開設7周年・連動企画☆

『鋭い爪が、ココロ触れるとき』【1】

「莉世、旅行へ行く前に二人っきりで会いたい……」
「わたしも!」
 一貴の声を携帯越しに聞いただけで、莉世の躯は興奮から熱を帯びた。さらに、何かを期待するように震える。
(だって、ずっと会えなかったもの……)
 莉世はほんのり頬を染めながら、軽く俯いた。それでも、一貴の声をいつまでも聞きたいと願うようにしっかりと携帯を握り締める。
 一貴は、教師として修学旅行の準備で忙しかっただけでなく会社へも行っていた。その為、康貴の結婚式以来ほんの数回しか会えなかった。
 しかも、ちょうど生理と重なったりして、一貴から求められても謝るしかなかった。
 でも、今は……終わったばかりだ。
「じゃ、一貴のマンションへ行ったらいい?」
「迎えに行く」
「ううん、いい! ……わたしが行く、から」
 久しぶりに会えるという事で、莉世は一貴と会った途端気持ちを抑えられるかどうかわからなかった。
 迎えに来てもらったとしても、一貴を見ただけで絶対胸をときめかせてしまうだろう。助手席に座った途端、キスをしてと強請ってしまうかも知れない。
 我が儘な子供のように、そんな行動だけは絶対にしたくなかった。
 一貴の部屋へ入って、一貴から莉世を抱き締めてキスをして欲しい。
「いいのか?」
「うん、待ってて……。わたしが、一貴の元へ行くから」
 一貴が笑みを漏らした吐息が耳に届くと、莉世の胸は激しく高鳴った。
「……わかった、待ってる。午前は学院に行くが、午後はマンションに戻ってる。……莉世、早く来てくれ。俺の我慢もそろそろ限界だ」
(もう、一貴ったら!)
 求めてもらえる嬉しさを隠しきれず、莉世は口元を緩めた。
「じゃ、明日ね」
 携帯の通話を切ると、部屋の隅に置かれたスーツケースを眺めた。
 既に修学旅行の準備は終わっており、あとは日頃使っている物を詰め込めばいいだけとなっている。
 本当はノートパソコンも持って行きたいところだが、学院側から持ち物禁止条項の一つに含まれていた。
 税関で面倒という事もあるからだろう。
 メリッサと連絡し合う道具として、ノートパソコンを使いたかった。
 でも、今使っている携帯がカナダでもアメリカでも使用出来る。
(メールだと、メリッサとの会話は大変だけど仕方ないよね。我慢出来なくなった時は電話したらいいか。……一貴のノートパソコンを借りるっていう手もあるしね)
 莉世は携帯を置いてベッドから立ち上がると、クローゼットへ向かった。明日着ていく服を選ぶ為だ。
「どれにしようかな〜?」
 まだ一貴が見ていない服を取り出すと、莉世は笑みを浮かべた。
 春らしいチュニックワンピースは、袖も裾もふんわりとしていてとても可愛い。先日、彰子と一緒にランジェリーショップで買った膝上まである柄物のストッキングが合いそうだ。そこに、春物ブーツを組み合わせる。
(一貴が見たら、きっと喜んでくれるよね)
 大人っぽい服装も喜んでくれるが、以前ドレープのあるワンピースを着た時、一貴の目がとても輝いた事を覚えていた。
「ふふっ、明日楽しみ!」
 莉世の笑みは止まらなかった。
 一貴との逢瀬、修学旅行、親友メリッサと一年ぶりの再会……
(こんなに幸せでいたら、わたし罰が当たってしまいそう)
 そんな風に思ってしまったのが、悪かったのかも知れない。
 幸せいっぱいの莉世と一貴の後ろから、ヒタヒタと足音を立てて……何かが近づき始めていたのだから。
 
 
 ―――修学旅行へと出発する前日。
 
「明日は早い出発なんだし、久しぶりの海外なんだから体調も整えておかないと。今日は、いつまでも一貴さんの所に居座らずに、早く帰ってくるのよ」
 玄関で母親にそう言われて、莉世は何度も頷いた。
「わかってます! じゃ、一貴のところへ行ってくるね」
 嬉しそうに微笑む莉世を見た母親は、いつものように仕方なさそうに肩を竦めていた。
 
 修学旅行を翌日に控えた今日は、三年生は休校だった。体調をベストな状態で修学旅行に臨むのが目的だった。
 だが、そもそも休みの日に家で大人しくしていろという方が無理な話。
 現に、莉世は恋人でもある担任から呼び出されている。
 家で過ごすようにとホームルームできつく言っていた一貴が……だ。
 矛盾していると言ったら、一貴は何て言うだろう?
 クスクス笑みを漏らしながら、莉世は一貴へのマンションへ向かった。
 
