開設7周年・連動企画☆

『鋭い爪が、ココロ触れるとき』【2】

「あの……」
 緊迫した響子と莉世の間に、佐伯が突然割って入った。
「莉世ちゃん。……莉世ちゃんが見えたら、一貴さんに連絡する事になっていてね。実は、ついさっき連絡したんだ。いつまで経っても上がって来なければ、一貴さんが心配すると思うんだが」
「すみません、佐伯さん! ありがとうございます」
 佐伯が出してくれた助け船に感謝の笑みを向けると、莉世はエレベーターホールへ向かった。響子もハイヒールの音を響かせながら後ろから着いてくる。
「……仕方ないわね。一貴が知っているとなると、莉世ちゃんをそのまま帰す事はもう無理だわ。どうして一貴はこんなにも甘いのかしら?」
 莉世から答えを求めていないからか、響子はエレベーターに乗り込んでも一人でボソボソッと呟いていた。
 目的の階で停まると、莉世を押しのけるように響子が先頭を歩いて行く。莉世は、仕方なく響子の後ろを歩いた。
 
 ―――ピンポーン。
 
 急いでいるからか、廊下を歩く音がドアの向こう側から聞こえた。
「遅かったじゃないか!」
 ドアを開けたと同時に、一貴の顔が見えた。
 だが、一貴は目の前にいるのが莉世ではなく響子だとわかると、一瞬でその顔は強ばった。声を出そうにも、絶句して何も言えないように見える。
「ハイ、一貴!」
 響子が何も言わずに一貴の横をすり抜けて、勝手に玄関へ入っていくとハイヒールを脱いで室内へ向かった。
「……おい、響子!」
 振り返って呼び止めようとするが、それが無駄だとわかると、やっと一貴が莉世に視線を向けてくれた。
「莉世、何故響子がココにいるんだ?」
 莉世は、素直に頭を振った。
「わからない……ちょうど下で会ったの。響子さん、わたしには帰って欲しかったみたいなんだけど、佐伯さんが助けてくれて……」
「佐伯さんには感謝しないとな。帰らなくて本当に良かった。……何の目的で来たのかわからないが、すぐに響子は帰す。だから心配しなくていい。ほら、莉世も中へ」
「うん……」
 莉世は、小さくため息を吐いた。
 一貴に喜んでもらおうと思って着た服だが、彼はそれどころではないようだった。莉世の服にすら目に留めようとはしない。
(響子さんの事でその余裕すらない事はわかるけど、少しでもいいから褒めて欲しかったな)
「莉世?」
 その場から動こうとしない莉世に業を煮やしたのか、行動を促すように一貴が声をかけてくる。
「はい」
 ドアから動こうとしない一貴の側を、響子と同じようにすり抜けようとした。
 まさにその瞬間、一貴がいきなり身を前に倒して莉世の唇にキスをした。そのキスは一瞬で終わったが、一貴の心が莉世へと向いていると証明していた。
「……一貴」
「早く二人っきりになろう……」
 莉世は頬を染めながらブーツを脱ぐと、一貴がドアを閉めるまでその場で待っていた。
 
