『ビューティー・ミラー』【2】

side: 篤史

(以前の合コンで一緒だった女か? ヤバイ、俺、全く覚えてないわ)
「あっ……あぁ〜久しぶり!」
 そう言うしかなかった。何せ、篤史は彼女の顔を覚えていなければ、名前すら覚えていないのに、相手は篤史の名前を知っているのだから。
 それにしても、イチャついている最中に、普通他の男を呼び止めるか?
 少し身構えながらも、篤史は謝るように手を上げた。
「……邪魔、するつもりじゃなかってん。でも、ここはトイレへ行く通路やから、ヤるんなら外行った方がええで?」
(それにしても、可愛い顔してるやん。なんで……俺彼女の事覚えてへんねやろ?)
「違う、そんなんじゃ!」
「坊やの忠告どおり、外へ行こうか」
「……っやめてって言ってるの! そんな気、全然ない!」
(あれ? これは……合意の元じゃない? って事は、俺は助けた方がいいんやろか?)
「あっ! そういえば……君の友達おるで? 何か、電話するって言うとったけど、もし……」
 チラッと、スーツの男へ視線を向けて再び彼女へ向ける。
「時間あるんやったら行けば? どうせ、今日は邪魔されると思うで。電話するって張り切って言うとったから」
(って、何連呼してんねん、俺)
 篤史は、自然と苦笑いを浮かべた。
「わたしも、約束してたんだった。だから彼女……わたしに電話するって言ってるんだと思う」
(イヤ、俺は別に女だとは言ってないんやけど)
 その時、男の舌打ちする音が、篤史の耳に届いた。
「その気がないんだったら、いつまでもこうしてる理由はないよな」
 スーツの男は、女性の肩をゆっくり撫でるとそのまま店の入り口へ歩いて行った。
 
 
 残される形となった為、篤史は気まずい感じを覚えた。
(助けたはいいけど、俺彼女のこと知らんって!)
 視線を向けると、彼女は恥ずかしそうに下を向いている。
(あれ? 思ってたより……俺より年上っぽい?)
 女らしいワンピースの胸元へ視線を向けると、程よい膨らみが見て取れた。特別乳房の大きさに執着していな篤史だったが、形のいい乳房をこの手で包み込みたい……と、ふいに欲望を抱いてしまった。
(しまった! しばらく彼女作らへんかったのが裏目に出てもうたわ。……俺かって、高校生の頃とは違った意味で、まだまだ精力漲ってるんやから、うん)
 膝丈の裾から見える生足は、白くて綺麗で長くて……細くて。
(俺、脚フェチちゃうのに……何かゾクゾクする)
その瞬間、下半身に熱が集中した。噴火しそうな程、ある一点がこんもり膨らんできて……
「やめろ、俺!」
「えっ?」
 目の前の彼女が視線を上げた。思わず、篤史の方が視線を逸らせた。
(何してんねん、俺は……)
「イヤ、何でもない」
 彼女が、俺の昂ぶりに気付きませんように……と祈りながら、篤史は再び彼女へと視線を向けた。
 何故、篤史の名字を知っているのか訊きたかったが、それをすると彼女を覚えていなかったと白状する事になるので、その質問をグッと堪える。
「あの、ありがとう、助けてくれて。まさか、こんな場所で如月くんに会うなんて、」
 
 ―――♪
 
「あっ、ゴメン」
 突然ポケットに入れていた携帯が鳴ったのだ。相手を確認して電話に出る。
「……何?」
『篤史?』
「うん」
 相手は、母親だった。
『今、かかりつけの産婦人科から電話があって、亜弥が街中で倒れて運ばれたらしいんよ』
「えっ!? 何でや!」
 突然慌てた篤史に、目の前の彼女が黙ったまま見つめてくるが、篤史の意識はもう彼女を素通りしていた。
『何がどうなってるか、お母さんもわからない。とにかく、今から病院へ行くから、お父さんにも連絡してもらおうと思って。携帯繋がらないから』
「わかった、任せてや! 俺も今からすぐ行く。……まだ生まれたんちゃうよな?」
『そんな話はなかったけど、まだ詳細はわからへんから。とにかくお母さん行ってくる』
「気ぃ付けて行くんやで!」
 携帯を切ると、篤史はトイレへ行く事も忘れて走り出した。
「如月くん!」
 突然呼ばれて、篤史は少しだけ足を止めて振り返った。
(そうやった! 彼女と話してる最中やったんや。あぁぁ、久しぶりに興味持てそうな女やってんけどな〜。しゃ〜ない、今は姉ちゃんの事の方が先決や。お腹の中の赤ん坊の事も気になるし)
「火遊びは危ないで! あぁいうのは、好きな男とせんと気持ち良くないし。じゃ、気を付けて帰れよ!」
 篤史は片手を上げると、合コンで集まっている座敷へ走った。そこで急用が出来た事を告げ、呼び止める女たちの声に振り向く事もせず、店から飛び出した。
 姉の入院した……かかりつけの病院へ向かって。
 
