番外編
side:卓人
皆、絶対騙されてる。
あの一兄の裏にある、本当の正体を……。
目の前で優雅に座る一兄を、俺はひたすら睨み付けていた。
――学校
莉世は、ずっとカリフォルニアにいた。
だから、朝の通勤ラッシュの凄さを知って、毎日驚いてる。
でも、真の裏の面を知ってるわけがない。
……俺が、いつも守っているからだ。わかってるのか?
周囲のおやじや、男子学生……あぁ、あげだしたらキリがない。とりあえず、皆触手を伸ばしてくるのを、俺がガードをしてるんだ。なのに、莉世はちっともわかってない。
…っというか、痴漢って言葉を知ってるんだろうか?
あぁ、絶対わかってない。
莉世の頭の中は、全部一兄で占められている。
何をするにも、何処へ行くにも一兄ばっかりだ!
校門を入ると、中等部と高等部への道が分かれる為、ここで莉世との接点は終わり。
莉世は、一兄のいる校舎へ向かって行く。
俺は、いつもいつも一兄の元へ向かう莉世の背中ばかり見てきた。
それは……もう物心ついた幼稚園の頃からずっと。
教室へ入ると、すぐさま窓際の自席に座る。
俺だって、一兄に負けないぐらいいい男だと思う。
一兄と違って子供っぽいが、クラスメートの女子にだって人気あるし、告白だってされた事もある。
でも、どうしても莉世と比べてしまう。
普通、姉って理想の女性像になるんだろうか?
……だけど、親友・征嗣(せいし)に姉貴の話を聞いても、俺と同じような感情は持っていないようだった。
「姉貴なんてうるさくて、俺はあんな女とは付き合いたいくないな。妹は可愛いけど」
そう言う征嗣は、本当に嫌そうに顔を顰めた。
俺は? ……もし、莉世のような女がいたら……俺好きになるかも。
うわぁぁ、誰が見ても、俺って極度のシスコンだよ。
放課後、莉世はいつも友達と一緒に帰るため、俺も征嗣と帰る。
しかし、ある日……征嗣が委員会に出席の為、一人で帰ろうとしたが、何故か足は高等部の方へ向いてしまった。
この時、行くのを止めれば良かったのに……
薄暗くなった教務棟に足を向けたのは、どうしても一兄と話したかったからだ。
莉世の事を真剣に考えてくれてるのか、それとも遊びのつもりなのか……。
莉世がいない場所で、本当の気持ちを聞き出したかった。
一兄の部屋のドアをノックしたが、誰も出てこなかった。
やっぱり帰ったあとか……、もしかしたら会社に行ってるのかもな。
筒状の教務棟の中央にはソファが置いてあるが、そこには座らずエレベーターのボタンを押してから、何故か外の景色を眺められるテラスへと向かった。
滑らかに開かれたスライド式のドアは、全く音がしなかった。
柵に手を置いて、階下に見える高等部専用の可愛らしい中庭を見ようとした……その時、風に乗って囁く声が聞こえてきた。
しかも、その声は、征嗣の家で見たえっちビデオと同じような甘い声。
突然、俺は躰が緊張して、胸が高鳴り……下腹部に血液が集中していくのがわかった。
興味津々な……血気盛んな健康男子とくれば、これぐらい当たり前。
ゴクリと唾を飲み込み、いったいどんな先生が誰といちゃついてるのか、確かめようと耳をダンボにした。
「ぁ……、っんん、ダメ」
あぁ、なんて可愛い声なんだよ。だんだんズボンが窮屈になってきた。
「ダメ、ココじゃイヤ」
掠れる声に、俺は眉間を寄せた。
ココじゃイヤって……まさか部屋でヤル気かよ。
だけど、男の声は全く聞こえてこない。
男子生徒? 教師? 女は生徒なんだろうか? いや、もしかしたらこっちが教師かも! う〜ん、どういう組み合わせなんだろう?
「はぁぅ……そんな、やめ……ぁっ」
コレって、男が攻めてるって事だよな。あぁ〜いいな、俺も彼女欲しい。だけど、やっぱりビデオと生じゃ……声の質が違うな。ビデオはもちろん欲望を目覚めさせるけど、何か作った声で妙な感じがする。だけど、今聞く声は……本当に切羽詰まった、それでいて身を委ねてるような、柔らかい感じだ。
「っ……ぁっ、ぁっっんふ」
おっ、何か最終局面に向かってる感じだよな?
俺のアソコも、すこぶる元気になってる。
ズボンを押し上げ、ピンと張ってるその格好を見たら、一人残らずその下がどういう状態なのかバレるだろう。
こんな状態じゃ、帰れないよな……トイレで抜くか。
「ぁああ……、もぅだめぇ…イッちゃう……」
やっぱり! あぁ、俺もイキたいけど、もしそんな事になったら大変だ。
我慢、我慢……トイレまで我慢だ。だけど、本当に誰なんだ?
「……ぁふっ……ぁっ、だめぇ……かず、きぃ!」
俺の目が、一瞬……テン。
今、絶対「かずき」って言った。俺が知ってる「かずき」って一兄しかいない。って事は……一兄としてたって事かよ!
相手は、誰なんだ? もしかして、さっきの甘い声の女って、まさか。
「……っく、りせ!」
躰が凍りついた。
その低い抑えた声はまさしく、男の声。
しかも「莉世」って感極まった声で吐き出したような声。
……どう考えても、一兄と莉世がシテたって事じゃないか!
じゃぁ、俺は莉世の甘い声を聞いて興奮してたって事か?
くそっ!
やっぱり一兄と莉世は、そういう関係だったんだ!
