『サクラ咲く、ココロの華』【5】

 一貴は、マグを持ったままの莉世の手からそれを取り上げると、
 自分がそのコーヒーを飲んだ。
 そして、顔を顰めた。
「……お前のには、ミルク入れてたんだ」
 そう言われて、莉世はテーブルに置かれた一貴のマグを見た。
 それはブラックだった。
 わたしのを奪うからだよ。
 と、声には出さず、一貴の説明を待ち受けた。
 本当に、何故わたしをココへ呼んだのかわからない。
 どうして……バレる危険性を侵してまで、校内放送で呼びつけ……怒りを露にして、わたしをあんな乱暴に抱いたの?
 
 一貴は、マグをテーブルに置くと、ため息をついて、ソファに凭れた。
 その時、5限が始まる5分前のチャイムが鳴った。
 その音がやんだ時、一貴は莉世の方に躰を向き直った。
 
 
「お前……俺が見てる前で、古賀に抱きついた」
 莉世の目が驚愕で、大きく開いた。
「み、見て、たの?! っでも、あれは抱きついたんじゃなくて」
 そ、それで? それで、わたしを急に呼び出したっていうの?
 一貴の顔が強ばっていた。
「お前が、急に古賀に抱きついたのは……多分、何かあったんだろ」
 一貴のその言葉に、莉世はうんうんと何度も頷いた。
「そう、そうなの。一貴も知ってるでしょ? わたしがどれだけ毛虫が嫌いかって」
 一貴が眉間を寄せると、莉世の顔を凝視した。
「ふぅん……取ってもらうだけで、何で古賀に腰を抱かれてるんだ? しかも、お前腰を抱かれても……全く嫌がってなかった」
 だ、抱かれる?
「抱かれてなんかないっ!」
 莉世は、一貴を睨むようにして、声を荒げた。
「抱かれてた」
 一貴も莉世を睨み付け、怒りを抑制したような声で言った。
「抱かれてないったら、ない!」  
 莉世は、プイッと横を向いた。
 何よ……抱かれてなんかない! あれは……暴れるわたしを、古賀くんが止めようにしただけ。
 ……だよね? そうだったよね? あぁ、あの時はパニックだったから、全然覚えてないよ。
 莉世の表情から、怒りがどんどん弱くなっていった。
 一貴の手が伸びてきて、莉世の顎を捕らえると、グイッと一貴の方へ向けさせた。
 莉世の表情に怒りがなくなってるのを見ると、一貴は急に不機嫌になった。
「……お前、もう少し周りを見るようにしろ」
 
 
――― キ〜ン、コ〜ン…
 
 5限の始まりのチャイム鳴った。
 一貴が動かないところを見ると、5限は空きらしい。
 
 チャイムが鳴り終わると、一貴は口を開いた。
「俺が、お前をココへ呼び出した理由は、古賀に抱かれていたお前を見て……怒って呼び出したと、お前は思ってるのか?」
 莉世は頬を緩めたが、一瞬その目が陰った。
「まさか! だって、一貴がそんな事で怒る筈ないって知ってるし」
 突然、一貴が莉世の頬を包むと、奪うように激しくキスをした。
「っんん」
 震える手を……持ち上げ、一貴の手首を掴んだ。
 一貴はゆっくり唇を離すと、莉世の額に自分の額を引っつけた。
「はぁぁ、ったく……何でそう思うんだ?」
 目の前にある突き刺すような一貴の目を、莉世は真正面から受け止めた。
「だって、一貴は大人だし」
 一貴は一瞬目を閉じて、長いため息をついた。
「莉世……男っていう生き物はな、ある部分はいつまでたっても子供なんだよ」
 莉世は、その一貴の言葉にプッと吹き出した。
「一貴は絶対子供じゃないよ」
 一貴は、う〜んと言いながらまた目を閉じ、何か考えるように動かなくなった。
 だが、 しばらくすると、莉世の頬から手を離して身を起こした。
「……まだまだお前は俺をわかってないな」
 そうかも。
 莉世は、一貴の呆れたような表情を見ながら、まだ一貴の全てがわからないと思った。
 
