『ココロ、流れるまま』【3】

 わたし、いったい何やってんだろう。
 一貴のマンションでシャワーを浴びてるなんて……。
 
 莉世はシャワーブースの中で、降りしきるシャワーを頭から浴びながら、どうしてこうなったのか思い出していた。
 もし、わたしがあの時車から飛び出さなかったら、濡れる事もなかったし、こうして裸になってる事もなかった。一貴も濡れる事なかった。
 濡れる? ……忘れてた!
 莉世は急いでシャワーを止めると、脱衣所へ出た。
 そこには、ベビーピンクのシルクローブがあった。
 一貴は、ガウンと言った。
 でもそれを見ると、ガウンと言うよりローブ。ローブと言うより、 ナイティに近いほど……その生地は薄かった。
 良く言って、シルクのワンピースと言った感じだろうか。
 ローブを手に取ると、滑らかな肌触りが伝わり、莉世の女心を擽った。
  一貴……わたしが好きな色を覚えてくれてたんだ。
 しかし、そこでハッとした。
 どうして、これがわたしの為に用意された物だと思ったの?
 莉世は自嘲気味に笑った。
 ……響子さん専用の、ガウン?
 そう思った途端、胸がギュッと苦しくなった。
 あぁ〜、最悪。どうしても、響子さんの影から逃れられない。
 莉世は、天井を見上げ涙を堪えた。
 唇を噛み締めようとすると、ピリッと痛さが走った。
 
 莉世は姿見がある鏡に向かった。
 覗き込むと、下唇が赤紫色に変色していた。
 ぶつかって出来た痣じゃない……一貴に激しくされたキスの痕だ。
 舌でそっと触れると、プックリ腫れているのがわかる。
 どうして、一貴はキスしたの? こんな、乱暴なキスを……。ワケわかんない。
 視線を唇から離した莉世は、女性らしくなった裸体を鏡で見つめた。
 ほどよく膨らんだ乳房は、特に大きくはないが、Cカップだから自信を持っていい。引き締まったウエスト、 すんなり伸びた手足は別に悪くは見えない。
 顔は……美人じゃない、どちらかといえば可愛い、悪く言えば……幼い。
 結局のところ、響子さんの足元にも及ばないという事。
 莉世は鏡に背を向け、一貴が言うそのガウンを羽織ると、ウエストで結んだ。
 あれ? わたしのサイズとピッタリ……。
 莉世は、響子を思い出そうとした。
 美人で背が高かったのは覚えているけど、その身長がどのくらいあったのか、よく覚えていない。
 わたしと同じくらいの身長だったの? それとも……わたしより高い?
 無駄な問いかけをしてしまった事に気付き、莉世は自嘲するように笑った。
 響子さんは、わたしと同じくらいの身長なのよ。だから、このガウンはわたしのサイズと一緒なのよ。
 
 莉世はクルリと振り返ると、再び鏡を見た。
「あっ!」
 その艶めかしい姿に、莉世自身驚いた。
 膨らんだ胸がぴっちり被われて、乳首がツンと立っているのまでわかる。
 しかも、V字になってる胸元は大胆と言っていい。
 そこから見える、膨らんだ乳房が……陰影をつけて豊かに見せてる。
 丈は膝上までしかなく、ほんのり赤く染まった足が妙に色っぽい。
 こんな姿を見たら、一貴はわたしを……女として一度でも見てくれる?
 莉世は頭を振った。
 そんなわけ、ないじゃない。私は一貴にとって “妹” も同然……その事は、もう既に7年前に実証済みなんだから。
 莉世は、バカな事をしでかさないようにと自分自身に言い聞かせ、脱衣籠からパンティやブラを取ろうとした。
 だが、そこには何もなかった。ブラにパンティ、制服までも。
 一貴が……まさか。
 ドアを開けると、莉世は一貴がいるであろう居間へ向かった。
 
 
 ドアを開けて目の前に飛び込んできたのは、一貴がソファで何やらいそいそと操作をしている姿だった。
 莉世が口を開ける前に、一貴が振り向いた。
 一貴の目が大きく見開き、莉世の全身を上から下へ、下から上へと視線を這わす。
 莉世は、急に鼓動が高くなったのがわかった。
 そして、自然に乳首が固くなり、サテンを強く押し上げる。
 一貴の視線が、その場所で自然に留まった。
 どうしよう……何か、話を。
「っわたしの、制服はどこへやったの?」
 震える声は、妙に掠れてしまった。
「もちろん、乾かさなければならないだろう? ちゃんと急ぎで出してきたから、心配しなくてもいい」
 一貴はゆっくり視線を上げると、莉世の目と視線を合わせた。
 と同時に、空気がピンと張り詰める。
 莉世はゴクンッと唾を飲む込むが、上手くいかない。
 それを見た一貴は、フッと笑った。
「こっちにおいで、莉世」
 まるで麻薬のようだった。
 その優しい声……今までの声とは明らかに違うその甘い声が、莉世の躰を覆うように駆け巡った。
 莉世の足は惹きつけられるかのように、自然と……一貴のいるソファへ近づいた。
 
