開設5周年記念・特別作品(2013年再掲載)

『Te amo 〜愛してる〜』【1】

――― プロローグ in スペイン(バレンシア)
 
 澄み切った青い空の下では、ルイス果樹園のオレンジの樹が絨緞のように地平線まで広がり、後ろを振り返れば、テーブルを囲んで歓談している親しい人たちの笑いに包まれていた。
 ツリーハウスの横にある大きなプールからも、楽しそうにしている子供たちのはしゃぎ声が響く。
 幸せな時間を過ごせられることに胸が躍ってもよさそうなのに、大築紗智(おおつき さち)の目は、輪から離れて花壇で腰を下ろす小さな人影を追っていた。
 心配からそちらへ行きそうになる気持ちをグッと堪えながら、話しかけてくるルイス夫人にへ視線を向ける。
 
『せっかく仲良くなれたのに、もうお別れなんて寂しいわ』
 若々しいマルタは悲しそうな表情をして、紗智の手を握った。
『わたしもですわ、マルタ。ずっと長いお付き合いだったから、離れるなんて信じられない。日本に来る事があれば、是非連絡して下さいね』
『もちろんよ! それに……』
 マルタは、自慢の花壇のある方向へ……そこで仲良く座っている幼い子供を眺めて口元を緩めた。
『エンリケも、杏那(あんな)と会えなくなって寂しくなるわね』
『それは杏那も同じですわ』
 紗智も娘の杏奈の事が気になって、マルタの視線の先にいるふたりに目をやった。
 マルタの息子で15歳のエンリケは、12歳の杏那から目が離せないと言わんばかりに、真剣な眼差しを向けていた。
『エンリケと杏那が初めて会ったのが、8年前だったわね。杏那が妹という存在ではなく、女の子だと意識したのが昨年の事』
 マルタが、クスッと笑みを漏らす。
 彼女の言葉で、エンリケが杏那を見て目を奪われた当時を思い出し、紗智の頬がフっと緩んだ。
『えぇ、いつもの杏那と違う姿を見て、びっくりしたようだったわね。エンリケとケンカになった時、強情を張って口を開こうとしなかった杏那に、あれほど怒っていたのに』
『そうそう。杏那がいても無視していたのに……日本の民族衣装 “着物” を身に纏ったのを見てから、あの子は変わったのよね。 “シト(可愛い) ” と呟いて、その日はずっとジャパニーズ・ドールの杏那の傍らから離れず、同じ年頃の従兄弟たちをあしらっていた。ああ、エンリケもスペイン人男性なんだわ……とさえ思ったぐらいよ』
『大人の男性に成長したら、 “ベジシモ(超ハンサム) ” になるわね』
 マルタは紗智に向き直って、急に相好を崩す。
『そうだわ! いつの日か……今のようにお互いを想い合っていたとしたら、二人を一緒にさせましょうよ』
 マルタのその言葉に水を差すつもりはなかったので、紗智はただにっこり微笑んだ。
 だが、実際……エンリケと杏那が恋人同士にでもなったら、大変だと思っていた。
 ふたりはとても仲がいい……そう言えるだけなら微笑ましいで済むが、ふたりは異性に興味を抱く年齢になっている。
 否、早熟なエンリケはもう女性に対して性欲を持っている。その彼が、まだ子どもの杏那に興味を抱いてしまった。
 
 このふたりが男女として惹かれ合ってでもしたらどうしよう!
 
 夫の転勤でスペインへ来たのは杏那が1歳の時だったので、スペインの文化、生活には馴染んでいると言ってもいいかもしれない。
 スペインと日本という文化の違いを、杏那が乗り切ろうと思えばできるだろう。
 でも、不安となる問題は他にあった。
 バレンシア郊外に広大な果樹園を持つルイス一族と、中流階級の大築家では全く格が違う。
 ルイス家の人たちは英語も話すが、スペイン語で話す時はカスティーリャ語以外にも、カタルーニャ語・ガリシア語・バスク語と合わせて使う。
 その為、簡単な単語ぐらいしかわからない自分たちにすれば、会話は未知の領域だった。
 いくら飲み込みの早い子供だとしても、杏那もカスティーリャ語を堪能に話せる域までいっていない。
 
 ここまで心配する必要なんてないのに、何故こんなにも不安を覚えるのだろう。杏那に向けるエンリケの眼差しが気になるから?
 
