『偽りの手にミラーが震えて』【1】

 躯を動かすたびに肌を舐めるように動く、柔らかなシルクの感触。
 これほど肌が敏感に感じるなんて、今までにあっただろうか?
 
 でも、これは……何かがおかしい。
 
 自分の呻き声で、麻衣子はベッドに入っていることに気付いた。
 枕の横に置いてあるテディベアのぬいぐるみを求めて手を伸ばすものの、触れるのは冷たいシーツの感触ともう一つの枕。
 えっ? ……ま、枕!?
 麻衣子は、パッと目を開けた。
 見覚えのない部屋、壁紙、調度品、そして自分の服がかけられている椅子が視界に入り、勢いよく上半身を起こした。
「……っあ!」
 こめかみから後頭部へ走る激痛に、麻衣子は思わず頭に手を伸ばして躯を折る。
「起きたみたいだな」
 いきなり耳に届いた、男性の低い声。
 麻衣子はびっくりして、すぐに面を上げた。
 大きな窓辺にあるデスクに、シャツの袖を肘までめくり上げた男性が座っている。何か書き物をしていたのか、その手にはペンが握られていた。
 さらに視線を上げて、そこにいる男性が誰なのか確認してハッと息を呑む。
「おはよう」
「……り、理崎課長? どうしてあなたが、ココに?」
 瞬間、彼の眉根が寄る。
 意に沿わぬことを言われたり、話の筋から逸れたりすると、必ず起こる症状。
 それがわかっていても、麻衣子はこの状況を呑み込めず、ただひたすら理崎を問うように見つめた。
 理崎はペンをデスクに放り投げて立ち上がり、麻衣子のベッドへ近づく。
 彼の視線が少し下がって胸元へ落ちる。つられて麻衣子も視線を落とすと、自分がブラジャー姿を理崎に晒していることに気付く。
 恥ずかしくてすぐにシーツを胸元へ持ち上げるが、その際に下半身を確認するのも忘れない。
(パンティ……一枚って、いったいこれはどういうこと!?)
 実際はパニック寸前だったが、そのことを考える前に理崎が麻衣子の傍のベッドに腰を下ろした。
 彼は、水が入ったグラスと何かの錠剤を渡そうとして手を差し出す。
 理由がわからないまま彼から錠剤を受け取り、グラスの水でそれを飲んだ。
 でも、やっぱりこの状況がわからず、麻衣子は俯いたまま躯を強張らせていると、理崎が麻衣子からグラスを奪い取った。
 そうかと思えば、いきなり顎を掴まれて顔を上げるように促される。
「忘れたのか? ……昨夜のことを」
「昨夜? ……えっと、わたしは確か」
「俺と夕食を共にし、そのあとはバーへ行った」
 理崎の言葉で、すぐに記憶が甦ってきた。ペアシートになっているソファに座り、彼とお酒を酌み交わしたことを。
 麻衣子は、そこでいたずらをされた過去の経験を全て話した。
 そして、理崎が麻衣子を女にしてくれると約束してくれて……
 昨夜の出来事が、まるで映画の名場面のように麻衣子の脳裏に浮かぶと、羞恥から躯が火照り始めてくる。
 酔いつぶれて理崎に寄りかかり、大胆にも「家に帰りたくない」と告げたことを。
「……思い出したようだな。頬が赤い」
 麻衣子の頬を、優しく指の腹で撫でる理崎。その感触に身震いが走る。
「理崎課長、あの、わたし……」
「また俺を課長と呼んだな。……う〜ん、名字だけで公私を分けるには無理があるか? では、俺のことは駿一と呼んでもらうことにしよう」
 課長を、下の名前で!? ――そう叫んでしまいそうになり、慌ててその言葉を呑み込む。
 麻衣子は声に出せないまま、小さく頭を振った。
「わたし、恐れ多いです! 課長をそんな風には」
 そこまで言ったところで、彼が覆いかぶさって麻衣子の口を覆った。
 いきなりのキスに、目を大きく見開く。
 でも、理崎の舌が唇をなぞり始めると、口を開かずにはいられなくなった。その隙間を狙って、彼の熱くてねっとりとした舌が口腔に滑り込む。
「っ……はぁ、んんっ……」
 躯に変化が起こる。ロマンス映画を見ては湧き起こっていたあの甘美な痺れが、麻衣子に襲いかかってくる。