確かに、薄々は感じていた。
莉世が転入した当日、一兄のマンションにいた莉世を見た時、もしかしたら既に一兄に食われたかもって思ったさ。
あの時……ピザ食べながらそれらしい事を、一兄が言ったんだからな。
だけど、まさかこんな生々しい声を聞かされるとは、思ってもみなかった。
一兄のやつ……ヤルんなら、ちゃんと窓ぐらい閉めて声が漏れないようにしろよ。俺に聞かれたからまだ良かったが、もし他の奴に聞かれていたらどうするんだ?
音の出ないドアを再び開けると、大声で叫んだ。
「あぁ〜あ、先生の奴何処行ったんだよ!」
これで、窓が開いてたって事に気付くだろう。
しかし、誰が好んで姉のアノ声を聞きたいって思う?
……あぁ、でも可愛かったな、あんな甘い声で一兄に抱きついてるんだ。
そう考えただけで、ため息が出た。
その後、トイレへ向かうのは忘れなかった。
――― その夜。
莉世は、何もなかったかのように振る舞っていた。
ほんの数時間前には一兄に抱かれてたくせに、何でこんなに平然としてられるんだ? あんな声出してたのに……俺の前では普通に接してる。
あぁ……よく「女は魔物」って聞くけど、それ当ってるかも。
だけど……本当にアノ時の莉世の声、可愛かったなぁ。
一兄だけの特権か?
「卓人? どうしたの? 顔真っ赤だよ?」
誰が赤くさせてるんだよ!
「なってない」
あんな場所で、莉世がさせるから悪いんだ。
想像力が豊かな、若き中学生に聞かせるとは……っとに。
一兄も、少しは我慢しろっていうんだ……いい大人なんだからさ!
――そして、今
俺の前で、優雅に座り……親父やおふくろの言葉に、にこやかに相槌をうつ一兄。その隣には、嬉しいそうに座る莉世。
……ちっくしょう、もう公認の仲じゃないか。
知ってるんだろうか? 莉世が、一貴の手練手管に翻弄されて……もう既に飼い馴らされてるって事を。
いや、多分知らないだろう。
もしかしたら、莉世がまだバージンだと思ってるかも知れない。何せ、一兄の今の顔には欲望というカケラも見えないんだからな。そう、まるでセックスに関しては淡泊だと見せかけている。
俺は、絶対騙されないぞ。
一兄は、莉世をめちゃめちゃに求めて抱いたんだからな。アノ時の莉世の言葉を聞いた俺だから……わかるんだ。
皆、何で騙されるんだよ。
あの一兄の裏にある、本当の正体を見極めるんだ。
もし、一兄が莉世と二人きりになったら……絶対押し倒してる。一兄は莉世に溺れてるんだから。
……えっ? お、溺れてる??
溺れてるって、何故俺はそう思うんだ?
混乱するまま立ち上がり、キッチンへ入ると、アップルサイダーを取り出した。
莉世が好むようになったジュース……いつの間にか、俺も好きになってた。
コップに入れて振り返った時、一兄が流しに凭れて通り道を塞いでいた。
「そんなに俺を睨むなよ」
口角を上げて微笑む一兄を見て、俺はイライラしてきた。
騙されるな……俺は騙されないぞ。
「そこ退いて欲しいんだけど」
「お前……可愛くないな。せっかく俺がお礼を言おうとしてきたのに」
一兄が、俺にお礼? おいおい、空から雹が振ってくるんじゃないか? いや、槍が振ってきてもおかしくない。
それを実証するように、小窓から空を眺めた。
「ったく、本当にお前は」
おかしそうに笑うその声を聞いて、振り返った。
「あの時のお礼言ってなかったよな」
だから、いつのお礼だって言うんだよ。
俺は、お礼を言われるような事はしてないぞ?
「まだわからないのか? ……お前が教務棟で大声で言ってくれなかったら、窓を開けたままで2回戦に突入していた」
教務棟? 2回戦? それって、ま、まさか……。
「俺が気付いてないと思ったか? 俺は卓人の声もよくわかってるつもりだ。もちろん、咄嗟にはわからなかったが……まぁ、あの時、全神経は莉世だけに向かってたからな」
ニヤリと笑う一兄を見て、俺は顔を真っ赤にした。
一兄は堂々と莉世を抱いてるって、俺に宣言してる。そして、俺がその事で赤面するのを承知で、俺を苛めてやがる! くそっ。
「遊びで終わらしたら承知しないからな」
「それは……お前から許しを貰えたと思っていいんだな?」
得意気に言う一兄に、俺は腹が立ってきた。
まるで弄ばれてるように感じるのは俺だけか?
「さてと、卓人のお許しも貰えた事だし……卓也おじさんにも許しをいただくか……莉世との外泊許可を、な」
が、外泊許可?
って、それは……つまりお泊りって事で……ヤルぞって事か?
気付いた時には、一兄は既にいなかった。
あぁ、駄目だ。
やっと莉世が一兄に食われてるっていう事実を受け止めるようになったのに、外泊だと? 俺が許さない……絶対断固反対だ!
リビングのソファに座る皆の所へ急いだ。
……俺も、本気で好きな女見つけよう。いつまでもシスコンでなんか、いられない……。でも、やっぱり莉世の事は心配なんだよな。
これって、離れて暮らしてたからか?
もし一緒に暮らして生活していたら、きっと征嗣のように言ってただろうな。
「姉貴なんか、うざったい」……って。
……俺に、シスコン離れが出来るんだろうか?
卓人は、その答えの出ない問いに、肩を落とすことしか出来なかった。