉しい……」
唇を触れ合わせながら、乃愛は囁く。
「だが!」
叶都は、いきなり乃愛から離れた。
彼のあとを追うように、乃愛も気怠い躯に鞭を打って身を起こす。
まだ乳房が露わになったままなので、急いでブラウスの前を掻き合わせ、ミニスカートの裾を引っ張って秘部が見えないようにした。
コンドームの処理を終えていなかったのだろう。
叶都は乃愛に背を向けてコンドームを外すと、側にあったゴミ箱へそれを放り投げ、床に落ちたボクサーパンツを拾い上げて穿いた。
それから、ゆっくり乃愛の方へ振り返る。
「乃愛……。これからは、俺の前で立ち入り禁止のテープを張らないでくれ」
「えっ?」
「俺は誰にも心を開かない、誰にもそこに触れさせないようにするため、見えないトラテープを張り巡らせていた。だが、乃愛と会って俺はそのテープを破り捨て、お前を招き入れたんだ。だから、乃愛も俺を締め出すのではなく、心を開いてそこに……俺を招き入れて欲しい」
叶都が、乃愛に何を伝えたいのかわかった。
2年前、叶都には言えない秘密を作ったからふたりは別れることになった。二度とそうならないようにしたいと、叶都は強く望んでくれているのだろう。
(そうよ。叶都は、おばさまと妹のことを誰にも知られたくなかったはず。なのに、叶都はその秘密をわたしに教えてくれた。立ち入り禁止のトラテープを切って、真実を教えてくれた)
乃愛に対しても、叶都は出会ったころから正直だった。
そろそろ乃愛も、正直になるべきだろう。お互いに信頼するところから、何事も全て始まるのだから。
「わかったわ。……隠しごとは、もう絶対にしない」
「……本当か?」
乃愛は、しっかり頷く。
「もし、2年前のようなことがまた起きたら、今度はひとりで抱え込まずに、絶対に相談する」
「よし! じゃ、そろそろ出るか……」
今さらだが、ここはカフェのスタッフルーム。
そのことに気付くと、乃愛は急いでテーブルから飛び降りた。
だが、久しぶりに快感を得たせいで足腰が立たず、乃愛はへなへなとその場に崩れ落ちる。
「おいおい、乃愛」
叶都は乃愛を笑いながら、ズボンを穿いていた。そんな叶都を睨みながら、乃愛は面を上げる。
「わたしをこんな風にさせたのは、叶都なんだからね! ……もう!」
乃愛の言葉に、叶都が本当に楽しそうに笑い声を上げた。
腹が立ってもおかしくない態度なのに、叶都が心から笑う姿を見ていると、怒る気力がどんどん失せていく。
(……今日は許してあげる。もう、今日だけなんだからね!)
座り込んだ目の前に、叶都に剥ぎ取られたパンティがあった。それを手に取り、急いでパンティを穿く。
私服に着替えたかったが、叶都の前でスカートやブラウスを脱ぐわけにもいかず、結局制服で帰ることにした。
叶都の手で外されたブラウスのボタンを填める。
チラッと叶都へ視線を向けると、彼はまだズボンを引き上げてシャツを中に入れ込んでいた。
(叶都の制服、拾ってあげようかな)
身を屈み、テーブル側に落ちていた叶都のブレザーを腕に引っかける。
立ち上がろうとした瞬間、その上着から生徒手帳が滑り落ちた。落ちた時に開いたせいで、そこに挟んであった一枚の切り抜き写真が、乃愛の目に飛び込む。
「えっ? これって……」
「見ないでくれ!」
叶都は慌ててそれを奪おうとするが、乃愛は慌てて躯を背けてその手から逃げた。その写真に見覚えがある乃愛は、驚愕しながらもその写真に見入る。
「これって、わたし……だよね? でも、この後ろに見える人たちは……」
乃愛は、立ち上がりながらゆっくり叶都へ視線を向けた。叶都は居心地悪そうに眉をひそめながら、乃愛を見つめている。
「会社のパーティーがあった日よね? あのころ、わたしはまだ叶都の存在を知らなかったのに、どうして叶都がわたしの写真を持っているの?」
居たたまれなくなったのか、叶都がいきなり片手で顔を覆って天を仰ぐ。
「ねえ、叶都? これはいったいどういうことなの?」
今、無性に真実が知りたいと思った。乃愛の声音からそれが伝わったのか、「クソッ!」と叶都が呟くと、ゆっくり手を下ろして観念したように乃愛を見つめた。
「……隠し撮りしたんだ。可愛い子がいるなって思って。俺はまだ小学生で、背が小さかったから、乃愛の目に俺は映らなかったんだろう。だが、俺の目は乃愛を捕らえていた」
乃愛の手から上着と生徒手帳と写真を奪うと、叶都はそれを大事そうにポケットへ突っ込んだ。
「……俺の初恋さ。そのころから、年上の女性が好きだったんだな」
(は、初恋!? わたしが、叶都の?)