 一貴は莉世の腕を掴むと、隣に座らせた。
 その勢いで、ガウンの裾が腿まで捲れる。
 莉世は頬を染めて素早く元に戻したが、一貴の目にもしっかり見られたに違いない。
 一貴は莉世をそのまま残して立ち上がると、キッチンへ行った。
 莉世は、高鳴る鼓動が耳元でガンガンと鳴り響くのを、止める事が出来なかった。
 どうしよう……わたし興奮してる。 
 ゆっくり視線を胸に下ろす。鏡で見た時より、乳首はくっきりと意思を主張してシルクを押し上げていた。
 敏感になった乳首が、シルクに擦れて痛いほど感じる。
 一貴はコレを見てる……絶対わかってる。
「あっ!」
 莉世はビクンッと躰を震わせた。
 触れられてもいないのに 、アソコがしっとり濡れてきたからだ。
 意思を持って……ヒクヒク動いている。
 こんな事を考えるから、意識するから駄目なんじゃない。他の事を考えなきゃ駄目!
 莉世は、そこで初めて室内を見渡した。
 ……何も変わってない。
 まるで、7年前と……忘れた事のない、アノ記憶のままだ。
 
 
 莉世は、ガラスの低いテーブルに置かれた袋を見た。
「あっ、これ」
「そうだよ、お前が落としたやつだ。佐伯さんが見つけて、持ってきてくれたんだ。よく見つけられたよ、助手席側に落ちてる袋なんて」
 後ろから急に声がしたので、莉世はビクッと躰が震えた。
 一貴は自分にはブラック・コーヒー、莉世には紅茶を持ってきた。
 莉世は、その紅茶を受け取ったが、顔を顰めた。
「なんだ?」
「……わたしも、コーヒー飲めるんだよ?」
「わかった、よく覚えといてやるよ。だが、今はコーヒーじゃなく、甘い紅茶の方がいいだろう」
 その大人ぶった言い方が、気に食わない。
 でも、莉世は一貴の言う事も最もだと思った。
 コーヒーを飲んで、これ以上気持ちが昂ぶったら、自分でどうしようもなくなっちゃう。
 甘い紅茶を一口啜ると、躰が急にほんわかした。
 莉世の頬が、自然と緩む。
 
 一貴は、突然莉世の肩にタオルをかけた。
「髪の毛、まだビショビショじゃないか。風邪ひくぞ」
 莉世は、一貴が昔のように優しくなっているのに気付いた。
 どうして? 学校や車の中や……玄関ではあんなに冷たかったのに、何故今はこんなに優しいの?
 莉世は、タオルで水滴を拭ったが、そのまま肩にひっかけたままにしておいた。
 ふと、一貴がまだシャワーを浴びていなのに気付いた。
 なのに、 一貴は白いTシャツにブラウスをひっかけ、ラフなズボンを履いている。
「シャワー浴びてきていいよ?」
「ん? あぁ……、俺はもういい。キッチンでちゃんと拭いたから」
「でも、」
「大丈夫だ。それより、ほら、コレ」
 一貴は、ガラステーブルから携帯を取ると、莉世に渡した。
「えっ?」
 その携帯は、今まさに莉世が着ているガウンと似たような色で、パールが入った薄いベビーピンクの折り畳み式携帯だった。
「お前、持ってないって言ってたろ?」
「わ、わたしに?」
「あぁ、そうだ。お前に。一番に、俺の番号がもう入ってる」
 莉世の目に涙が浮かんだ。
 どっちが本当の一貴なの? やっぱり、私が知ってる優しい、思いやりのある一貴が、本当の一貴?
 どっちがどっちなのかわからず、莉世はとうとうその思いを口に出した。
「どうして? 朝は、あんなに冷たかった。わたしに…敵意を持ってるみたいだった。それに、車の中でも意地悪だった。なのに、なぜ態度をコロコロと変えて……急に優しくなったりするの?」
 潤む目で、横に座る一貴を見上げると、一貴は莉世を見る事もなく外の雨を眺めていた。
 
