『モノクロの世界』

 おかしい……。何かがおかしい。
 
 菜乃が健介の態度がどこかおかしいと気付いたのは、ドタキャンされたデートから数日経った時の事だった。
 健介に連絡するが、どこか上の空。
 デートを楽しもうとしているのに、健介は何か考え込み……菜乃が話しかけても聞いていない事が多かった。
 ふと気付くと、まるで哀しそうに見つめてくる視線とぶつかる。
「健介? どうかしたの?」
「……ぁの、……否、何でもない」
 何でもない事ない。何か言いたい素振りを何度もみせ、それでいて口を噤むのだから。
(健介、何? 何を隠してるの? わたしに、何を言いたいの?)
 ダイニングのソファにあぐらをかき、クッションをしっかり抱きしめる菜乃の隣には、叔父の志月が座っていた。
 しっかり菜乃の肩を抱きしめてくる志月の肩に、菜乃はそっと頭を乗せる。
 菜乃は目の前で繰り広げられるバラエティ番組を見ていたが、全く無いようは頭に入ってこない。ただ空ろな視線を向けているだけだった。
 そんな菜乃の姿を、志月は訝しげに見下ろす。
「菜乃? 何かあったのか?」
 その言葉に、菜乃はビクッとなった。
 隣にいる志月の存在を、すっかり忘れていたからだ。
「えっ……何もないけど?」
 横を向いて志月を見上げると、そこには揺るぎない瞳が菜乃を見つめていた。
「俺に嘘が通用すると思うか? 何年の付き合いだと思ってる?」
「えっと…、わたしが小学1年の時だから、」
「そういう事を言ってるんじゃない」
 菜乃は、苦笑いしながら肩を竦めた。
「菜乃……俺はお前の些細な出来事でもずっと見守ってきたから、何かがあるとすぐにわかるんだ」
 菜乃は、はぁ〜と長いため息をついた。
(そうだよね。わたしが、志月に隠し事出来た試しなんかないもの。……わたしが初潮を迎えた日、お赤飯の席に呼ばなくても志月にはバレてたし)
 菜乃は、志月を見上げた。
「わたしって……打ち明けにくいタイプ?」
 その言葉に、志月が眉を寄せる。
「どういう意味だ?」
 菜乃は、再びクッションをギュッと抱きしめる。まるで、助けを求めて縋るように……。
「健介…、何か言いたそうにするの。でも、急に押し黙って何も言わなくて。絶対わたしに何か言いたいんだと思う。でも言わないのよ。……ねっ、わたしって打ち明けにくい?」
 志月は、無表情になり…何か考えてるようだった。
「どうして何も言ってくれないんだろう? 何かをわたしに伝えたいって思ってるのよ。それはわかるの。わたしもそうなる度に聞くんだけど、口を噤んでしまって」
 菜乃は、志月の横顔を見つめた。
 見られているのを感じた志月は、視線を菜乃に向けると、眉を上げて微笑んだ。
「大丈夫さ。どうしても言わなければいけない事なら、絶対言うだろう。お前はいつものお前でいればいいさ」
「そうなのかな」
(本当にそれでいいのかな? でも、わたしの中で凄く不安が過るんだけど……。だって、いつもの健介らしくないから)
 瞼を閉じて考え込む菜乃を、志月は上からずっと見つめていた。
 