 家を出ててから一時間後、一貴のマンションが莉世の視界に入った。
 あと数分でエントランスに着き、管理人の佐伯と挨拶を交わしたら、すぐにでも一貴に会える。
 莉世は胸をドキドキさせながら、手に持った袋を見下ろした。
 お昼ご飯は食べていないと思い、莉世は家でサンドウィッチを作ってきていた。
 一貴のマンションで料理を作っても良かったが、その分の時間が勿体無い。デリバリーを頼んだとしても届くまでの時間を考えたら、手作りの方が十分に短縮出来る。
「別に……何かを期待して、その時間を作る……ってワケではないけれど」
 自分に言い訳するように、莉世はボソッと呟いた。
「何を期待しているの?」
 自分に自信を持っているとわかる女性の声音が、莉世の耳に届いた。
 瞬間、莉世の足がピタッとその場で止まる。
 何故か、心臓を鷲掴みされたような痛みが莉世を襲った。
(わたし、この声を知ってる……。だって、小さい頃から何度も何度も聞いていた声だから)
 莉世はゆっくり振り返った。
「……響子、さん」
「こんにちは、莉世ちゃん。お正月に一貴の実家で会って以来よね?」
「……はい」
 彼女は、宮野製薬会社の令嬢で一貴の元恋人だ。
 莉世がまだ小さい頃、知らず知らず恋人同士だった二人の仲を邪魔していた。子供だったから、大人の事情や関係は全く知らなかった。
 故意にした事ではないのに、彼女は理解してくれなかった。
 いや、理解していたからこそ、湧き起こった気持ちに折り合いをつけることが出来なかったのだろう。
 誰にも気付かれないように、チクチクと刺すような言動をしていたのだから。
 もちろん、幼かった当時は一切わからなかったけれど……
「今日はまた……随分おめかしをしているのね。これからどこに行くの? ……って、訊くだけ野暮よね」
 響子がにっこり微笑みながら歩き出した。莉世も、彼女から一歩後ろに下がる形で同じように歩き出した。
「でも、不思議でならないわ。どうして大きくなった今でも一貴の周囲をうろちょろするの? 今年は十八歳になるのよね。彼氏を作らないの? 貴方ぐらいの時、わたしは一貴と付き合っていたわ」
「わたし……」
 莉世はどう言えばいいのかわからなかった。この言葉は、お正月に会った時も言われた。
 つまり、響子はもう一度遠まわしに牽制を仕掛けているということ。それはわかるが、どうやって受け答えすればいいのだろうか。
 一貴が住むマンションのエントランスに到着すると、佐伯が優しく微笑みながら顔を出した。
「やぁ、莉世ちゃん。一貴さんが……」
 莉世の隣にいる響子を見ると、佐伯が突然口を噤んだ。
「佐伯さん、こんにちは。当然、わたしの事も覚えているわよね?」
 妖艶な笑みを浮かべる響子を、莉世は盗み見る。
「え〜と……、こんにちは」
「一貴、いるんでしょ? 明日から子供の引率で北米へ行くって言ってたから」
(えっ? 一貴、響子さんに言ったの? 修学旅行が明日からって。いつ!?)
「莉世ちゃんは明日一貴と会えるんだから、今日はわたしに一貴との時間を譲ってくれない? いいわよね? だって……わたし、恋人同士の甘い時間を小さな貴方に随分譲ったもの。ね?」
 手に持った紙袋の紐を、ギュッと握る。
 譲るとか譲らないとか……そういう話を二人でするのが間違っていると、莉世は思った。
(もし、一貴が響子さんと話したいと思ったら、わたしを家に帰すはずだもの。全て一貴に任せたらいいのよ)
 それが正しい事なのだと思うと、莉世は意を決して響子と視線を合わせた。
「わたし、一貴と会う約束していて」
「だから、別に今日でなくてもいいでしょ……って言ってるの。一貴を慕う気持ちはわかるけど、もう子供じゃないんだから……あまりしつこくするのもね。莉世ちゃんもいい年齢なんだから、あまり一人暮らしの男性のマンションに入っていくと変なイメージがつくわよ? もちろん、わたしは莉世ちゃんと一貴の関係が兄妹のように仲がいいって、昔から知ってるけれどね」
 暗に兄妹の関係が恋愛に芽生えるなんて、そんなバカな話があるはずない。特に、この二人には絶対有り得ない≠ニ言われたようなものだった。

2010/03/03
  

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