『塗りつぶされた、黒いミラー』【2】

* * *
 
「……弊社で契約をしているフラワーショップは既にありますが、社員の間でこちらのアレンジメントが素晴らしいという話が広がりまして……」
 麻衣子は、社内報への掲載を求めて、このショップとアポイントメントを取っていたのだ。
 須長が書類を取り出すと、まだ若い三十代ぐらいの店主へ渡す。
「そちらにも明記しておりますが、名目上広告料という事をお願いしなければなりません。ですが、割引期間が終了しましたら、その使用済み券はこちらで買い取らせていただきますので、どうぞご安心下さい。買い取りのお値段の方は、下記の表でお確かめ下さい。割引パーセンテージによって値段は上下しますが、お願いしているこの地域の他のお店と同じ価格となってます」
「最初こそ、こういう形でしか出来ませんが、弊社々内報で評判が上がれば、将来的に契約をお願いする……という事もあると思いますので、決して損はないと思います」
 須長が、麻衣子の後を継いでそう告げた。
 将来の事はよくわからない為、あまり断言するような言葉を使って欲しくはないが……見たところ、あながち須長の言葉は嘘にはならないような気がする。
 麻衣子は、小さいながらも綺麗な事務所を眺めた。簡素な室内でありながら、季節に合わせた花が生けられてる。
 また、アレンジメントしたものもあり、斬新で目を奪われるけれども、きちんとその他の物と融合しており、とても爽やかな雰囲気を醸し出していた。
 そう感じたのは、初めてだった。
 もしかしたら……本当に新契約の運びとなるかも? ……近い将来に。ダメダメ、今はまず……この目の前にある契約に集中しなければ。
 その結果、どういう反響を及ぼすのかを見てからでないと。
「お返事は、十分契約書を確認された上で構いません」
 麻衣子は、店主にそう告げると須長に頷いた。
 この会社周辺地域の活性化も含めて、水嶋は支援にも力を入れていた。大企業で利益優先であっても、地域の事を考えられる会社に勤務出来るなんて、とても幸せな事だ。
 多分、会社設立当初……地域のバックアップを受けた事があるに違いない。それが会長から息子の社長へ、そして社長の息子たちへ受け継がれているのだろう。
 突然社長の三男の義弟になった、如月篤史の事が脳裏に浮かんだ。
 彼も……水嶋の血縁として受け継いでいくのかしら?
 
「あの……」
 店主が口を開いた為、麻衣子はそちらに意識を向けた。
「はい、何でしょうか?」
「このお誘いは、とても嬉しいです。基本的に、当方は特に何をしなければならないという事でもないですし。それに、広告料も格段に安いですから。普通の地域の情報新聞に載せると、安いとは言ってももっと高いですからね。ですが……」
 まさか、断られる!?
「この割引期間なんですが、九月から十一月末ですよね?」
「えぇ、その期間に問題がありますか?」
「実は、私の母校と仕事の契約してまして、ある週末はわたしが店に出られない為、対応が苦しくなると思うんです」
 店主が壁掛けのカレンダーに視線を向けたので、つられて麻衣子もそちらを見た。そこに書かれた清心≠ニいう字に、麻衣子はハッと息を飲んだ。
 その文字の次に書かれている字は、進路指導・文化祭・校内ガイダンス等、麻衣子も経験した行事が書き込まれている。
「もしかして、母校って……清心女学館なんですか?」
「えぇ、そうなんです」
「わたしの母校も、清心なんです!」
 初めて聞いたその事実に、須長はビックリし麻衣子へ視線を向けた。
 店主は驚愕すると同時に、同窓生に逢えた事を喜ぶように、頬を緩めて笑みを浮かべた。
「すごい奇遇ですね!」
 麻衣子も、彼女の言葉に同意するように素早く頷いた。
「本当に! とすると……おわかりでしょ? どれほど……見栄えを大切にするか」
 母校の見栄っぱりな短所を、困ったようにこっそり言う店主に、麻衣子も苦笑いを浮かべた。
 女子校という事で、確かに清楚で可憐を意識した生け花があったし、彼女の言うように……見栄を張るような事があったからだ。
「えぇ、そうでした。でも、母校で仕事が出来るなんて素晴らしい事ですね」
「えぇ」
 嬉しそうに、満足そうに笑みを浮かべる店主を見て、麻衣子も心がほんわかとしてきた。
こうやって清心の卒業生で作られている、清心会のメンバーと出会えたのも運命。割引券のクーポンに、細かい定義を表示するのは敬遠されがちだか、今回はこちらが妥協するべきだと思った。
 何といっても、このショップは……本当に社内で噂になっているのだから。
「確か、週末……という事でしたよね? それなら、アレンジメントは平日限定に限る、とかそういう風にしたらどうでしょう?」
「えっ、いいんですか!?」
 店主が嬉しそうに、前のめりになりながら麻衣子に視線を向けた。その表情は、最初と違って……同じ清心出身と聞いてから親しみやすくなっていた。
 麻衣子も同じ気持ちだった。
 ただ、一人……須長だけが心配そうに麻衣子を見つめる。
そんな大事な事を、勝手に決めてもいいんですか?≠ニ訊ねるように。
 麻衣子は、須長の膝を軽く触れてわたしに任せて≠ニいうように安心させるように視線を向けた。
「上の者に承諾させる為にも、少しお時間をいただく事になりますが……わたし自身、社内報にこちらのお店を紹介させて欲しいですから、しっかり頑張ってきますわ」
「ありがとうございます!」
 二人は立ち上がり、固い握手を交わした。
「また、ご連絡の上新たな契約書を持参しますね」
「お願いします!」
 三人は、事務所から店舗へと移動した。
 