 
 一貴は、一向に話そうとしない。
 この何も音がしない空間が、莉世を一層苦しめた。
 答える気があるのかないのか、全くわからない。
 それに……この静けさは、忘れがたい光景を忍び寄る隙を作ってしまってる。
 莉世の頭も胸の中も、パンク寸前だった。
 その時、一貴がゆっくり口を開いた。
「……どれも、本当の俺だ」
 莉世は一貴を見つめた。
「何故留学した?」
 突然、一貴が振り向き莉世に詰問した。
 莉世が口を開けた瞬間、一貴がその言葉を遮った。
「お前、今まで俺に何でも相談してきた。だが、留学の話は一切俺にしなかった。それは何故なんだ? ……急にお前が、ココに来なくなった。俺は、いつも元気だった莉世が、病気にでもなったんじゃないかと心配した。だから、おじさんに訊いたら、お前が留学したって。それを聞いた瞬間、俺がどんな思いしたか……絶対わからないだろうよ」
 一貴は、膝に置いた手をギュッときつく拳を作った。
 その拳は、きつく握り締められてる為、関節が白く浮き上がってさえいる。
「そしてお前の転入だ! 日本に戻ってきたのなら、何故一言も俺に知らせなかった? 手元に履歴が届いてから、俺はお前が連絡してくるのをずっと待ってた。だが、お前は全く連絡を寄越さなかった。俺が、どうして冷たかっただって? ……お前に冷たかったのはな、俺がお前に対して腹が立ってたからだよ!」
 
 一貴の爆発に、莉世は呆然とするしかなかった。
 やっと……やっと、一貴の感情の起伏の激しさを、理解出来たと思った。
 一貴は……こんなにわたしの事を思ってくれてたんだ。
 もちろん、 一貴には “妹” のようにしか想われていないのは、十分わかってる。恋人になんてなれるわけがないって事もわかってる。
 だって、11歳も年が離れてたら、子供にしか見えないもの。
 確かに、わたしは一貴を愛してる。一貴も少なからず……こうしてわたしを愛してくれてる。一貴の側に居られるだけで、満足しなきゃ。
 一貴とこうして再会して、これから先、自分の感情が幾度となく傷つけられても、彼とは絶対離れられないとわかった今、与えてくれる気持ちだけで満足しなきゃ。
 莉世は、一貴の感情を表わした瞳を見つめながらそう思った。
「……理由は?」
 一貴に促された。
 一貴が、何事にも諦めない性格だって事を、すっかり忘れていた。
 莉世は覚悟を決め、深く深呼吸した。
 
「わたし……あの時、一貴が……結婚するっていう話を聞いたの」
 決して一貴のセックスシーンを見た事だけは漏らさないと決めて、出来るだけ真実に近い話をしようと、気持ちを訴えるように、一貴から目を逸らさずに話し続けた。
 だから、一貴が少し顔を顰めたのも、はっきりわかった。
「わたしの世界は、一貴一色に染められてた。だって、物心ついた頃から、一貴はもうわたしの目の前にいたでしょ? 卓人が生まれた時は、パパとママを卓人に盗られたって泣いてたわたしを、一貴がちゃんと理由を説明して、わたしを納得させてくれた。だから、パパとママに何かを話す前に、先に一貴に相談するっていう癖がついちゃったのよね。でも、一貴が……お嫁さんを迎えたら、もう相談出来る人がいないんだ、って気付いたの。何もかも自分で決めなきゃいけないんだってわかったの。でも、一貴の側に居たら、わたしどうしてもココへ来ちゃう」
 莉世は軽く息を吐き出すと、ソファにぐったり凭れて、視線を一貴から外へと向けた。
 まるで、泣いてるかのような大雨……、わたしのココロが激しく泣いてるみたいに。
「それじゃいけないって思った。ココに居たら、わたしは駄目になっちゃうって。そんな時、パパの留学話を思い出して、わたしも一人で頑張ってみようって思ったの」
 莉世は、ずっと自分を見つめる一貴の視線を真正面から受け止めた。
「だから、一貴には一言も話さなかったの」
「お前が、そういうなら……。本当にそれだけなんだな?」
 莉世は、嘘と真実の狭間でもがきながら、コクンと頷いた。
 
 一貴は、頭の中でいろいろな情報を処理するかのように、莉世の表情を螺さに見つめていた。

2003/03/15
  

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