「俺がお前を呼び出したのは、古賀の件も多少あった。でもな、本当の理由は、お前が俺を見ながら……携帯の電源を切ったからだよ」
 はぁ?
 莉世は眉間を寄せて、あの時の事を思い出そうとした。
 確か、あのテーマパークの件で怒ってたんだよね?
 あっ、それと……そうだった! 彰子に彼氏がいるってバレてしまったのに、一貴は別に気にしないみたいな言い方したから、わたしが怒って切ったんだった。
 でもあれは、一貴からまたかかってきたら困ると思ったから切ったんだけど。
 ま、まさか……あれだけの事で呼び出したの?
「……あのぉ〜、よくわからないんだけど」
 一貴の口元が、ギュッと引き締まった。
「俺は、お前とケンカするのはいいと思う。確かに、腹が立って……嫌な気分になるかもしれない。だが、それは付き合っていく上でのプロセスだろ。なのに、お前は……一方的に俺をお前のココロから締め出したんだ、俺を切り捨てたんだ」
 莉世は、一貴のその言葉に息を飲まずにはいられなかった。
「な、何言ってるの? わたしは……一貴をココロから締め出してない、切り捨ててなんかない。そんな事出来るわけないって、知ってるくせに。あれは、彰子たちの所に戻るから、また電話かかってきたら言い訳するのが嫌だったから、嘘を付きたくなかったから……だから、電源を切っただけで」
 莉世は、ギュッと唇を噛み締めた。
 一貴が、そういう風に思ってたなんて。わたしが一貴を締め出したって思うなんて……そんなの、信じられないよ。
 そんな事、今まで一度も出来なかったのに。
 カリフォルニアに居た時でさえ、忘れようと思っても出来なかったのに。
 
 
 一貴の目は再び強く光を放ち、莉世の視線を捕らえて離さなかった。
「お前の、気持ちはわかった。だが、これからは、ケンカしたその腹いせに電源を切るのだけは、絶対にやめてくれ」
 一貴のその悲痛な声が、莉世のココロに突き刺さった。
 もしかしたら……すごく、一貴に愛されてるのかも知れない。
 そう錯覚してしまう程、一貴の想いは莉世を強く揺さぶった。
 その一貴の強さが温かい風となって、莉世のココロの中を通り抜けると同時に、5分咲きだった華が一気に咲き誇った。
 愛しい……一貴がこんなに愛しいよ。
 その想いが……張り裂けそうで、莉世は震える手を一貴の首に回して抱きついた。
 溢れ出す気持ちを、一貴に与えるように。
 莉世の想いが伝わったのか、一貴がギュッと強く抱きしめてきた。
「莉世……」
 耳元で聞こえる、一貴の掠れた声が、莉世に甘い痺れを齎した。
 一貴って……わたしにとって、本当に麻薬みたいなものだ。
 こんなに、わたしを痺れさせて……一貴の求める全てを、わたしは何でも与えてしまいたくなる。
 全て……? ……ああぁぁぁ!
 莉世は、力を込めて一貴の躰から離れた。
 まだ十分躰を自由に出来ないが、それでも動かせるようになったその腕を、一貴の肩を押して突っぱねた。
「どうした?」
 突然身を離された一貴は、驚愕して莉世を覗き込んだ。
 
 莉世の唇は、わなわなと震えていた。
「一貴、どうして? どうして一貴のデスクにコンドームがあったの?」
 その問いに、一貴はビックリしたようだ。
 そして、その意味がわかると同時に、急にクックッと肩を揺らせながら笑いだした。
「何がおかしいの? 全然おかしくない!」
 怒る莉世を愛おしく見つめながら、一貴は笑いを抑えながら口を開いた。
「俺はたいていコンドームを持ち歩いてるよ……お前を妊娠させないようにな。……いつ何時お前を抱きたくなるかわからないし」
 莉世は頬を染めながらも、唇を突き出して怒った顔を見せた。
「あぁぁぁ、もう! それはわかった。でも、一貴はデスクの引き出しを開けて出してた、って事は……いつもそこに入れてたって事でしょ? それは、わたしの……為じゃないでしょ?」
 莉世の不安に陰った目を見て、一貴は笑った事を後悔した。
「あれは……去年、性行為の授業で配布されたやつだ。だから、その時配布されたコンドームさ。俺がわざわざ準備して……デスクの中に入れてたわけじゃない」
 莉世は、神経過敏になって問い詰めてしまった事が、とても恥ずかしかった。
 そっか……やっぱり一貴はこの部屋で、そういう……えっちしてるわけじゃなかったんだ。
 莉世は、その事が嬉しかった。
 その嬉しさで、自然と頬がほわぁ〜んと緩んだ。
 その表情を、一貴は満ち足りたように眺めていた。
 
