『引き寄せられた、出会い』【2】

 豪奢な衣を纏い、輝く宝石を身に付けた自分の姿を、鏡で見つめた。
 そこには、わたしではない……妖艶な女性がわたしを見つめ返す。
 奥歯をギュッと噛み締め、戦慄く唇の震えを止めようと必死になった。
 でも、見れば見るほどその乙女は官能的で……まさに男に捧げられる供物のようだ。
 でも、それが真実だった。
 
 わたしは、まさに男たちに捧げられる供物なんだわ。
 
 
 着せられた衣は、ルーガルの物とは異なる。
 胸の下の部分を紐でギュッと締め、乳房を押し上げて強調させる。
 膨らみは半分しか布地に覆われてなく……その薄い布は、躰の丸みを十分に引き出すような、柔らかな素材だった。
 肩は露で、袖は襞をたっぷりとった同様の布地が覆う。
  まさしく、男の欲望を煽る為だけの……衣装。
 イヤリングとネックレスは……瞳と同じ色を持つ、一粒のエメラルド 。
 質素ではあるが、見事に調和が取れ、そのコントラストが初々しさをかもし出し、シーアが女だと……自分が商品である事を再認識させられた。
 シーアは、逃れるように鏡から目を逸らすと身を翻し、乙女たちの輪から抜けだした。
 皆が皆目を輝かせ、うっとりと自分の姿に見惚れていた。
 そういう乙女たちを見ても、シーアには恐怖としてしか映らなかった。
 
 
 侍女たちは、せっせと動き回り、乙女たちは自分の姿に酔っている。
 ふと、今なら逃げられると思った。
 誰も……誰もわたしを見てはいない!
 外を見ると、既に暗闇で、隣接する豪華な建物には篝火が燃えている。
 そこが、舞台となる……競り場だろう。
 黒い人影が、その建物にどんどん消えて行く。
 もう、一刻の猶予もない。
 男子禁制のここには、ラモンはいない……彼がいなければ逃げ切れる。
 シーアは部屋にいる女性全てに注意しながら、入り口の大きなカーテンに身を滑らせ、その部屋から抜け出した。
 
 柔らかな履物は、見事に足音を消してくれた。
 周囲を見回し、侍女が前から歩いてくれば、サッと身を潜める。
 心臓が激しく高鳴り、首尾上々に逃げ切れるかも知れないと思うと、笑みさえ零れてきた。
 そんな姿を誰かに見られてるとは気付かずに、シーアは裾を持ち上げて回廊を走っていた。
 
 
* * * * *
 
 反対にある、暗闇の建物からその光景を見ていたラモンは、篝火の光を全身に浴び、見事に浮かび上がる美女……ローレルを見て、思わず呻きそうになった。
 まだ、逃げようとするのか?! あれほど、俺が忠告をしたのに。
「……あの走り抜ける美女が、お前が言ってた乙女か?」
 バリトンを利かせたその声に、ラモンはビクッとなった。
「御意」
 そう呟きながら、視線はローレルを追う。
 あの衣を着たローレルの美しさから、目を離せなかった。
 それは、隣にいる……主君も同様だとわかった。
 豊満ではないが、形のいい乳房を揺らし、気品のある身のこなしで疾走するローレル。
 ましてや、その下にあるモノを……陽のあたる場所で見て知ってるだけに、どれほどローレルが素晴らしく魅力的な乙女かわかっていた……お転婆でなければもっと良かったんだが。
 
「……ギル、了解した」
 ギルこと、ギルバード・ラモン=コンサーは、頭を下げた。
 主君が、ローレルを気に入るのは初めからわかっていた。
 こうして、了解して欲しかった筈なのに……ローレルが主君のモノになると決まった今、何故か胸が痛い。
 しかし、その胸の痛みが何を意味するのか、その理由を深く探ろうとは思わなかった。
 
* * * * *
 
 
 大丈夫……、このまま逃げ切れるわ! 
 荒い息を肩でしながら、シーアは周囲に目を向けた。
 出口には、門衛らしき人物がたった二人。しかし、いくら何でも正面から逃げ切れないとわかっていた。
 何処かに、使用人専用の出入り口がある筈。
 石畳の上を一気に走り抜けると、塀に身を寄せた。しかし、何処にも扉は見つからない。
 どうなってるのよ!
 焦りが神経をどんどん麻痺させていき、人が忍び寄ってきているのも気付かなかった。
 
「シーアローレル、おやめなさい」
 突然暗闇に声が響き、シーアはビクッと躰を震わせた。
 しかし、声を発した人物が誰なのか、すぐにわかった。
 聞き覚えのある声、本当の名を知ってるその人物……、彼女が誰かなんて、聞かずともわかる。
「シャノン・リー……」
 シーアがゆっくり振り返ると、見事に髪を結ってくれた彼女が、ランプを持って立ち尽くしていた。
「逃げる事は、許されていません。あなたがこの館へ足を踏み入れた時に、あなたの運命は……もう決まっているのです。その宝石や衣も……いわば投資のようなもの。あなたがそのままで逃げれば、盗人の罪をきせられる事ぐらい、わかっておいででしょう?」
 なら、わたしを捕えたガシュールこそ、罪を償わなければいけないんじゃないの?
 シーアは怒りが込み上げてきそうになったが、グッと堪えた。
 
「開始時間が早まりました。シーアローレル……あなたは運がいいわ。今日お見えになった方々のお名前を伺って、わたしもどんなに驚いたか……。さぁ、行きましょう」
 シャノン・リーは、シーアの腕を取ると、歩き出した。
 人気のなかったこの場から、奥にある明るい部屋の方へと、向かう。
「シャノン・リー! お願い! わたしは、売られたくないの。わたしは連れ去られたのよ」
 恐怖に目を引き攣らせたシーアの目を、シャノン・リー全てを見通すような目で見つめ返した。
「仕方のない事です。あなたを連れてきた人には、もう手付金が渡されてるんですよ。その時点で……シーアローレル、」
「ローレルと呼んで」
 正式の名を連呼され、シーアは堪らなくなった。
 どうしても、幸せだったルーガルを思い出してしまうからだ。
 そんなシーアに、シャノン・リーは呆れたように吐息を漏らす。
「…あなたは売られるのが決まってるのです。いくら、嫌でも……こればかりは、どうにもなりません」
 シャノン・リーは突然目を逸らせると、ある小部屋へ入った。
 そこには、今日売られる乙女たちが椅子に座ってた。
 そして、奥にある赤いビロードのカーテンの向こうからは、ざわざわとした音が響いてくる。
 
「一人ずつ、あのカーテンの向こうに入っていくんです。……いいですね、ローレル、決して逆らってはいけませんよ。それがあなたの、これからの行く末が決まるんですからね」
 シーアは俯いた。
 わたしの行く末? それは……地獄だわ。辛くて、堪えがたい事を強要され……わたしの全ては壊れていく。
 あぁ父さま母さま……わたし、いったいどうしたらいいの?
 シーアは手を握り締め、胸の前まであげると、祈りを捧げた。
 
 その時、あの赤いカーテンの奥で、ドラが鳴り響いた。
 始まりの鐘の音だった。

2004/01/08
  

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