目の前にいる叶都が、そんな小さなころから乃愛のことを知っていたなんて思いもよらず、乃愛は目を大きくせずにはいられなかった。
それぐらい、叶都の言葉に驚かされた。それと同時に、たった今頭を過ったことを確かめたく、乃愛はさらに言葉を続ける。
「ねえ、叶都。教えて……。わたしが叶都の家庭教師になったのって、もしかして?」
乃愛の問いかけに観念したのか、叶都は大きく両手を上げた。
「そうさ! 俺にもう一度家庭教師をつけるという話が出たとき、父が乃愛の父に頼むように俺が仕向けたんだよ!」
たまたま偶然に父のもとへ話がきたと思っていたのに、最初から仕組まれたものだとわかった途端、乃愛は口元を綻ばせて叶都に一歩近づいた。
「ふ〜ん。叶都ってば、そんなにわたしのことが好きだったんだ〜」
「クソッ!」
叶都は自分の気持ちがバレてとても悔しいようだが、乃愛は嬉しくてたまらなかった。
叶都と別れた時は、乃愛の方が辛いと思い込んでいたが、実際は叶都の方が辛かったのかも知れない。
初恋の相手と付き合えるようになったかと思ったら、酷い言葉を投げつけられたのだから。
(でも、もうそんなことはしないわ。叶都とはもう離れられないって、わたしもわかってしまったから)
私服とバッグを手に持つと、乃愛は叶都の腕に手を滑らせた。
「大丈夫。今は、わたしの方が叶都を好きだって気持ち……大きいもの」
乃愛が見上げると、叶都はニヤッと口角を上げながら乃愛を見つめ返した。
「……じゃ、証明してもらおうかな?」
「望むところよ!」
ふたりは笑いながら裏口からカフェを出ると、乃愛はスペアキーで店の鍵を閉めた。
叶都は駐車場に駐輪していたバイクを指すと、乃愛の荷物と交換するようにヘルメットを渡す。
既にバイクの免許を取得していたことにびっくりしたが、促されるまま叶都の後ろに跨がった。
「で、これからどこへ行くの?」
「当然、乃愛が一人暮らししている部屋さ!」
「えっ? どうしてわたしが一人暮らしをしてるって知ってるの?」
「夏海さんがこっそり俺に教えてくれたのさ」
フルフェイスのヘルメットを被った叶都は、しっかり掴まっておけよ≠ニ言うなり、バイクを走らせた。
「キャッ!」
初めてのふたり乗りに怖くなった乃愛は、叶都に腰に両腕を回した。
(もう、夏海ったら……勝手に人の住所を教えるなんて! 明後日カフェで会ったら……お礼を言わなくちゃね)
乃愛は口元に笑みを浮かべると、しっかり叶都に抱きついた。
もう二度と、この幸せを逃さないと誓いながら……