12月に入り、街中クリスマス色に染まってきた。
乃愛の進路は決まっているものの、友達は皆受験生。彼女たちにクリスマスはないので、乃愛も寂しい日を送ることになるだろう。
(それに、わたしには彼氏なんていないしね)
彼氏云々よりも、友達とクリスマスを過ごせない寂しさから、乃愛はガックリと肩を落とす。
そんな気持ちのまま、乃愛は今日初めて行く新堂家へ向かっていた。
この日は寒冷前線の影響でかなり冷え込み、風が吹くだけで肌を刺す。
「ううっ、寒い! 心も寒い! でも……懐は暖かくなるから、頑張るんだもん」
学校帰りということもあり、乃愛は制服姿だった。こげ茶色をベースにしたチェック柄のスカートと、紺色のブレザー。当然防寒するために、ブレザーの下にはセーター、その上にコートを羽織っている。
背中まで届く長いストレートの髪が首と背中を暖めるものの、乃愛は寒さで凍えそうだった。どんよりと曇った鉛色の空を見るだけで、さらに寒さが増す。
早く暖房が効いた部屋に入りたい……
その一心で、乃愛は父からもらった地図を頼りに、急いで新堂家へ向かった。
約束の時間までに着いたまでは良かったけど、乃愛は口をポカンと開けて呆然と門の前に突っ立っていた。
「何、この豪邸……」
思わず生唾を呑み込む。
高い塀に囲まれた目の前の家は、里井家の3倍から4倍の大きさもある。
「お父さんの上司って、もしかして凄いお金持ち!?」
父が勤める会社は、全国に支店を持つ大企業というわけではない。関東圏のみに展開しているサロンで、支店は20店舗のみ。
閉店に追い込まれることなく、業績を伸ばしていることは知っているけれど……
(こんな高級住宅地に豪邸を建てられるぐらい、普通の上司ではないってこと? だって、わたしの家とは全然違うもの!)
両手を口元に持っていき、冷たい手にハァ〜と息を吹きかけて暖めようとしたその時だった。
「いつまで人の家を見てるわけ?」
「えっ!」
いきなり声をかけられて、乃愛はハッと我に返った。豪邸に見入っていたので、後ろから近づいてくる人の気配を全く感じ取れなかったのだ。
勢いよく後ろを振り返ると、乃愛と同じぐらいの身長の男子が立っている。端正な顔立ちに、整えた眉毛。人を不審そうに見つめるその鋭い眼差しは、乃愛が逃げ出したくなるほど冷ややかだった。
「見かけない制服……。あんた、誰?」
問いかけられているのに、乃愛は目を大きく見開いて、ただ彼を見つめ返した。
彼は、制服を見事に着崩していた。ブレザーのボタンは全て外し、ネクタイは中途半端な結び方をしている。カッターシャツの裾はズボンから外に出しており、そのズボンは腰の位置よりもかなり下がっている。
(わかった。この子……わたしが家庭教師としてみる叶都くんね!)
そう理解した途端、乃愛は思わず彼から顔を背けた。
(お父さんっ! いったい彼のどこが中坊なのよ! わたしが気軽に叶都くん≠チて気安く呼べるような雰囲気じゃないんですけど!!)
確かに面立ちはまだ若くて、中学生と言えるだろう。
でも、態度や雰囲気を見ていたら高校生で十分通じる。下手したら、乃愛の方が幼く見えるかもしれない。
「ああ、わかった。親父が言っていた俺の家庭教師って、お前?」
その言葉にビクッと躯を震わせると、乃愛は恐る恐る面を上げて叶都へ視線を向けた。
「ふぅ〜ん。お前が……いったい俺に何を教えてくれるのか、見物だな。さあ、家に入るぞ」
叶都はニヤッと思わせぶりな笑みを浮かべると、後ろを振り返ることなく門の中に入って行く。
(嘘! このままわたしを置いていくの!?)
「ま、待って!」
乃愛は、急いで叶都の後を追って敷地内へ入った。
玄関のドアまで続く石畳。綺麗に刈り取られた芝の向こうに、家族でバーベキューができそうなテーブルベンチが目に飛び込んでくる。
(目の前を歩いている叶都が、家族と一緒にバーベキュー? ……ごめん、考えられない)
叶都の背中にそっと謝ると、さらに視線を奥へ向けた。
石造りの小さな池と、そこに続く飛び石が見える。いかにも豪邸の家という雰囲気だった。
「おい! 何してるんだ」
苛立たしそうな声にビクッと躯を震わせると、声がした方向へ恐る恐る視線を向けた。
重厚なドアを支えながら、叶都がこちらを睨んでいる。
「い、今行きます……」
(っていうか、わたしの方が年上なんですけど!)
