初恋って、誰でも覚えてるものだよね? わたしもそう。初めて恋をした時は、思春期真っ盛りの十三歳だった。
自分でも遅い初恋だとわかってはいたけど、側にはとても頼りになる兄がいたし、お調子者だけど優しい兄の友人もいたから……特に他の男子が気になるという事はなかった。
しかも、女子たちと遊ぶより兄の後ろを追いかける方が好きだった。だから、異性に興味を抱くという事も、よくわからなかった。
でも、男のように走り回って遊んではいても、いつしか女心が芽生えるっていうのは、ホントの事。
まさしく、わたしがそうだったから。
初恋は初恋として終わらせるべきだと……以前ティーン雑誌の専属モデルをしていた時に、インタビューで一度答えた事がある。
それなのにわたし……
裏切られたというか、笑われた反動で他の男とも付き合った。大人になりたくて早く処女も捨てた。それなのに……心は未だアイツの事を想ってる。
アイツ……兄の友人でもあり私の友人でもあった、五つ年上の凄腕カメラマン
* * * * *
珠里は、反発する為だけに吸い始めたメンソールのたばこを一本取り出すと火を点けた。吸わずにはいられなかった。
仕事の合間に、実家へ顔を出したまでは良かった。寛ごうとリビングルームのソファに座ったら、見たくもないアレが目に入った。
陽一に恋をするきっかけとなった……サボテンが。
「珠里嬢ちゃま、そろそろたばこはお止めになったら?」
珠里が生まれた頃から家政婦として働く
既に白髪で腰も少し曲がってるが、彼女は阿久津家で現役として働いていた。
「和津さん、この一本だけだから許して」
相手の心を蕩けさすような得意のスマイルを向けて、和津からコーヒーを受け取る。
「いつもそんな事を仰しゃるんですから。珠里嬢ちゃまも、もう二十二歳。お子を身籠るそのお躯を、
珠里は、和津が煙を吸わないよう顔を背けて吐いた。
「……わたし、結婚なんてしないから」
「またそれですか? そろそろ大人になって下さらなければね」
和津が頭を振りながら退出したので、珠里は肩から力を抜いてため息をついた。
結婚なんて……出来るわけない。好きでもない人と一生添い遂げるなんて、無理に決まってるでしょ?
苦い思いが蘇ってくるのを感じながらも、珠里は再びサボテンを見つめた。
思いが過去へと遡ると、珠里の口角は寂しそうに下がる。その瞳には、今でも癒えぬ哀しみが宿っていた。
あれは、中学一年になった頃だった。
兄と同じ学院にエスカレーターで入学し、新しい制服に身を包んだ珠里は少し大人びて見えた。
すらりと伸びる手足の所為なのかどうかはわからないが、短いスカートから覗く生足に視線を向けてくるのは、同級生だけでなく上級生もいた。
でも、珠里にとってそんなものは意味もなかった。男も女も同じだったから。
この時、既に兄たちは高校三年だったが、珠里は屈託なく彼らの後ろを追いかけていた。
そんなある日、突然……恋という花が咲いた。阿久津家に遊びに来た陽一を含めた三人で、一緒にお茶をしていた時だった。
兄に電話がかかってきたので、陽一と珠里は庭に残された。二人は立ち上がると、庭を歩き出した。
「どうだ? 友達は出来たか?」
陽一は、いつもと変わらぬ優しさで珠里に接した。
「う〜ん、まぁまぁね」
珠里も、いつもと変わらない受け答えをしながら、陽一の側へ近寄った。
「……いい
「えー? そんなのいないよ! そういうのって、良くわからないんだよね」
「そっか」
笑いを含んだその声に、珠里は何でそんな事を訊くのだろうと不思議に思った。
だが、別に深く考えないまま、珠里は言葉を続けた。
「でもさ、わたしの事を全く知らないのに、何でラブレターとか出すんだろうね? クラスメートならいざ知らず、面識のない先輩とかもなんだから!」
「えっ!? ……そいつはいったい誰だ? 俺の知ってるヤツか? おい、珠里!」
陽一の慌てた態度を少し訝しく思いながら、珠里は探るように目を細めた。
「えっ? 知らないんじゃない? わたしだって、よく知らないんだから」
「珠里」
その強い声に、珠里はビクッとした。
何をそんなにムキになってるの? 何でそんな事を聞きたがるの?
今まで見た事のない陽一の姿に、珠里は思わず身を退くように足を後ろに下げた。
心のどこかで、焦っていたのだろう。体重移動に失敗し、段差のある飛び石の一つで、足首を捻ってしまった。
「痛ッ、っあ!」
「珠里!?」
陽一がすぐに手を伸ばしてくれたが間に合わず、珠里は体勢を整えられないまま手から転けてしまった。
「っつぅ……」
珠里は、突然襲った痛みに顔を顰めた。
「大丈夫か!?」
陽一が膝をついて、珠里の腕を掴む。
「だ、大丈夫……」
だが、右手の掌に大きな棘が一つ刺さっていた。しかも、皮膚が裂けたせいで血も滲んでいる。まさに、珠里の皮膚が裂けた時に、運悪くサボテンの棘が折れて刺さったという感じだろう。
「っ……ぁ、最悪」
珠里は、自分の失態に悪態をついた。
「ジッとして!」
そう言うと、陽一は短い爪で棘を挟むと抜いた。
そして、あろう事か……珠里の手をしっかり握って傷口に唇を押さえつけた。
「なっ、陽一!」
咄嗟に手を自分の方へ引き寄せたが、陽一の力には敵わなかった。
珠里は、傍目にもわかるぐらい顔を真っ赤にさせた。圧倒的な力の差を見せつけられて、初めて男と女という性を意識してしまったからだ。
そして、温かく柔らかい陽一の舌の感触が、思わず珠里の神経を逆撫でた。同時に突然ガクガクと足が震えて力が入らなくなり、腰が抜けそうになった。
「や、やめっ!」
珠里は、瞼をギュッと閉じた。閉じると同時に、心臓が激しくドキドキと高鳴ってる事に気付いた。
まるで、耳元でドラムを鳴らされてるように耳の奥までが痛い。
そんな珠里にはお構いなしに、陽一は血を吸い出しては地面に吐き出した。
「毒はないから大丈夫だと思うが……、早く家に入って和津さんに消毒してもらおう。珠里、立って……珠里?」
珠里は、パッと目を開いて陽一と視線を合わせた。
瞬間、陽一の瞳孔が少し開いた。まるで、驚いたかのように。
(わたし……顔真っ赤になってる、きっと! ヤダ、何で? ……いや、イヤだ!)
珠里は、陽一から身を退くと家へ向かって走り出した。足首が少し痛んだが、それよりも早く陽一の側から離れたかった。