『ココロの兄、TWINS』【2】

「おい、どこを彷徨ってるんだ?」
 一貴の言葉で、莉世は我に返った。
 ふと見上げると、二人は莉世の目の前まで来ている。
「あっ……ううん」
 莉世は、その想いを隠すように肩を竦めたが、一貴の目はそれを嘘だと見破っていた。
 だんだん表情が強ばり、莉世から目を離そうとしない。
 いったいどうしたの?
 莉世は戸惑いながらも、その一貴の視線に身を震わせた。
 
「俺がいるって事、忘れてないか?」
 面白そうな声で囁くその低い声は、とても魅力的だ。
 莉世は、一貴からその男性に再び視線を逸らせると、ジィーッと見つめた。
 やっぱり、どこか見覚えがある。
 誰だろう? 頭の奥で靄がかかったような感じ……。
 その靄が莉世の記憶を曇らせる為、とても気持ちが悪かった。
「可愛いなぁ」
 にこやかに笑うその笑顔に、莉世はハッとした。
 えっ? ……この笑顔、わたし知ってる。
 この人と、いったい何処で会ったんだろう?
 途端、急に視界が遮られた。
 今までその男性を見ていたのに、一貴が躰ごと目の前に立ちふさがったのだ。
 びっくりして顔を上げると、一貴の表情は冷ややかに莉世を見つめる。しかし、莉世を見るその目は、憤怒が表れていた。
 えっ? どうして、そんなに怒ってるの?
 莉世はわからないまま、眉間を寄せた。
 
「そんなに怒るなよ」
 一貴の肩に、その男性が手を置く。
「うるさい」
「何をそんなに怒るんだよ?」
 その男性は、一貴の冷静な態度の裏にある怒りを感じ、驚きながらも呆れたようだった。
 こういう一貴の態度がわかるって事は……とっても親しいって事だよね?
 う〜ん、本当にいったい誰?
「っで、いつものように彼女を俺に紹介してくれよ。まぁ、こんな若い彼女は初めてだけど。……何なら、俺が貰ってやろうか?」
 若い……
 言って欲しくない言葉だった……まるで二人は不似合いだって言われてるようで、打ちのめされる。
 その言葉で痛んだ心臓に、莉世は拳を押しつけた。
 突然、その男性が手を伸ばし、莉世の頬に触ろうとした。
 ええっ?
 莉世はビックリして、その手から逃れようと後ろに躰を逸らせようとした。
 すると 、目の前に伸びてきたその手が、急に止まった。
 一貴か、その男性の手首を掴んだのだ。
「いいかげんにしろ」
 歯を食いしばって、その怒りを抑えようとした一貴の声が、リビングに響き渡った。
「オーケー。わかった。もう悪ふざけは終わりだ」
 一貴はその言葉を信じるように、ゆっくり手を離した。
 莉世は、二人のやり取りを呆然と見てるしかなかった。
 
 
「じゃ、自己紹介といきますか」
 その男性は、莉世に向かって微笑んだ。
  一貴は……
 チラリと見ると、唇を引きつらせて、莉世の一挙一動隅無く見逃すまいと見つめている。
 その態度に、莉世は思わず唾を飲み込んだ。
「俺は、弟の康貴(こうき)。で、きみは?」
 うそ……
 莉世は、驚愕を隠せないまま口をポカンと開け、その言葉に聞き入った。
 本当に? わたしの聞き間違いじゃないよね?
 じゃぁ、わたしが見覚えがあるって思ったのは間違いじゃなかったんだ。
 当たり前じゃない……だって、彼は、彼は!
「康くん!」
 莉世は、満面の笑みを浮かべて康貴の首に抱きついた。
「ええっ?!」
 突然抱きつかれた康貴は、驚愕しながらも、飛びついた莉世を落とさないように腰を支える。
「ええと、ええと……」
 慌てふためいた康貴は、どうすればいいか一貴に視線を向けた。
 一貴の表情は蒼白で、その目は怒りでどんどん鋭さを増していく。
 康貴は、ニヤッと笑うと、思い切り莉世を抱きしめた。
 途端、
「離れるんだ!」
 と、一貴が怒鳴るように言い、無理やり二人を引き離した。
「もう! 何? 康くんと会うの、久しぶりなんだよ?」
 莉世は、一貴の態度を不審に思いながらも、久しぶりの再会を邪魔されたような気がした。
 何故こんな態度を取るの?
 莉世は、一貴の行動の理由がわからなかった。
 昔は、莉世が康貴に懐くのを、一貴は笑って見ていただけに、この態度には理解出来なかった。
 睨む一貴に、莉世も問うように見つめた。
「はい、ストーップ!」
 二人が見つめる間に、康貴が割り込んできた。
「きみが、俺を康くんと呼ぶ理由が知りたいな?」
 そう問いながら、康貴は一貴を観察する。しかし、一貴は無表情に顔を逸らした。
「わたしが、わからないの? ……って、わたしも康くんが誰なのかわからなかったけど」
 そう言いながら、お互い様だと思った。
 特にわたしは、小学生の時に会った以来で、昔の少女とは違うもの。
 莉世は、その事にクスクスと声を零す。
 