 
 菜乃は、くよくよしたくなかった。ただでさえ、異変に気付いた時からずっと悩んできているのに、これ以上その事ばかりに捕われたくはない。
(健介が何も言ってくれないなら、わたしが問い質すまでよ!)
 ファイティングポーズを心の中で取りながら、健介の通う大学の正門前で待った。
 本来なら、携帯に電話を入れて一言待っていると言うべきだったかも知れない。
 だが、何故かかけない方がいいと思ってしまった。
 いつもと違う行動を取るなんて……。
 菜乃は苦笑いしながら、健介が出て来るのを待っていた。
「あれ? もしかして、桜田さん?」
 その声に、菜乃は面を上げた。そこに居たのは、どこか見覚えのある男だった。
 えっと、誰だったっけ? どこで会ったんだった?
「ははっ、俺って忘れられた存在? 嫌だな〜。ほらっ、コンパで隣り合った、」
「あっ!」
 健介と偶然再会したコンパで、菜乃の隣に座っていた人が目の前にいる。
「添田、さん?」
「そう。嬉しいな、名前思い出してもらえて。いやぁ、あの日いつの間にか桜田さん消えちゃうしさ。野島も一緒に消えたし……。それってそういう事、だよな?」
 そういう事って……。
 菜乃は、苦笑いをして、その答えを濁した。
「でも、今はもう付き合っていないんだろ?」
「えっ?」
 一瞬で、菜乃の表情が曇った。
 それは、どういう事? 
 菜乃の曇った表情に気付かない添田は、無頓着に言葉を続けた。
「高校時代から付き合ってきた彼女がいたんだけど、桜田さんと会ってから別れたみたいなんだよな。でもつい最近またヨリが戻ったみたいでさ」
 ヨリが、戻った? それって、いったい。
 菜乃が呆然となり青ざめたままだと、やっと添田も気がついた。
 バツが悪いのを感じた添田は、急に慌て出した。
「いや、これは……そのぉ、そう感じたってだけさ。真実は知らないよ。だって、野島から直接聞いたワケじゃないし」
 菜乃は震える手を持ち上げて、添田のTシャツに手をかけた。
「お願い、詳しく話して」
「いや、詳しくと言われても、今言った事だけしか知らないし……。あっ、ほら、野島が来た! ……っあ!」
 菜乃は、添田に言われた方向へ視線を向けた。途端、健介と健介の腕に縋る女性が目に入った。
 添田が言わなくても、その女性こそ健介の昔の彼女という事がわかった。
 とても綺麗な人。それが第一印象だった。
 菜乃は、思わず自分の姿を見下ろす。ノースリーブのレース・ブラウスに、ぴったりとしたブルージーンズは、女ぽっさからかけ離れている。活動的な女性としか言いようがない。
 それに引き換え、健介の隣にいる女性は……チューブトップに、スカートから覗くすらりとした足を大胆に見せていた。そして、素肌の肩に落ちる髪はくるくると巻いてあって……
 誰の目から見ても、自然と目を向けてしまうような、素敵な女性だった。
 あの人が……健介が付き合ってた彼女。
 菜乃は溢れ出る感情を押し殺すように、添田のTシャツがくしゃくしゃになるまで強く握った。
(どうして元カノが、健介の彼女のように振る舞ってるの? どうして健介はそれを甘んじて受けてとめているの? ……どうしてわたしではなく、元カノを守るように見つめているのよ!)
 菜乃は、添田の胸に顔を寄せた。
「桜田、さん?」
「お願い……このままで、いて」
 躯が一瞬で凍りついた。唇も戦慄くが、菜乃は必死になって奥歯を噛み締め、顔をあげようとさえしなかった。
 まるで、今見た光景を振り払うかのように。
「桜田さん……」
 添田は菜乃の肩をギュッと抱きしめ、健介から隠れるように背を向けた。
 健介は、そこに添田と菜乃がいるとも知らずに正門を出ると、そのまま歩き去った。
 
 
「行ったよ」
 しばらく経ってから、添田が口を開いた。その言葉で、菜乃は震える躯をゆっくり起こした。
「ごめんなさい、添田さん」
 そう言いながらも、菜乃は無意識に……恋人同士にしか見えない健介たちの後ろ姿を目で追っていた。
「いや。俺の方こそ、余計な話をしてしまって」
 菜乃は、頭を振った。添田を責める事は出来ない。
 なぜなら、これはいつか明らかにされるべき真実だったから。
 菜乃は、これが……健介が言いたかったという事だとわかった。
(健介は、元カノとヨリを戻したんだ。わたしと別れたかったんだ。だから、デートしていても上の空だったんだ)
「桜田、さん? 大丈夫?」
 添田の優しい気遣いに、菜乃は心を温められ……その優しさに縋り付きたくなった。
 だが、躯の芯に力を入れて、シャキッと背筋を伸ばす。
「ごめんね、添田さん。イヤな役を押しつけちゃったね」
「俺は…」
 添田は、申し分けなさそうに視線を落す。
「ねぇ、健介は……あの彼女と、いつ頃まで付き合ってたのか教えて?」
 添田は、菜乃の言葉から逃げるように一歩後ろに引いた。
「俺が言うような事でもないから」
「お願い! ……もしかして、彼女がいたのにわたしが二人の間に割り込んでしまったの? わたしが二人の関係を引き裂いてしまったの?」
 添田がハッと息を呑んだ事で、それが真実だという事がようやくわかった。
「そっか……そうだよね。健介に彼女がいないワケないもの。…わたしが割り込んでしまったんだね」
 再び歯がガチガチとなり、躯が震えた。菜乃は両腕を前で交差し、震える躯を抱きしめた。
「桜田さん」
 添田が慰めるように手を肩に置いたが、菜乃は身を翻した。
「大丈夫、大丈夫だから。ごめん、もう行くね。本当に、ありがとう」
 菜乃は無理やり微笑むと、その場から駆け出した。
「桜田さん!」
 添田の呼びかけにも無視して、菜乃は前だけを向いて走った。
 健介と彼女の後を追うように……

2004/05/26
  

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