『美しいミラーだと信じて…』【1】

楓が女に戻ったらの話だ。意味わかるよな? その武装するようなおばさんスタイルを改め、年相応のOLらしく、またメディアチームの一員として見栄えがするような服と髪型、化粧をして仕事をする事が条件だ
 これって、絶対パワハラよ。権力を振りかざしている!
(彼の言葉どおり、わたしがそうすると思ったのなら、それは大間違いよ!)
 
 * * *
 
 そう意気込んだのは、ほんの二週間前の事。
 確かに、言いなりにならないと誓ってその後は仕事に打ち込んできたが、考える時間があればあるほど、自分のやりたかった仕事のチャンスを失ってもいいのかと脳裏に過ってばかりだった。
 そして一週間が過ぎた頃。
 こちらを一切見ようとしない。どうするんだと訊いてもこない。麻衣子の事は眼中にはないといった感じの理崎課長の態度を崩したくなってきた。
 だが、理性が邪魔をして何も行動を起こせないまま約束の週へと突入した頃、麻衣子の心の天秤がグラグラと揺れ始め、だんだん落ちつかなくなってきた。
 
(無理よ! 理崎課長の言うような女≠ノわたしはなれない!)
 
 一種のパニック状態だった。
 それもその筈、とうとう麻衣子は彼の言う女≠ノなろうと行動を起こしたが、上手くいきそうになかったからだ。
 同世代の女性が買い物を楽しむように、麻衣子も会社帰りにデパートへ寄ったりブティックへ寄ったりして、頭の中に叩き込んでいるファンション情報を元に服を見るが、どれも着られそうなものはない。
 胸元が開き過ぎだと谷間が見える、歩く度にふわりと揺れるスカートはチラリズムがある。どれをとっても、男性を挑発しているんじゃないか、誘っているように見えるのではないかとその事ばかり思ってしまい、何も買わずにいられない日々を送っていた。
 約束の日が明日に迫った時、麻衣子はこの過酷な状況を打破するにはどうすればいいのか、もうわからなくなっていた。
 その結果、仕事にも集中できなくなり、バタバタと無意味な行動ばかりしてしまっている。わかっているのに、自分ではいつもの冷静な態度を取る事が出来ない。
(これも全て……わたしに嫌がらせをした理崎課長のせいだわ!)
 手元の資料をグシャと手で潰した時、いきなり誰かに肩を叩かれた。ハッとして肩越しに振り返ると、そこには麻衣子の後輩の須永が立っていた。
「楓さん、ちょっといいですか?」
 廊下を指す須永に麻衣子は何事かと思ったか、ゆっくり頷くと立ち上がった。彼女と一緒に廊下へ出て、その先にあるソファが置かれたティールームへ向かう。
 
 
「わたしで良かったら、何でも相談して下さい」
 設置されたサーバーからカップにコーヒーを注ぐと、それを手に取ってソファに座り、一口飲んで息をついた時、須永が口を開いたのだ。
 麻衣子は、どうしてそう言ってくるのかわからず、ただ須永を見つめ返した。
「すみません、後輩のわたしが言うべき事ではないですよね? でも、わたしはずっと楓さんのようになりたいと思ってきたので、ここ数週間の様子が変だなぁって気付いたんです」
 照れたようなその仕草は、麻衣子から見てもとても可愛く思えた。
 ふと、麻衣子はいつも素敵な格好をしている須永の服装を上から順に眺めた。
 ノースリーブのドレープ風カシュクール、胸元は開いていてそこから覗くのはレースのキャミソール。細めのベルトがウエストを細く見せ、マーメイド風のスカートの裾は同生地で大きなフリルとなっている。
 一見フリフリレースばかりに見えるかも知れないが、トータルで見るとそうは思えない。
 麻衣子はベージュや黒のスーツを着ている為、仕事場に適した服装だと言えるが、須永のこの服装もとても洗練されていて、場違いではないように見える。
 理崎課長が言う女≠ニは、須永のような女性の事かも知れない。髪の毛は下ろしているが、仕事の邪魔にならないよう無造作に纏めている。きっちりと纏めてはいないので後れ毛が落ちているが、それがほんのり女をアピールしているように見える。
 麻衣子は、そっと手を首筋に持っていき後れ毛を確かめた。須永と違って、しっかりピンで止めてある。
 つまり、そういう所でも女≠捨てていると思われているの?
「楓さん、気を悪くされたのならごめんなさい! でも、ここ数日はだんだん落ちつかなくなってるみたいだから……」
 須永は本当にいい部下だわ。女性から見ても、羨ましく思ってしまう可愛らしさがある。
(わたしが須永のようになるにはいったいどうしたらいいの? 理崎課長が求めてる須永のような女≠ノ変身するには……)
「あぁ……ごめんなさい、聞かなかった事にして下さいね。でしゃばるような真似をしてしまうなんて、わたしったら!」
 恐縮する須永だったが、麻衣子は全く聞いていなかった。それよりも、今思いついた解決法に心を捕われていた。
 麻衣子は居ても立ってもいられず、須永がコーヒーカップを持っているというのに、空いた手で彼女の手をがっしり掴んだ。
 
「須永、貴女にお願いがあるの!」
「えっ?」
 
 コーヒーがハネて絨緞に飛び散ったが、麻衣子はただ真っ直ぐ須永を見つめた。
「仕事のあと、時間ある? デートの約束があったとしても、どうしてもわたしの為に時間を作って欲しいの。どう?」
「いいですけれど、何かあるんですか?」
 麻衣子は、周囲に誰もいないか確認してから須永に身を擦り寄せた。
「これは、ココだけの話よ。いい?」
 彼女が頷くと、麻衣子は声を顰めて話しだした。
 社内報からメディアへ異動出来るかも知れない事を。
 でも、それには条件があって、この見た目をどうにかしなければならない。どうすればいいのかわからないので、とても女らしい須永に見立てて欲しいという事を告げた。
 そして、それは明日実行に移さなければならないので、今日全て手配しなければいけないのだと、一気にまくし立てた。
「いいですね、やりましょう!」
 妙に嬉しそうに顔を綻ばす須永を見て、どうしてここまで自分の事のように喜ぶのか、麻衣子はとても不思議に思った。
 だが、ここで立ち止まる事は出来ない。約束の期限は明日なのだから。

2010/05/06
2009/06/29〜2010/05/05迄、SURPRISE BOXにて公開
  

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