『Eternal Star 〜わたしを見て〜』【後編】

 思いに囚われていた為、閉じた瞼から涙が流れているのを、千佳は全く気付かなかった。
 
 急に、躰の上にある愛しい重みがなくなった。
 我に返った千佳が目を開けると、怒りに満ちた優貴の顔があった。
「俺に触れられて、嫌だと泣いてるのか? 抱かれてるのが、兄貴じゃなく、俺だとやっとわかって泣いてるのか?」 その問いに、千佳はビクッとなった。
 優貴に抱かれながら、御曹司を思うなんて……そんな事絶対してないのに、どうして?
 優貴は、まだ満たされないままの状態で、躰を起こした。
 そのせいで、貧弱な千佳の躰も露になった。
 恥ずかしさから、千佳はシーツを手元に引き寄せようとしたが、優貴が腕を掴み、それを押し止めた。
 怒りからか、千佳の細い手首を、優貴が強く締め上げる。
「俺バカだったよ! 千佳が、いつかは兄貴への想いを捨て、俺を……愛してくれるんじゃないかってずっと思ってた。だが、無理な話だったんだな」
 優貴は、握り締めていた千佳の手首を、乱暴に離した。
「俺に抱かれてる限りは、必ず俺を愛してくれるようになる……そう思ってた」
 千佳は、握り締められた手首が痛くて赤くなってるのに、それを無視して優貴の言葉に聞き入った。
「でも、間違ってた。お前は俺より、兄貴を愛してるんだ。それを変えさせる事が出来ると思った俺が……バカだったよ」
 立ち上がりかけた優貴を、千佳は彼の腕を掴んだ。
「待って、優貴!」
 優貴は顔を背けたまま、こちらを向こうとしない。
 でも、鏡張りの壁で、優貴の顔が見える。
 その顔を見ながら、千佳は震える声を出した。
「どうして、そんな事言うの? わたし、優貴に抱かれて嫌だなんて言った事ない。……初めての時……処女を奪われた時だって、わたし何も言わなかったじゃない」
「俺を……兄貴の代わりにしたんだろ」
 歯を食いしばったその声は、千佳を揺さぶるほど掠れていた。
「優貴は……わたしをそんな女だと思いながら、ずっと抱いていたの?」
 苦しい胸の内を明かすように、とうとう千佳は声を振り絞った。
「どうして……わたしが、優貴を愛してるから……抱かれてるって、思ってくれなかったの?」
 優貴はビックリしたように、勢いよく振り返ると、頬が濡れてる千佳を真剣に見つめた。
「俺を……愛してる?」
「そうよ! こんなに愛してるのに……だからこうしてホテルにも行くのに」
 優貴は、千佳の頬を両手で覆った。
「本当に、俺を……愛してるのか?」
 千佳は不安な目で、優貴を見つめた。
「愛してるわ」
 震える声で言うと、優貴は千佳を思い切り抱きしめた。
「いつから? いつから俺を愛しはじめた?」
 激しく打つ優貴の心臓の鼓動を躰に感じながら、千佳は安堵の吐息をついた。
「いつから……なんてわからない。でも、優貴に初めて抱かれた時は、もう愛してた」
 優貴の躰が、ブルッと震えるのがわかった。
「どうして、早く言わなかった? もっと早く言ってくれれば、俺は」
 どうして言えるというのだろう?
 こんなに自分に自信がないのに……。
 千佳は思い切って躰を離し、裸体が優貴に見えるようにした。
「見て? ……わたしは魅力的な肉体を持っていない。ガリガリで胸も大きくない。顔も平凡で美人でもなければ、可愛くもない。家だって、すごく貧しい……何故こんなわたしを優貴が求めてくるのかわからないの」
 優貴は、千佳の頭を支えながら引き寄せると、優しく甘いキスをした。
「……そういう理由で、俺は女を好きにならなければいけないのか? 心は関係ないのか? 目に見える美しさは、見えない美しさに劣るとでもいうのか? 俺には、それを見極める目を持っていないとでも?」
「だって」
 優貴は、千佳の零れそうな涙を、唇で受け止めた。
「俺を見くびるな。……どうしてわざわざ俺が会社の子に手を出すんだ? 公になれば、めんどうになる相手を。遊びでだって、会社の子に手を出そうとは思わないよ。俺は、お前を愛してるから……」
 いつも、好きだとは言われていた。
 彼に処女を奪われるまでは。
 それ以降、一度も言ってくれなかった言葉が、ついに愛してるという言葉に変わったのだ。
 嬉しくて嬉しくて……涙が溢れそうだった。
「優貴」
 千佳は、歯を食いしばって、涙を隠すように抱きついた。
 躰に触れる千佳の長い髪が、優貴の躰をくすぐった。
「お前……自分を卑下しすぎた」
 千佳は、優貴の言葉に笑いが込み上げてきた。
「そう言ってくれるのは、優貴だけよ」
「……さぁ、どうかな」
 そう言うと、優貴は千佳をベッドに押し倒した。
 その勢いで、千佳は涙を堪え切れなかった。
「えっ? もう1回?」
 目尻から流れ落ちる涙を、優貴の唇が受け止めた。
「あぁ、……もう1回だ」
 二人は、初めて想いが通じ合った悦びを激しくぶつけあい、今まで感じなかった陶酔感を手に入れた。
 