 今日は、紗智の夫の嵩敏(たかとし)が日本へ戻る事になったので、仕事で親しくなった人たちが、お別れパーティーを開いてくれていた。
 多分、仕事ではもう二度とスペインへ来る事はないだろう。
 マルタと友達になれたのは嬉しいが、願わくば……杏那には同じ国の、日本人男性選んで欲しい。
 幼い頃の想いは、時の流れと共に薄れ……消えていくのだから。
 紗智はそんな事をを考えながらは、エンリケが杏那の手を握っているのを、遠くから眺めるしかできなかった。
 
 
* * * * *
 
 
――― 11年後。
 
「……っぁ、ん、ダメ」
 23歳の大築杏那は、恋人の富島大輔(とみしま だいすけ)から愛撫を受けていた。
 既に硬くなった乳首を何度も吸われるたび、激しく身を捩る。
「杏那、可愛い……」
 息を吹きかけられて、一瞬快感の波が電気のように躯の芯を走るが、思いもよらぬ所で突然冷静な自分が現れる。
 それは、ふたりがキスを交わし始めた数十分前から、杏那の身に起こっていた。
 
 どうしてそうなるのかはわからない。
 もしかして、富島とは初めてセックスするからだろうか。
 
 ふたりが勤務する会社は同じオフィスビルにあり、一度エレベーターで声をかけられたのがきっかけで会話が生まれ、カフェでコーヒーを飲むようになり、そして付き合うようになった。
 そして今日、ふたりは初めて結ばれる。
 杏那はバージンではなかったが、富島とは初めての行為になるので、やっぱり躯は緊張しているのかもしれない。
 そんな杏那の気持ちを敏感に察したのか、富島は彼女の乳房を揉みしだきながら、熱いキスをしてきた。
 唇を割って入ってきた富島の舌が、甘い果実を貪るように杏那の舌を求めてくる。
 もちろん杏那もそれに応えた。
 
 富島を愛しているから……
 
 なので、どうして集中できないのだろう。
 富島の愛撫に気持ちよさを全く感じられない。
 それでは悪いと思うから、わざと喘ぎを漏らすが、意識すればするほど冷静な自分が表に出てくる。
 
 どうして? 何故!?
 
 富島は杏那の演技を真に受けているのか、愛撫の手を下へ下へと伸ばす。
 既にパンティを脱がされていた杏那の黒い茂みを弄んだ富島の指が、さらに動かして秘所に触れた。
 その刺激に、杏那の躯がビクッと奮えた。
「う〜ん、あんまり濡れにくい体質なのか?」
 杏那は答えられなかった。
 恋人同士になって3ヶ月。初めてのベッドインだというのに、気持ちが追いつかない……なんて絶対に言えない。
 富島さんの愛撫が、下手という事ではない。ただ、わたしがセックスに集中出来ていないだけ――自分の気持ちに戸惑っていたその時だった。
 富島の手で、無理やり大腿を大きく開かせられる。
「……っ、富島さん!」
「大丈夫、気持ち良くさせてやるから。俺を信じて」
 富島は杏那の茂みにキスの雨を降らし、そしてそのまま秘所へと唇をずらした。
「っぁ! ……イヤ、恥ずかしい……」
 富島の唇や舌がいやらしく動く。
 羞恥から逃れようと、杏那はシーツをギュッと握り締めて何度も頭を振るが、彼の愛撫は止まらない。
「うん……感じてきたみたいだ。杏那、とても甘いよ」
 富島の言葉が、愛撫が、杏那の快感を刺激して躯が勝手にビクンと跳ねた。
 徐々に心臓が激しく高鳴り、躯の中心に熱が籠もり始める。
「っぁ、っぁ……っん…はぁ」
 まるで犬やネコが急いでミルクを舐めるような……そんな舌使いに翻弄されてしまう!
 久しぶりに襲ってくる快感から逃れるように、杏那は爪先をギュッと丸めベッドに強く押しつける。
 大きく双脚を広げられた為、股間が悲鳴をあげそうだったが、富島の愛撫が激しくなればなるほど、その痛みは別のものへとすり替わっていった。
 富島の荒い息遣いと、杏那の喘ぎが、シーツの擦れる音と共に部屋中に響く。
 彼の舌に敏感な蕾を撫でられて、杏那の躯がビクッと震えた。
「ダメ……もぅ、許して」
 シーツを握り締めた手が小刻みに震えるのを覚えた時、富島がぷっくりと膨らんだ赤い蕾を強く吸った。
 その瞬間、杏那は堪えきれず歓喜の声を漏らした。
 躯が一瞬で張り詰め、そのまま天高く飛翔した。
 
