開設5周年記念・特別作品(2013年再掲載)

『Te amo 〜愛してる〜』【5】

side:エンリケの伯父、パブロ
 
 祖母が、寝物語として語ってくれた言葉が甦ってくる。
 
“おじいさまは、おばあさまにこれを渡してくれた時、もう決して会えないと思っていたの。内戦のせいでね。
 おばあさまは、おじいさまが絶対帰ってくると信じていたから、無理やり他の男性と結婚させられそうになった時も、これを手にして必死に拒絶したわ。
 だけどね、おばあさまの心は強いわけでもなかった。
 おじいさまと離れ離れになった時に住んでいた家から、ここアトランタに引っ越してしまったせいで、もう会えないと……心のどこかで思っていたのね。
 おじいさまを裏切りたくなかったけど、もうダメだと思った時、おじいさまがおばあさまを探し出してくれたの。
 これがふたりをもう一度結び付けてくれたんだって言って、おじいさまは笑ったわ。
 おばあさまは、おじいさまのその言葉を信じてるの。だって、もう会えないと思っていたのに、会えたんですもの!
 だから、もしあなたたちに大切な人ができたら、もう一度めぐり合いたいと想う人ができたら、おじいさまのようにこれを渡しなさい”
 
 祖母のロマンティックな恋に憧れた妹のマルタは、当時はまだ恋人同士だった今の夫、アルバロにペンダントを渡した。
 若いふたりの結婚は、両家から……特にファリーノス家の親族から大反対され、マルタは語学の勉強と称してアメリカへの留学を余儀なくされたからだ。
 離れ離れになれば、ふたりの仲は壊れると思ったのだろう。
 だが、ふたりの結び付きは強かった。
 割れた石が引き合うように、マルタもアルバロも相手を想う気持ちがどんどん強くなり、とうとう家族には内緒でこっそり式を挙げてしまった。
 マルタが留学して5年後、スペインに帰国してすぐのことだった。
 そんな出来事を目の当たりにしたパブロは、祖母のクリスタルの力を信じるようになった。
 
 エンリケがそれをあげたとなると、もはやその女性との仲を引き裂くのは無理なのだろうか?
 
 15歳といえば、今から11年も前のこと。
 数々の女性遍歴を報告書で見る限り、エンリケもその女性だけを想ってきたのではないとわかる。
 
 だが……
 
 もしかしたら、もう一度……あの祖母のクリスタルの威力を見るいい機会なのかもしれない。
 エンリケとその女性が、本当に想い合っているのかどうかを。
 どんな困難が待ち受けていても、ふたりが結ばれる運命であるなら、最後はエンリケを祝福しよう。
 優しくしてくれた、祖母の名に誓って。
 そこでパブロは、ある疑問が頭をよぎった。
 