 
 荒い息と、心地良い気怠さが部屋に充満し、二人だけの幸せな時間が、静かに流れていた。
「千佳……お前には言わなかったが、兄貴に恋をしても無駄だったぞ」
 幸せな気分なのに、優貴はまたも御曹司の名を出した。
「わたしは、御曹司には恋して、(なかった)」
 最後まで言おうとしたのに、優貴がキスで腫れ上がった唇に舌を這わした為、言葉が出なかった。
「兄貴はどこか冷静で、見えない壁でガードしてるんだ。それは、もう何年も前からずっとだった。俺はそんな兄貴をずっと見てきたんだ。だから、兄貴の性格上、自分のテリトリーの女には、絶対手を出す筈がないってわかってた……会社の女はもちろんの事、職場の…子は特に問題外だって事をな」
「でも、優貴もそうだった」
 冷静に、千佳は声を発した。
「あぁ、そうだったな。だが恋をすれば変わる……俺みたいにな。兄貴もあの女性の事を忘れて、早く恋人を作ればいいんだ」
 千佳は躰を起こし、優貴の目を見つめた。
「あの、女性?」
「あぁ、高校時代から付き合ってた彼女。何があったのか、俺にはわからないが……本当にお似合いだったんだ」
 優貴は、上から覗き込む千佳の首に手をまわすと、胸板に引き寄せた。
「でも、いい。今考えるのは千佳の事だけで、十分だ」
 千佳は幸福を味わいながら、温かい優貴の胸板に、頬をつけた。
 
 もう御曹司は、わたしたちの間に座っていない。
 今までだって空席だったのに、その椅子を避けるだけで、退けようとしなかった。
 まるで……北の空に光り輝く北極星を中心にして動く、あの星々のように。
 でも、優貴はやっとその椅子が、ただの椅子だと知ってくれた。
 真正面から、わたしを見てくれたのだ……本当のわたしを。
 千佳は、溢れそうな愛で胸がいっぱいになった。
 だけど……まだ、彼の立場というものがあるから、いろいろあるだろうという事もわかっていた。
 例えば、いつの日か……優貴を手に入れる裕福な女性が現れるという事も。
 あなたを手放したくない、他の女性を愛するところなんて、見たくはない!
 だけど……あなたにとって、わたしは不釣り合いだってわかってるの。
 だから……あなたが裕福な女性を妻にするまで、ずっと愛し続けさせて。
 そしてお願い!
 その日まで……どうか、わたしだけを愛していて。
 
 千佳は、ゆっくり目を開けて、愛情に満ちた目で優貴を見た。
 そして、ゆっくり誘うように、優貴の腰に足を絡ませた。
 優貴の目が、欲望で輝くのを見て、千佳はうっとりとなった。
「愛してるわ……優貴、あなただけを」

 二人が、このまま休憩から延長して……宿泊したのは、当然のなりゆきだった。

2003/04/22【完】
  

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