 
 ゆっくり息を吐き出すと同時に、躯が弛緩して手足に力が入らないほどぐったりとなった。
 何年かぶりに味わった女の悦びだった。
 だが、それを味わったのは自分だけ……
 荒い息を繰り返しながら目を開けると、満足気に微笑む富島と目が合った。
 だが、その端に映る彼の大きく硬く……存在をアピールする欲望の証から逃れるように思わず俯く。
「感度がいいんだな。乱れた杏那を見せてくれて、とっても嬉しいよ。次はもっと触れ合いながら、杏那の乱れる姿が見たい」
 何故か、火照った躯に、一瞬で水を浴びせられたような感覚に陥った。
 また……先程の感覚が蘇ってくる。
 富島を愛しているのに、いざセックスをしようとすると何かにが押し止められる。
 そんな杏那の気持ちを読み取る事なく、富島は杏那に伸しかかってきた。
 杏那の双脚に躯を割り込ませると、躯を密着させてくる。
 富島が躯を動かすたびに、硬く漲った彼自身が杏那の柔肌を擦っていた。
「杏那……杏那が欲しい」
 富島は感情に昂ぶったかすれ声で言いながら、ゆっくり杏那の秘所から挿入させてきた。

「……痛ッ!」
「えっ?!」

 杏那は顔を顰めて、富島の胸を思い切り押し返す。
 無理に押し込まれるような……皮膚が引っ張り合って裂ける痛みを感じたのだ。
 富島は先までしか挿れていなかった自身を抜くと、すぐに杏那の秘所に指で触れてきた。
 濡れているのを確認しようとしたのだろう。
 一度指を挿入し、そして彼は抜いた。
「悪い……俺が悪いのかな? ……あんまり感じなかった?」
「ううん、そんな事ない」
「ごめん、俺が焦ったせいだ。杏那が欲しくて……早く欲しくて、愛撫をおざなりにしてしまったかもしれない」
 肩を落とす富島を見て、杏那は申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。
 そう感じさせてしまったことを謝るように、身を起こして彼に抱きつく。
 
「富島さん、ごめんね……。わたし……仕事の事が引っかかってしまってるみたいで」
 
 そう口にしたことで、自分の心を占めているのはなんだったのかやっとわかり、杏奈はハッとした。
 富島がムード作りの為にワインを注いでくれている時にかかってきた、あの電話が原因だったのだ。
 本当は、電話のせいだと思いたくはなかった。それはいつもと変わらない仕事の件だったのだから。
 ただ、今までと違ったのは……初めて舞い込んできた通訳の仕事。
 そのクライアントがスペイン人の実業家と聞いて、杏那の脳裏に浮かんだのはスペインの思い出が詰まった携帯ストラップ。
 その連鎖から自然と遠い昔の記憶が甦ってしまい、知らず知らずのうちに心穏やかでいられなくなったのだろう。
 その結果、気持ちが富島へと向かなかったに違いない。
「いや、いいよ。杏那がずっとしたかった仕事だしな。俺は気にしてないよ」
 富島はそっと杏那を抱くと、こめかみにキスを落とした。

 ごめん、ごめんね……富島さん――杏那は心の中で謝りながら、ギュッ彼を抱きしめた。
 そうしながらも、杏那の気持ちは、ワイングラスの横に置いたままになった携帯ストラップへと向けられていた。

2008/03/09
2013/02/10
  

Template by Starlit