 しかも、その時のとは比べ物にもならないほどの快感に包まれた。
 何がなんだかわからなくなりそうで怖くなり、麻衣子は彼に見えないところでシーツを強く掴んだ。
「……麻衣子」
 やっとキスをやめてくれたと思ったら、彼は名字の楓ではなく、下の名前を口元で囁いた。
 麻衣子は思わず甘い息をつく。
「……わ、わたし」
「駿一だ」
「……駿一、さん」
 理崎に逆らうことはできない。観念して彼の名を囁くと、理崎の唇が嬉しそうに口角が上がる。
「そうだ……」
 ご褒美をあげよう――そんな理崎の声が聞こえたと思ったら、彼は再び麻衣子の唇を割って舌を挿入し、口腔を探索し始めた。
 歯列をなぞり、上顎を舐め、そして麻衣子の舌に温かい舌を絡めてくる。
 親密な好意に、麻衣子はされるがままだった。そんな彼女に、理崎が優しく声をかけてくる。
「俺の舌に絡めて……」
(これも、駿一さんからのレッスンなのね……)
 言われたとおり、麻衣子はおずおずと舌を絡める。
 ただ、レッスンだとわかっていても、こんなに心も躯も燃えるように熱くなるのが不思議でたまらなかった。
 拒絶反応さえも起こらないなんて……
 いつの間にか、理崎の手が麻衣子の襟足に触れていた。そこを優しく揉み、さらに耳殻の裏の窪みを撫でる。
 それだけで、躯の芯に異様なうねりのようなものが渦巻き始める。
 理由もわからず、膝を擦り合わせるようにして腰を動かすと、理崎はそこでキスを止めた。
 ああ、止めないで――抗議の呻きが、勝手に口から漏れる。
「どんな感じだ?」
「えっ?」
 いつの間にか閉じていた瞼をゆっくり開けて、理崎に焦点を合わせる。
「躯に異変は?」
 どうしてそんなことまでわかるのだろう?
 麻衣子は目をぱちくりさせて、理崎の真意を探ろうとするものの、彼の表情からは何も読み取れない。
 だが、彼は急に口元をフッと綻ばせた。
「驚くことはない。それは自然なもの……。男を受け入れるために、女の躯が反応していくんだ。つまり、麻衣子は俺を受け入れようとして躯が疼いた……」
 隠しておきたいのに、全て見透かされている。
 拳を振り上げて、彼の胸を叩きたい気持ちになったが、麻衣子は本当にそうしたいのかよくわからなかった。
 彼の躯に触れたくて、手がうずうずしているからだ。
「もう少し、先へ進むか? それとも、今日はこの辺で終わるか?」
 理崎は、麻衣子の気持ちを尊重しようとしてくれている。
 その心遣いが嬉しくもあったが、麻衣子に問いかけず、どうしてもう一歩進んでくれないのかと言いたくもあった。
 そんな気持ちが顔に浮かんでいたのだろう。
 理崎は優しげな笑みを浮かべて、麻衣子にもう一度キスを落とす。
「悪かった……。では、もう少し先へ進もう」
 理崎の唇が、麻衣子の頬、目尻、そしてこめかみへと落ちていった。同時に、彼の手がブラジャーの上から乳房に触れ、反応を窺いながら揉みしだく。
「もう無理だと思ったら、俺のことを拒んでいい……」
 襲いかかる甘い刺激に、麻衣子は躯を震わせた。
 自分で触れた時とは、それは全く違った。
 理崎の手の動きが、麻衣子を淫らな世界へと誘い始める。
 なのに、拒んでいい≠ネんて……
「っ……あぁ」
 喘ぎが勝手に漏れる。
 恥ずかしくて顔を隠したいのに、麻衣子はいつしか躯を反らして、彼の手に乳房を押しつけていた。
 躯を支えるために、ベッドに手をついていたはずが、だんだん力が抜け、気付いた時は柔らかな感触が背に当たる。
 そっと目を上げると、理崎は麻衣子に覆いかぶさるようにしてじっと見つめていた。

2012/05/15
2011/05/28〜2012/05/15迄、SURPRISE BOXにて公開
  

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