『初桜に愛舞い降りて〜宿世の契り〜』【35】

 泰成は肩で息をし、局を見回す。
 しゃがみ込む千珠とその躯を支える小牧を見て、泰成が目をカッと見開いた。
「……父上。千珠に何を、いったいどのような言葉を投げつけたのです!」
「ここから出ていけと告げたのだ。そなたのためを思い――」
「私のため!? いつ私が、父上にそのようなことを頼みましたか? しかも私の意に染まぬ真似をされている。これのどこが私のためです!」
「父のしている理由がわからぬのであれば、そなたはまだまだだな。だから、ややも授からぬのだ!」
 中納言は泰成に詰め寄ろうとしたが、考え直したのか、直前で踵を返し局を出ていく。
 局に静寂が戻るなり、泰成が千珠の元へ駆け寄ってきた。
「千珠! どうした?」
 泰成が膝をつき、千珠を支えようと両手を差し伸べる。でも、千珠はそれを拒んだ。
「わたしは大丈夫だから、お父さまのあとを追って。わたしのことでかなり怒っていたから。礼儀作法のなっていないわたしも悪いんだけど。お願い、お父さまと仲直りして」
「だが――」
 戸惑いも露わに、泰成が眉間に皺を刻ませる。そんな彼に、千珠は小さく頭を振った。
「今日は宿直なのでしょう? その前に、きちんと話をした方がいいと思う」
 泰成はどうしようかと思案する様子を見せるが、小牧に視線を向けて「千珠を頼む」と告げた。
「すぐに戻ってくる。待っていてくれ……」
 千珠が頷くと、泰成は中納言のあとを追うため、小走りで局を出ていった。
「これで良かったのですか? だって千珠さまは――」
「大丈夫。わたしのことで泰成さまの手を煩わせたくないし」
 そこまで言った時、また鈴の音が聞こえてきた。
 
 リン、リリン……
 
 綺麗な鈴の音なのに、何故か頭が割れるように痛い。
「うっ!」
 あまりの痛みに、千珠はたまらず両手で頭を抱え込んだ。
「千珠さま!? 大丈夫ですか!」
 小牧にも泰成にも言っていなかったが、鈴の音はだんだん大きくなっている。
 
 怖い……! まるで、得体の知れないものが傍へ近寄ってきそうな、そんな感じが……
 
 その瞬間、大きな鈴の音が耳の傍で鳴り響いた。
「きゃああぁぁーーー!!」
 あまりの大きな音に脳が痺れ、意識が軽く薄れる。でもすぐに周囲のざわめきが耳に届き、視界も良好になる。
 なのに、どこかがおかしい。周囲の景色が勝手に後ろへ流れていく。
 
 何故? ……何故!?
 
「千珠さま? ……どちらへ行かれるのですか? 千珠さま!」
 千珠の意識ははっきりしているのに、勝手に躯が動く。
 まるで、何者かに躯を乗っ取られたような気分だった。
 やめて、勝手に操らないで! ――そう口に出して叫びたいのに、喉の奥で声が詰まって出てこない。
「千珠さま! ああ、どうしましょう! こ、小菊! 泰成さまをお呼びして! 早く!」
 焦る小牧の声が聞こえるのに、千珠は彼女に声をかけることさえできなかった。
 何かに操られながら千珠は孫廂から透渡殿を通り、東の対宮から主殿に向かって歩いていた。
 千珠を導く鈴の音が鳴り響く。
 こちらへ、こちらへと招く女性の幻聴まで聞こえてきた。
 
 イヤよ。助けて……、そっちには行きたくない!
 
 夢遊病者のように、千珠は主殿の孫廂からすのこ縁へと進む。
 そこには千珠の顔を知らない、綺麗な女房たちがいた。線湯を見るなりギョッとし奇妙な目を向けてくる。
 このままでは泰成に迷惑をかけてしまう。
 それがわかっているのに、千珠の頬の筋肉はピクリともせず、唇も硬直して動かなかった。
 
 ああ、これはいったいどうなってるのだろう!
 
 その時、千珠の視界に空を舞うピンク色の花びらが目に入った。
 もしかして、あの桜≠フ花びら?
 瞬間、心臓が早鐘を打ち始める。
 桜の花びらが舞う場所へと導く鈴の音。そして再び聞こえる、今度は男性の言葉。
 
初桜よ、燃ゆる思ひを今宿世の契りに我の血――
 
 意味がわからない。わからないのに、何故か胸を締めつけられる。
 切なくて、苦しくて、心が震えるのに、恋しい感情まで込み上げて涙があふれてきた。
 
 これは誰の感情なの? 誰!? ……いったい誰がいるのよ!
 
 心の中で叫ぶがその答えは返ってこない。
 そうこうしている間も、千珠の足はすのこ縁にかけられた階を下りていた。
 その足は、正面にある庭園へと向いていている。
「せ、千珠さま! ああ、どうかおやめくださいませ!」
 千珠の袖を掴んで、必死に動きを止めようとする小牧。
 でも、神力としか言いようがないエネルギーに、千珠の歩みは止まらなかった。
 素足が土を踏む。ひんやりとした感触が躯に伝わると同時に、今ではリズミカルに鈴の音が鳴り響いていた。
「こ、これは……ああ! こ、小牧にも……鈴の音が。なんてこと!」
 千珠の視界に広がる、桜の大樹。風も吹いていないのに、両腕を広げたような枝が、ざわざわと揺れ動いている。
 こちらへ来いと誘う動きを目にした途端、千珠の唇が震え始めた。
「……っ、い、イヤ……や、やめっ」
 千珠の声が零れる。それは、恐怖に震えていた。
「千珠さま!?」
 桜に近づくたびに、あの耳鳴りが千珠を襲う。この世界へタイムスリップした時に耳にしたあのあの音が!
 桜の幹まであと10メートル、8メートル……5メートルと近づくと、千珠の目から涙が零れた。
 この瞬間、わかった。
 
 もう二度と泰成とは笑い合えないと……

2017/01/05
  

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