 
* * * * *


side:麻衣子

 篤史に助けられ、そして取り残された彼女は、大きくため息をついていた。
「火遊びは危ないで=c…か。知ってるわよ、それぐらい。でも、経験してみたかったの。だから、初めて冒険して……」
 目の前にある鏡を見つめ、自分の姿を見た。そこには、美女とまではいかないが、とても綺麗な女性が映っていた。
 まるで、だれでも綺麗に見せるビューティー・ミラー≠フようだった。
 コテで巻いた髪はふんわりと波打ち、いつもはしないチークが肌に透明感を与えている。かなり開いたV字の胸元にはペンダントが揺れ、その下にある乳房を綺麗に見せていた。引き締まったウエストは外からはわからないが、裾から見える素足は昔バレエをしていた事もあり、綺麗な形をしている。
(わたし、今までこんなバカな事はしなかったのに、どうして今日に限ってしてしまったの? しかも、あんな場面を如月くんに見られるなんて!)
 呻きながら口元を抑えた。
 今まで、特に男性を必要と感じた事がなかった。というか、一度嫌な思いをして以来、お洒落や無闇に肌を露にする事に恐怖を覚えた。
 それが原因なのだろう。性欲も全くなかった為、仕事だけに打ち込んできた。それで幸せだった、充実していたのに……そこへ彼が登場した。
(わたしより七歳も年下なのに……女慣れしていて、キスシーンを見られても一切動じない新入社員。慌てふためいたのは、わたしの方)
 あの日以来、キスとはどういうものなのか知りたくてたまらなくなってしまった。映画のキスシーンを見ては、胸が高鳴る。
 以前なら嫌悪すら覚えていたのに……愛し合うシーンを見れば、肌が熱を帯び、息が苦しくなって、乳首が擦れると痛みを覚える程。
(憎らしい……こんなわたしにした彼が、本当に憎らしい! こんなわたしを知りたくなかった)
 性欲には無関係でありたかった、それで毎日が充実していたのだから。
 だが、彼が乳房を……そして足を舐めるように見つめていた事を思い出すと、興奮から躯がブルッと震えた。
(やめなさい! 彼は男として普通の反応を示しただけよ。わたしが誰なのか、全くわかっていなかったのだから)
 いつもガミガミと彼にうるさく間違いを指摘する……年上の女で、女っぽくない楓麻衣子とは、絶対思ってもいない。
 気付いてもらえなかった事実に直面した麻衣子は、再びため息をついた。
(気付いてもらえなかったのは、わたしが眼鏡を取り肌を見せ、髪を下ろすとは思ってもいなかったから? 濃い化粧をするとは想像もしていなかったから?)
 それとも、彼の記憶には残っらないほど麻衣子の存在は薄いのだろうか?
(わたし、年下相手に何してるんだろう。こんな気持ちにさせたのが彼だったから、わたしも気になるのね)
 でも……あの呪縛が解かれるなんて、思ってもみなかったから。
 当時の事を思い出すと、恐怖から躯が震え、吐き気までしてくる。なのに、その行為に興味を覚えるなんて。
 麻衣子は篤史に興味を抱いていたが、それが成就するとは思っていない。
 何と言っても自分は上司だし、色気も何もない麻衣子に彼が興味を抱くハズがないのだから。
 しかも、彼よりも年上……行き遅れときてるし。
 だから、今日の事はもう忘れよう。
 麻衣子はそう決心しながらも肩を落とし、このお洒落なレストランバーから一人で出て行った。

2007/08/01
2007/08/01〜2008/01/14迄、SURPRISE BOXにて公開
  

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