『初桜に愛舞い降りて〜宿世の契り〜』【23】

 彼のハッと鋭く息を呑む音が耳に届いた。
 その音に、千珠の口元が自然とほころぶ。
 でもその時、突然人影は千珠に向かって突進した。勢いを緩めない彼に、千珠は強く押し倒される。
「……い、痛っ!」
 後頭部をしたたかにぶつけて、思わず声が出てしまう。
 泰成の性急さ、強引さにびっくりするものの、千珠はクスッと笑みを漏らした。
 数日前、泰成が千珠の上に倒れ込んだのを思い出したからだ。
「そんなに焦らなくてもいいのに。わたしは、もう泰成さまの……っあ、んぅっ!」
 千珠の言葉を聞こうとはせず、泰成が強く抱きしめ、激しい口づけをしてきた。
 びっくりしたもののそれを受け入れ、両腕を広げて彼を包み込むようにして抱きしめる。
 
 ……あれ?
 
 ここ数日、ずっと泰成に抱かれていたからだろうか。
 彼の背に両腕を回した途端、頭を傾げるものがあった。昨夜の彼とは、どことなく違う。でも、何が違うのかわからない。
 顔を傾けて千珠の唇を求める動きは似ているが、やはり切羽詰まったみたいにせわしない。息遣いも荒く、まるで犯されている錯覚に陥りそうになる。
 初めて泰成に抱かれて以降、確かに千珠を求める彼の想いは強い。
 それは知っているが、ここまで一方的に力ずくで攻め、愛を交わそうとしたことは今まで一度もない。
 何故今夜に限って、泰成はこんな求め方をするのだろう。
 必死に考えるものの、千珠の頬を撫でる熱い吐息、口腔に差し入れられた舌に、どんどん頭の中がボーッとなってきた。
 泰成の愛撫に翻弄されて、上手く考えがまとまらない。
 
 でも考えなければ……。何かがおかしいと思うなら絶対に!
 
 小袖の上から千珠の躯をまさぐる手。それが千珠の乳房を包み込む。
 揉みしだかれ、硬くなった乳首を強く弾かれて、千珠の躯がビクッと跳ねた。
 でもそれで、ぼんやりと遠くなった意識が手元に戻ってきた。
 こんな愛撫、泰成にされたことがない。
 泰成のキスを逃れると、千珠は彼の肩を強く押し返した。
「ま、待って……」
「いや、待たない」
 耳元で囁かれた千珠は、一瞬にして躯を強張らせた。
 
 この声、泰成ではない!!
 
「は、離して! だ、誰か、こ、こま……っんんん!」
 乱暴な手つきで口を覆われた。そのせいで、籠もった声しか出てこない。
 恐怖で上手く手足が動かないが、必死にもがいて押しのけようとした。
 でも体重をかけられて躯を押さえつけられているせいで、どうしても逃げられない。
 焦って息が上がるが、千珠はなんとか目を凝らして、間近に迫る男性を睨みつける。
 その時、御簾の隙間から射し込んできた月光が男性の横顔を照らした。
 千珠の躯を力で抑え込む男の顔、こちらを見る瞳を目にして、千珠はハッと息を呑んだ。
 
 どうして? ……何故、彼がここに!?
 
 そこにいたのは、泰成の友人と言っていた敦家本人だった。
 ふたりの目が合ったのが、彼にもわかったのだろう。
 敦家は目を細め、キスで艶やかに光る唇をかすかに開いて頬を緩めた。
「泰成が姫を傍に置きたいという気持ちがやっとわかった。この芳しい香り、嗅いでいるだけでクラクラしそうだ。それに、奔放に手を差し伸べ……男心をくすぐる仕草をしてくる」
 そんなのしていないってば! ――と目で訴えても、敦家は自分に酔っているのか、目を爛々と輝かせて千珠を見下ろしている。
「姫……、泰成をその柔らかな躯で受け止めたように、私を招き入れてくれ。姫の温もりに包まれたい。ああ、こんな風に女人を愛おしく思うなど久しぶりだ。そなたを……私のものにしたい」
 敦家の言葉で、千珠の緊張がさらに増した。
 千珠が泰成のものになったと知っているのに、どうしてこんな行動に出られるのだろう。
 しかも泰成とは友人なのに、その友人と関係を持っている千珠に襲いかかるなんて、この人、頭がおかしすぎる。
 千珠の口を覆う彼の手に手をかけ、そこに爪を立てた。
「うわっ!」
 驚いた敦家の手が離れる。
 ホッしたが、すぐに彼の手で肩を押さえつけられてしまって身動きできなくなった。
 
 このままでは、敦家にレイプされるかもしれない……!
 
 恐怖を抱きつつも、千珠は敦家を睨んで震える口を開いた。
「こ……こんなの、ま、間違ってるわ」
 声が震える。
 でもこういう女性を目の当たりにすることに慣れているのか、敦家は一切動じない。それどころか楽しそうに微笑む。
 まるで女性を落とすゲームを楽しんでいるみたいだ。
 それが怖かった。
 ゲームとなれば、相手を傷つけるなんてさほど気にはしない。自分の欲求だけしか考えない男性を、千珠は見たことがある。
 千珠は恐怖を堪えつつ、必死に頭の中で考え始めた。
 どうやってここから逃げ出し、局にいる小牧に助けをもとればいいのかを。
 そんな千珠に、敦家が顔を近づけてきた。
「どこか間違っているのだろうか? 私は姫に興味を抱き、手に入れたいと思った。目当ての女性と言葉を交わせば、あとは忍び込みこの手にかけるだけ」
 千珠は敦家を正座させて、その考え自体が間違っていると説教したい気分になった。
 だが源氏物語の世界でも、友人のお手つき女性に興味を持つ男性がいたとふと思い出す。
 
 つまり、これは日常茶飯事? 千珠がいくら説き伏せようとしても、理解してもらえない?
 
 改めてこの状況を把握するにつれて、千珠の躯が徐々に震え始める。
 寒くないのに、躯の芯がどんどん冷えて震えが止まらなくなっていた。

2015/04/12
  

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