 
 一貴にエスコートされる形で、部屋の中心部を占める廊下を歩く。
 開け放たれた扉からダイニングへ入ると、莉世はリビングを見るように右へ視線を向けた。
 響子は優雅に足を組んでソファに座り、ミニスカートから伸びる大腿を披露させながらこちらを見ていた。
 一貴が莉世の腰に手を当てているその部分を見てから、響子は二人の顔を交互に見る。
 お嬢様という事で、誰にでも命令出来る立場にあったのだろう。その瞳には目力が宿っていて、莉世もたじろいてしまうほどの威力を放っていた。
「まさか……まだ莉世ちゃんを家に招いているとは思わなかったわ。一貴……、小さい頃ならまだしも、生理が始まっている女の子を家に招くなんて世間体に悪いってわからないの? いくら妹のように可愛がってきたからって、少しは莉世ちゃんの事も考えてあげなさいよ」
 響子の言葉に、一貴は口元を緩めながら笑った。
「世間体……ね。そんな心配を響子にして欲しいと俺が言ったか? 水嶋家と桐谷家の事に、口を挟まないでもらいたいね。俺たちの間に、響子……お前が入る隙はない」
 一貴のきつい言葉に莉世は口を挟もうとしたが、腰を強く掴まれて制された。そのまま一貴に押されてソファへ行くと、彼は莉世を隣に座らせた。
 腰を下ろすと、莉世はソファの横に紙袋を置いて響子へと視線を向けた。
「えぇ、そうね。一貴と二人きりの時はわたしだけを見てくれていたのに、莉世ちゃんが現われると、わたしをすぐに心から放り出していた。覚えてるわ、……とてもね」
 響子はいきなりソファから立ち上がると、リビングへ歩いて行った。そして、目の前にあるガラステーブルに優しく撫でるようにそっと触れる。
「このテーブルも覚えてるわ……」
 響子は、一貴を見てから莉世へと視線を移す。
「当時、莉世ちゃんはまだ小学生だったけど……覚えてる?」
「何が……ですか?」
 この部屋に入って、初めて響子が莉世に訊ねた。
「莉世ちゃんは、わたしに訊いたの。確か……どうしてこんなところに口紅が付いてるの?≠チてね」
「響子!」
 一貴が声を荒げて、急にソファから立ち上がった。
「あら、一貴。怒鳴るなんておかしいわ。この話は、一度莉世ちゃんにもしたわよ? それを覚えてるかどうかは……別だけど」
 莉世は、視線を手元に落とした。
 大人がつける口紅が、ガラステーブルの中央にべったりと付いていたからだろうか?
 小学生だったあの頃、莉世は化粧というものに憧れを抱く年齢に達していた。子供のおもちゃとして売られていた化粧品を、両親から買ってもらった事もあった。
 だから、響子が言っているその時の記憶は、何となく覚えていた。
 こうしたらつくのよ≠ニ響子から言われて同じような体勢を取っていたら、パンツが丸見えだと一貴に怒られたのも、確かこの日だった。
 そして、響子が前屈みになってテーブルにキスをしようとした時、彼女が身に付けていたペンダントがテーブルに当たってカツンと音が鳴った。
 莉世はそっと目を閉じて、当時の記憶に思いを馳せた。
 一貴に部屋から出てはいけないと言われていたのに、こっそり廊下へ出たのもこの日だった。
 カツンという音がリズムよく打ちつけられる音が、莉世の耳に届いたのを覚えている。
(当時はわからなかったけど、今ならわかる。わたしが部屋にいるのに、一貴と響子さんはあのテーブルで愛し合っていたのね!)
 すっかり頭の隅に追いやられていたその記憶が、色鮮やかに蘇ってくる。
 行為の場面を見たわけではない。
 それでも、一貴と愛し合うようになった今……、あのリズミカルな音と口紅がついた位置が何を示すのかという事は莉世にも簡単に想像する事が出来た。
「あの日も、一貴はわたしを心から追い出した。それが許せなくて、交換条件を出したんだけど……本当ならわたしを追い出す為には欲しくなかったわ」
「……いい加減にしろよ、響子」
 一貴の声音が、いつもより低くなる。
 そっと目を開けて一貴を見ると、彼の頬がピクピク動いていた。込み上げる怒りを押し止めているのだろう。
「俺とはもう関係ないのに響子をこの部屋へ入れたのは、莉世がいたからだ。莉世がいなければ、とっくに放り出していた。わかっているんだろう?」
 響子が、キュッと唇をキュッと引き結ぶ。
「ここに来た理由を言うんだ」
 莉世は、響子が何を言うのか待った。
 だが、大体は予想がつく。それは、一貴とヨリを戻す為。
(そうでなければ、わたしにあんな事を言ったりしない。響子さんは、わたしと一貴が付き合っているとは思っていないけれど、一貴の側をうろちょろしているわたしの存在が邪魔なのよね?)
 ヨリを戻そうと思ったら尚更その気持ちは強いだろう。だからと言って、莉世は一貴の事で一歩も引くつもりはなかった。
「……もう一度、わたしとやり直して」
「無駄だ」
 間髪入れずに、一貴が言う。
 躊躇いもせず断ってくれた!
 莉世は、一貴を思い切り抱き締めたかった。
 だが、その時……あの嫌な音が莉世の耳に届いた。
 
 ―――カツン、カツン。
 
 響子が、テーブルを叩いていた。手でテーブルを叩いているが、その音が鳴っているのではない。指に填めた指輪がガラステーブルに当たって、あの嫌な音がしていたのだ。
 再びあの当時の記憶が脳裏を過る。
 思わず、莉世は響子へと視線を向けた。響子は、話をしている一貴ではなく莉世を観察するように見ていた。
 息を呑んだ莉世を見て、響子の口元が嬉しそうに綻ぶ。
(響子さんは、わたしがあの時の事を覚えているのか確かめてる! そして、わたしが知っていると、今知った!)

2010/03/07
  

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