 もしかしてアレ は思い違いだったのだろうか。
 エンリケが 日本≠ノついて調べているという報告を受けて、何かしら意味があると思っていたのだが。
 
 落ち着きを取り戻すと、パブロは大きく息を吸いながら甥へ視線を向けた。
『……だがな、エンリケ。それを渡してからもう11年だ。その女性と会っていないとなれば、彼女はお前のことを忘れているのではないかな?』
『いいえ! 大事にすると、いつも身に付けておくと約束してくれました』
『なら、どうしてその彼女は、今お前の隣にいない?』
 エンリケはパブロの視線を避け、青い空を窓越しに見つめた。
『時機を窺っていたからです。……ですが、今まさにその機会がきたと気付きました』
 エンリケはパブロへと視線を戻す。その瞳には、覚悟のようなものが浮かんでいた。
『彼女を迎えに行きます。彼女がブレスレットを身に付けてくれていたら、スペインへ連れてきて妻にします』
 パブロは、エンリケの言葉に不審を抱きながら目を細めた。
『スペインへ連れてくる? その女性はスペイン人ではないのか?』
 エンリケと深く係わり合いのあったアメリカ人の女性がパブロの脳裏に浮かんだが、すぐにその思いを振り払う。
 エンリケが15歳の時は、まだ留学をしていない。
 パブロは、ホッと胸を撫で下ろした。
 伝統を受け継ぐファリーノスには、外国人の血を混ぜたくなかったのだ。
『ええ、違います。彼女は……日本人です』
 エンリケは、文句があるなら言ってみろとでも言うように、凄みを利かせてパブロに挑む。
 それは、まさに大人しくしていたトラが牙を剥いた瞬間だった。
『ダメだ、ダメだ! 絶対許さん!』
 パブロは、こめかみから嫌な汗が流れてくるのがわかった。
『伯父さん、ネックレスの力は偉大ですよ。無理に引き離そうとしても、それは絶対無理だ』
 エンリケは、再び視線を窓から見える青い空へと向けた。
『一度引き離されたが、今なら飛んで行ける。昔と違って。知ってましたか、伯父さん?』
 この瞬間、パブロはエンリケが祖父のように見えた。
 祖母を手に入れる為、荒れ果てた土地を越えてバルセロナまで辿り着き、このファリーノス海運社≠設立した……大好きだった祖父がそこにいる。
 パブロは、唾をゴクリと飲み込んだ。
『……何だ』
『このクリスタルは、皆一度は引き離されてるんですよ。そして、再びめぐり合ったら絶対に離れない。曽祖父と曽祖母、そして父と母のように』
『エンリケ!』
 その考えを捨てさせようと思い、エンリケの注意を引こうとしたが、パブロの言葉を聞こうとはしなかった。
 それに、先程とは違ってエンリケの瞳には闘志のような熱い想いが浮かんでいる。
 こういう瞳を見たいとは思っていたが、こんな時に見たいとは思っていなかった。
『今言ったように、時機が来ました。仕事も兼ねて、日本へ行ってきます』
『エンリケ、ダメだ! 日本人なんて許さん! スペインのことを何も知らない女など』
『彼女は知ってますよ。12歳までスペインで暮らしていたのだから』
 
 つまり、12歳のまだ幼き少女にアレをあげたってことか?
 
 安堵感から、パブロの肩から一気に力が抜けた。
 そんな幼い少女は、きっとエンリケのことなど忘れているに違いない。
 そして、ブレスレットに付いている石の存在意義についても。
 パブロは風向きがこちらに向いたと知ると、腕を組んで堂々とした面持ちでエンリケを見つめた。
 
『期間は2週間だ。その女性が、本当にブレスレットを持っていて、お前を待っていたのなら、連れて帰ればいい。だが!』
 そこで初めて、パブロは椅子から立ち上がった。
 エンリケの方がまだ背は高いが、上を向くほどではない。
『ブレスレットを持っていなければ……お前の想いは一方通行だったと察し、国に戻ってイレーネを妻にしろ。わかったな!』
 エンリケは、パブロに背を向けるとドアに向かった。
 パブロは、それを了承と受けとめた。
 だがドアノブに触れたところで、エンリケは振り返り……パブロに鋭い眼差しを向ける。
『伯父さんがあのクリスタルの威力を知らないなんて、とても残念に思う。だから、あえて言わせてもらいます。あまり侮らない方がいいと思いますよ』
 エンリケがそう捨て台詞を吐くと、パブロの視界から消えた。
 
 
 パブロは力なく椅子に座ってしばらく呆然としていたが、すぐに受話器に手を伸ばす。
 報告書の一文にあった、日本 というキーワードが繋がったからだ。
『……あぁ、エンリケ。お前を侮りはせんよ』
 電話をかけた相手は、エンリケのフィアンセ、イレーネ・モリエンテス・ハビエル。
 エンリケが日本へ向かうのなら、イレーネも行かせようと思ったのだ。
 そうすれば、その日本人も臆するに違いない。
 たぐいまれな美貌を持つエンリケのフィアンセは……きっと自分の為の行動を取るだろう。
 何故なら……エンリケをもう一度手に入れたいとパブロに接触してきたのは、イレーネ本人なのだから。

2008/03/16
2013/04/26
  

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