 綺麗な照明に照らされたフラワーアレンジメントと、温度調節の棚で活き活きとしている生花を見ながら、麻衣子は考えた。
 この店舗の写真を撮らせてもらって、雰囲気もよくデザインも素晴らしい花束等を上司に見てもらったら、少しは説得しやすくなるんじゃないかしら?
「あっ! 雨がポツポツきてますよ」
 須長が、外を見ながら言った。麻衣子は咄嗟に須長に振り返った。
「このまま先に社へ戻ってていいわ。わたし、店主にお願いして店舗内の写真を撮らせてもらうから」
 そう言いながら店主を見ると、彼女が「いいですよ」と頷く。
「でも、楓さんに全て任せてしまうなんて、」
「いいのよ。せっかくの素敵な服が濡れてしまうわ。わたしはただのスーツだし、替えもあるから」
 須長が、麻衣子の言葉に何か言いたそうにしたが、言葉を飲み込んで軽く頷いた。
「もっと降り出す前に、早く社に戻ってきて下さいね」
「わかったわ」
 安心させるように頷くと、須長は空を覆いつくす雨雲見て、すぐ歩道に飛び出した。
 その時、同じように歩道を走っていた、スーツを着た男の人とぶつかった。
 
「危ないっ!」
 
 咄嗟に麻衣子の口から零れたが、その男性が須長の腰を抱き止めた。麻衣子の心臓がドクンと高鳴ると同時に、嫌な思い出が突如蘇った。
 その男性が須長の腰を抱き止めた時に、彼女のスカートが上がり綺麗な肌が見えた。そして、男のゴツゴツとした大きな……手。
 麻衣子は目眩いがしたが、ギュッと瞼を閉じて記憶を押し止めようとした。
「楓さん? どうしたんですか?」
 店主の声で、麻衣子はハッと瞼を開けた。
 須長は、申し訳なさそうに男性に謝り、男性は何でもないというように微笑んで、二人は会釈して別れるところだった。
 麻衣子は、ホゥ〜とため息を吐き出すと、店主に向き直った。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いですけれど」
「えぇ、大丈夫です」
 嘘……、本当は全然大丈夫なんかじゃなかった。
 膝がガクガクし、嫌な思い出がドド〜〜ッと麻衣子の記憶に押し寄せてくる。
「大丈夫、大丈夫よ」
(如月くんの事を思い出しなさい! 彼に関しては全く嫌な気なんかおきなかったし、その後、見知らぬ男性に誘われても、大丈夫だったでしょ? それなのに、どうして今になって?)

2008/01/15
2008/01/15〜2008/05/01迄、SURPRISE BOXにて公開
  

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