side: 健介
―――バチィ〜ン!
健介は、思い切り頬を叩かれるまま、突っ立っていた。
(っつぅ……未来(みく)のやつ思いっきり叩いたな。だが、俺は叩かれても仕方のない事をしたんだ)
ゆっくり顔を元に戻すと、涙を潤ませながら見上げる未来と視線を合わせた。
「…すまない」
「何よ、それ……。わたしたち、ずっと上手くやってきたじゃない! それが何で今さら……別れようだなんて」
健介は、好きだった彼女をゆっくり眺めた。
そう、確かに好きだった。だから、高2の時から付き合ってきた……大学に入ってもずっと。
だが、その好き≠フ種類が全くわかってなかった。
(ナノハナと再会するまでは……)
「……他に好きな女が出来た……って、どういう事なの?」
訴えるようなその瞳に、健介は目を逸らす。
(俺を見つめるその瞳が好きだった。俺を愛してると語っていたその瞳が、だが……)
「未来……」
「……許してあげる。……そういう事でしょ? その女と寝たんでしょう? 一度ぐらいの浮気、許してあげる。だって、わたしたち……最近シテなかったし。だから、他の女に目が移ったんでしょう? そうよね? それぐらい、わたし許してあげる。だから、別れるなんて言わないで!」
手に触れてきた未来の手を、健介は思わず振り払った。
「違う、浮気じゃない! ……すまない、未来。俺、彼女が好きなんだ。だから、別れて欲しい」
「ひどい、ひどいよ! ……わたしの何がいけなかったの?! ……健介とわたしは上手くいってた、そう思ってたのに……いったいわたしの何が健介の愛を冷まさせてしまったの?」
(違う! 未来は何も悪くなんかない。悪いのは……この俺だ)
学内一可愛いと言われていた未来に告白されて、健介は嬉しかった。優越感さえ持った。
未来が健介を見上げて微笑むたび、とても嬉しかった。
健介はこいつは俺の彼女だ、可愛いだろう? いいだろう?≠ニ叫びたい気持ちでいっぱいだった。
これから先も、未来を守りたいとさえ思った。
だが、ナノハナと再会して……無視され、健介は昔を思い出してしまった。
ずっと、ナノハナが好きだったという幼い気持ちを。
健介、目の前で友人の添田と仲睦まじく話す姿を見て、激しい嫉妬に見舞われた。
未来には、一切抱かなかった嫉妬という感情が、突然健介を襲った。
ナノハナが、コンパから……健介から去ろうとしてるのがわかって、咄嗟に立ち上がった。
(あんな衝動的な行動……俺は一度もした事がなかった)
「未来、お前は何も悪くない。悪いの全部俺だ」
「そう思ってるのなら、その女と別れればいいじゃない! どうしてわたしと別れようとするの? どうして別れる相手がその女じゃないの?」
納得がいかないという未来に、健介の胸が痛んだ。
泣かせたくないのに、お互い気持ちよく別れたいのに……
「……俺には、もう彼女しか見えないんだ」
健介は、未来の頬に流れる涙を拭ってやりたかった。今までなら、迷わず手を伸ばして拭っていた。
(だが、今……俺が選ぶのは……)
「未来、すまない」
ショックで見開かれたその大きな瞳を、健介は真正面から受け止めた。
「……健介は、もうわたしの事なんかどうでもいいのね。そこまで……その女の方がいいんだ」
「お前には、何も悪いところなんてない。俺はお前が嫌いになったわけじゃないんだから。ただ、俺の気持ちはもう彼女にしか向かないんだよ。……未来、お前ならすぐにいい彼氏が出来る」
「そんな知ったような事言わないで!」
未来は、憎々しげに健介を睨んだ。
「誰でも彼氏が欲しいわけじゃない、健介の事が好きだから告白したんでしょう? 今だって、他の女を抱いたと聞いた今だって……すぐに嫌いになれるわけじゃないのよ? ……いい彼氏? 健介の事しか考えられないのに、他に彼氏作れるわけないじゃないの!」
「未来……」
「そんな優しい声で囁かないでよ! ……健介だけは……浮気なんてしないって思ってたのに」
未来がそのまま背を向けて去ろうとしたのを、健介は手を掴んで引き止めた。
「未来!」
だが、すぐにその手を未来が振り払った。
「すまない、本当にすまない。だが、彼女を好きな気持ちを抱いたまま、未来とはもう付き合えないんだ」
未来は、何も言わず去って行った。
健介は、思わず自分の掌を見つめた。
未来の手……とても冷たい手だった。まるでショック状態のように血の気がなくて……
健介は、未来のいた場所を眺めながら何度も心の中で言った。
(ごめん……ごめんな。俺、はっきりわかったんだ。未来は俺にとって……妹のような存在だったんだって事が。あぁ〜、ナノハナ! 今、すごくお前に会いたい、お前の声が聞きたい!)
健介は、ベンチに座ると項垂れるように頭を両手で支えていた。