軽く俯きながら唇を尖らせるものの、すぐに笑顔を顔に張り付け、小走りでドアへ向かった。叶都が先に入るように促すので、側を通るようにして玄関へ入る。
「……わたしの方が年上なのに≠チて?」
「ええ!?」
乃愛は、ピタッと足を止めて叶都に視線を向けた。
心に思ったことを、口にしてしまったのだろうか?
不安を覚えた乃愛に、叶都が一言。
「子供っぽ……」
呆れたように鼻で笑い、すぐに乃愛から離れると靴を脱いだ。
「ほら、そこ……スリッパ。勝手に履いていいから」
そう言うなり、ひとりで勝手にフローリングの廊下を歩いていく。
(何、それ……。どうして、わたしはこんな対応を彼から受けなければいけないの? こっちは、お願いされて仕方なく来たっていうのに! 帰ろう……。あんな人の子守りなんて、ごめんよ!)
踵を返し、勢いのままドアの取っ手に触れる。
『会社の人事にも影響力を持つ新堂さんと縁を持つのは、お前にもいいと思うんだが……』
父の放った言葉が、突然脳裏に蘇る。
「ううっ……」
乃愛の口から、勝手に呻き声が漏れる。
(人事に影響力。そうよ。わたしはそのために来たんでしょ? 納得していたんでしょ? 約四ヶ月、彼が高校の入学式を迎えるまでの間、わたしさえ我慢すれば……)
手にかけていた取っ手からゆっくり離すと、「よし!」と小さな声で自分に喝を入れた。
気持ちを落ち着けてから振り返ると、壁に凭れて腕を組み、乃愛をジッと見つめている叶都の視線とぶつかる。
「帰るのをやめたんだ?」
その言葉に反抗するように、乃愛は顎を突き出して軽く叶都を睨んだ。
「誰も帰るなんて……一言も言ってないんですけど?」
シラを切って靴を脱ぎ、スリッパを履く。こっちの方が大人だとわかるように、ツンと顎を上げることを忘れず、乃愛は叶都と方へ歩き出した。
「おま……え……」
乃愛の態度にビックリしたのか、驚愕したように目を開けるが、すぐに肩を揺らしながら笑いだした。
「最高だよ……。あの子がね……」
「うん? 何?」
何故あの子′トばわりされるのかわからず、乃愛は叶都を横目でジロリと睨みつけた。
「いや、何でもない。さあ、行くか!」
乃愛を案内しようとはせず、再びスタスタと歩いて行く。
(もう! いったい何なのよ!)
地団太を踏んで、いろいろと彼に言いたかった。
でも、天井から降り注ぐシャンデリアの光、壁に掛けられた金縁の額に入った油絵を見ただけで、乃愛は怖じ気づいてしまった。
乃愛は目をキョロキョロさせて周囲を眺めながら、後ろを振り返ろうとはしない叶都の背を追いかける。
二階へ続く階段も通り過ぎ、さらに奥へと続く。
しばらくすると、叶都が一つの部屋のドアに手をかける。
「ただいま……。カテキョが外に立ってた」
『えっ? そうだったの? 早く、お通ししてあげて。今日は、とても寒かったから』
室内にいる叶都の母の声が、乃愛の耳にも届く。
「入れだってさ」
乃愛に視線を向けて言うと、消えるように部屋に入って行った。
(うわっ! ちょっと置いていかないでよ!)
慌てながらコートを脱いで腕に掛けると、すぐに開いたドアの前に立つ。萎縮してしまう前に、乃愛は九十度まで頭を下げた。
「初めまして! わたし、里井乃愛といいます。高校3年です」
「そう、あなたが……里井さんなのね」
「ブァブゥ……」
とても清んだ綺麗な声と共に、聞き慣れない声に思わず小首を傾げる。
その声の正体を確かめるように、乃愛はゆっくり躯を起こした。目の前に広がる光景に、思わず目を見張った。