 
 一貴に再びマグを渡してもらうと、今度は微かに震えながらも手を持ち上げる事が出来た。
 うん、大丈夫……もう少ししたら、きっと元どおりになる!
 少し冷めたコーヒーを啜りながら、一貴の異常な行動を反芻した。
 一貴は、立ったままえっちするのが好きなの?
 莉世は、自然と隣に座る一貴を見上げた。
「何だ? 言いたい事があるのなら、今のうちに言え」
  一貴は、わたしの思考を呼んだのだろうか?
 頬を染めて軽く下を見てから、意を決して一貴の目を見た。
「そのぅ〜〜……一貴は……立ったままで……するのが好きなの?」
「っぐふっ!」
 一貴は、飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。
 何でも訊いていいって言うから、訊いたんだけど……唐突過ぎだったのか、な?
 一貴はマグをテーブルに置くと、そこにあるティッシュを2、3枚引き抜き、口にあてて拭いた。
「……いきなり訊くか?」
「だって、今のうちに言えって言うから……っで、どうなの? 一貴……立ったままでするの好き、なの?」
 一貴は、疲れたようにため息をつき、ドサッとソファに凭れながら、片手を莉世のソファの背に伸ばした。
 
「お前、その訊き方間違ってると思わないか?」
「間違ってる?」
「あぁ」
 間違ってるの? ……間違ってないと思うけど。
 一貴の手が、莉世のストレートの髪を優しく愛撫し始めた。
 そして、髪を莉世の耳にかけた。
 一貴は、莉世の耳に指を這わせ、何度も何度も撫でる。
ドキドキする鼓動を無視して、莉世は一貴を睨んだ。
 一貴は莉世の全てを眺めるように、視線で莉世の躰を嘗め回した。
「普通は、立ってするのが好きか? って訊かないぞ」
 莉世は、まだ愛撫する一貴の手を意識しながらも、一貴の言葉に神経を集中させた。
「……お前が答えを知りたいのなら、NOだな」
 莉世の目が嬉しそうに輝いた。
「だが、莉世と立ってするのが好きか? となれば、もちろんその答えはYES」
 莉世は目を丸くさせた。
「他の体位もいろいろしたいよな。まず、」
「あぁぁ、もう言わなくていいよ」
 莉世は顔を真っ赤にして、一貴の口に手を持っていった。
「キャッ!」
 まだ本調子になっていなかった為、躰に力が入らなく、思い切り一貴を押し倒すハメになってしまったのだ。
 一貴は莉世の行動に驚愕したが、腰に腕を回して抱き寄せると、莉世の首筋を舐めた。
「ひゃん!」
莉世は、手をゆっくりずらして肩を叩いた。
「もう、一貴!」
 しかし、一貴の目をこんなに近くで見てしまった事で、愛し合った時の事を思い出してしまった。
 そして……その時、突然の訪問者が来た事も思い出してしまった。
 一貴を、訪ねてきた……あの女性。
 水嶋先生と呼びながら、最後には一貴と呼び捨てにした女性を。
 莉世は、一貴が抱きしめてるのをお構いなしに身を捩り、ゆっくり起き上がった。
 
「次は何だ? 何が、お前のココロに引っかかってるんだ?」
 一貴が呆れたように、莉世を見上げた。
 莉世の表情は、曇っていた。
 わななく唇を噛み締めながら、莉世は一貴を見下ろした。
 
「さっき、一貴を訪ねてきた女性は誰?」

2003/04/08
  

Template by Starlit