「わたしだよ。莉世。桐谷莉世」
 康貴の目が、驚愕でみるみる大きくなった。
「莉世? えっ? ……桐谷莉世って……あの莉世?!」
 康貴は呆然と、莉世の姿を上から下へ、下から上へと眺め回した。
「ちょっと待ってくれ……」
 康貴は、手をおでこにあて、大きく息をした。
「確か、莉世は留学してたんじゃ、」
「してたよ。でも、戻ってきたの」
 莉世は、にっこり笑った。
 いつも驚かされていた康貴に、今度は自分が驚かす事が出来たのだ。
「っで、兄貴と連絡取り合ってってわけか?」
 康貴の目が細くなったが、莉世はそれに気付く余裕がなかった。
 なぜなら、幼なじみの一人に会えて、本当に嬉しかったのだ。
「ううん、わたしが藍華に編入したら、担任が一貴だったの」
 途端、康貴が顔を強ばらせた。
 
「それで……兄貴とはどういう関係なんだ?」
 その問いは、莉世にではなく、一貴に向かって鋭く言い放っていた。
「莉世は、俺のものだ」
 無表情に言う一貴に、康貴は顔を青ざめながら突進すると、胸元を掴んだ。
「何やってんだよ! 莉世は、俺たちにとったら“妹”のような存在だろ? その莉世にいったい何してるんだよ。わかってるのか? 莉世はまだ高校生なんだ。それを、兄貴自ら食ってどうするんだよ。年上の兄貴が、自制するべき事じゃないのか?」
 莉世は、康貴の凄まじい怒りに、躰が震えた。
 何? 何なの?
 一貴は何も言い返そうとしないで、掴まれるままになってる。
「康貴、お前さっきと言ってる事が違うぞ? 莉世が誰かわからない……普通の女子高生だと思った時のお前の目は、自制しろと言ってる目じゃなかった」
「それは莉世だと知らなかったからだ。相手が莉世とわかってたら、手を出すべきじゃないって言ってるさ。莉世を、遊び相手にするのは間違ってる」
 しかめっ面をしていた康貴は、悔しそうな表情をして吐き捨てた。
「誰が遊んでると言った?」
 康貴は、冷静な一貴の言葉にキッと睨み付けた。
「今までずっとそうだったろ? くそっ、何で莉世なんだよ!」
 康貴の手に力入った。
 莉世は、我慢出来なくなって、一貴の胸元を掴む康貴の腕に手を置いた。
「やめて、康くん!」
「離せよ」
 一貴に似た冷たい氷のような目で、康貴は言う。
「嫌よ! お願い、その手を離して」
 莉世は懇願するように、康貴を見上げた。
  康貴は、縋るような莉世のを目を覗き込むように見つめ、そして諦めたように手を緩めた。
「ありがとう、康くん」
 莉世はホッとため息をついた。
「わたし、コーヒー入れてくるから……二人とも座ってて?」
 キッチンへ向かおうとすると、
「その前に、ボタンを最後まで止めるんだな」
 康貴から冷たい声音で言われて、莉世は顔を赤らめた。
 確かに、お腹がチラチラと見え隠れしていたからだ。
 もしかして、康くんには全てわかってるの? 康くんが来る前に、一貴と何しようとしていたのか……
 莉世は、逃げるようにキッチンへ入った。
 
 
 莉世がいなくなると、康貴は一貴を睨み付けた。
「やっぱり間違ってる……莉世に手を出すべきじゃない」
 一貴は、ソファに凭れて、膝の上で軽く手を組んだ。
「お前が手を出したかった……か?」
 康貴は、一貴の言葉に歯を食いしばって、怒りを押し込めようとしたが、落ちついている一貴に我慢がならなかった。
「そんな話はどうでもいい。何故、莉世をモノにしたんだ? 昔はずっと“妹”のように扱ってたじゃないか」
 康貴はそこまで言って、初めてある理由に思い当たり、突然顔から血の気がひくのがわかった。
「まさか……利用したのか? 昔から、莉世が兄貴一筋だった気持ちを利用したのか?」
「利用なんかしてない」
「なら、何故莉世を……」
「簡単だろ? 俺は莉世を欲した、莉世も俺を欲した。それだけだ」
「それだけ?」
 康貴は、一貴の態度に腹が立っていた。
 ポケットから無造作にタバコを取り出し、火を付けようとした。
「ここでは吸うな」
 間を置かず言うその言葉に、康貴は唖然とした。
「何言ってるんだ? 今までそんな事一言も言った事がないじゃないか」
 訝しげに眉間を寄せ、康貴は一貴の顔を食い入るように見つめた。
「莉世が嫌がるんだ。あいつは、タバコの匂いが嫌いだからな」
 康貴は、指に挟んでいたタバコが、ポロリと下に落ちたのにも気付かなかった。
「ちょっと待ってくれ……。兄貴、確かヘビースモーカーだったよな? もしかして、莉世の為に止めたとか?」
 驚愕を隠せないまま、康貴は一貴を見るが、動じない兄の姿を見て愕然とした。
「マジかよ……」
 康貴の躰から一気に力が抜け落ち、ソファにぐったりと凭れた。
 
「本気なんだな……。あの響子さんですらタバコの匂いが嫌いだって言ってたのに、兄貴は絶対止めなかった。それなのに、莉世が嫌いだと言うと……一瞬でタバコを止めた」
 一貴は、薄く笑った。
「あぁ。だが、止めたわけじゃない。学校や会社にいる時は、一服してる。ただ、家では絶対吸わないようにしただけさ。それに、匂いを消す努力もしてる。そうでもしなければ、あいつはキスすらさせてくれないだろうからな」
 康貴は、莉世の話をする一貴の幸福そうな表情を、呆然と見ていた。

2003/05/26
  

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